カモフラージュと違法(8)

13)年功型雇用のジョブ型雇用の違いの整理

 

13-1)基礎事項

 

ジョブ型雇用と年功型雇用の特徴が、正確に理解されていない場合が多いので、整理しておきます。

 

(C1)ジョブ型雇用:

 

賃金は、ジョブを遂行する能力(スキル)に基づいて決まります。賃金は、成果に対して支払われるのはありません。例外は、経営者です。労働者は、ジョブが必要とされる企業を転職します。賃金は、スキルの変化に伴い変動します。

 

サッカーチームをイメージすればわかります。敗戦の責任は監督がとります。連敗が続くと、監督は解雇されます。連敗によって、プレーヤーが解雇されることはありません。

 

賃金の基準となる労働者(プレーヤー)のスキルは、エビデンス(試合でプレーの実績)で判断されます。サッカーの試合の結果が敗戦であっても、良いシュートやアシストをしたプレーヤーは、スキルを評価されます。

 

ジョブ型雇用の経営の目的は、利潤の最大化です。これは、サッカーチームで考えれば、勝率の最大化が目的になります。労働者(チームメンバー)は、勝率が最大になるように、予算制約の中で、入れ替えます。



(C2)年功型雇用:

 

賃金は、採用試験区分と年齢とポストで決まります。採用試験は、スキルを評価しますが、スキルの賞味期限は5年未満です。これから、採用から5年後以降は、年功型雇用は、賃金がスキルに関係なく支払われる、採用試験区分に基づく、身分制度になっていることがわかります。

 

身分制度を維持するためには、形而上学が必須になります。江戸時代の藩主は、血統によって身分が保証されていました。藩主になれる条件は、先代の藩主の子供であることです。放蕩息子で、藩の財政が火の車になっても、そのことが理由で解任されることはありません。

 

藩主が解雇されるお家断絶は、赤穂浪士に見られるように、身分制度を破壊しかねない不祥事の場合になります。

 

日本の企業のトップは、業績が悪いことで、解雇されることは殆どありません。解雇や辞職に追い込まれる場合は、違法行為があった場合です。これは、年功型雇用を破壊しかねないためと思われます。

 

賃金の基準は、ポストであって、エビデンスとは関係がありません。これは、賃金が形而上学で支払われることを意味します。スキルに関係なく、ポストに付いている人は、ポストに相応しい能力を持っているように振る舞い、周囲の人も、忖度するように求められます。これは、権威主義でもあります。

 

組織のトップが入れ替わった場合、マスコミは、トップの抱負や見通しを掲載します。その内容が、エビデンスに基づいたり、因果モデルをつかった推論をしている場合は、極めて少ないです。こうした場合、トップには、権威はありますが、科学の方法のスキルがないことがわかります。

 

トップに上がるためには、その前のポストについていることが前提になります。そこには、スキルが入る余地はありません。年功型組織では、昇進は、採用試験区分別の双六のようなポストの階段をあがるシステムになっています。これは、エビデンスを無視した、形而上学です。

 

人事評価に、エビデンスがはいると採用試験区分別の双六という年功型組織が崩壊します。

このシステムは、エビデンスを無視して、形而上学に依存することで成立しています。

 

年功型雇用の経営の目的は、身分制度の維持です。年功型雇用の身分制度は、解雇がないこと、企業が永久につぶれないことを前提としています。これは、企業の売り上げが継続的に拡大している場合には、実現可能な前提です。

 

しかし、売り上げが減少している場面では、継続不可能です。

 

13-2)年功型雇用制度の崩壊以降

 

1985年頃まで、日本企業の売り上げは継続的に拡大していました。しかし、売り上げが停滞し、余剰資金は、設備投資の拡大ではなく、土地の投機に向かった結果、バブルを引き起こしています。

 

つまり、1985年以降、売り上げの拡大がストップして、年功型雇用制度は、継続的に維持不可能になって、崩壊しています。

 

年功型雇用制度が崩壊した場合には、2つの対応があります。

 

(T1)第1の対応は、ジョブ型雇用へ切り替える方法です。

 

(T2)第2の方法は、パッチをあてて、年功型雇用制度を延命する方法です。

 

1985年以降の日本では、第2の方法が採用されました。これは、仮説です。

 

その理由は、経営の決定権を持っている企業幹部が、身分制度という利権の維持を優先したためです。これは、株主の利益とは相反しますので、資本主義の原則に反します。

 

年功型雇用の身分制度は、解雇がないこと、企業が永久につぶれないことを前提としていますが、制度が崩壊して、これは実現不可能になりました。

 

そこで、制度維持のためのパッチの発明が必要になりました。

 

企業が永久につぶれないことは、双六の前提で、これに、手を入れれば、ジョブ型雇用になりますので、ここは、触れません、

 

パッチをあてる部分は、解雇になります。

 

1986年に、労働者派遣法が初めて施行されました。

 

労働者派遣法は非常に、不可思議な法律です。

 

ジョブ型雇用であれば、賃金は、ジョブのスキルに対して支払われます。

 

つまり、ジョブ型雇用の世界からみれば、労働者派遣法は何を規定しているのか理解できない法律です。

 

パッチあての目的は、採用試験区分による身分制度の維持にあります。

 

つまり、労働者派遣法は、企業の正社員の解雇をさけながら、身分制度を維持することに目的がありました。

 

小泉改革を指導した竹中氏は、問題は派遣ではなく、市場原理が機能していない点にあるといいます。

 

リチャード・カッツ氏は、ジェンダーや、正規・非正規の賃金格差を放置した違法状態に問題があると言います。

 

この違法状態は、国連グローバル・コンパクト(UN Global Compact)にも抵触します。

 

しかし、労働者派遣法などの法改正の目的は、企業の正社員の解雇をさけるためにパッチをあてて身分制度を維持することであったと考えられます。

 

つまり、ジェンダーや、正規・非正規の賃金格差は、年功型雇用という身分制度の維持のために必要な条件であったことになります。

 

裁判官は、違法状態を放置したのではなく、法律の意図を正しく理解していたことになります。

 

こうした場合には、因果モデルで整理すると違いがわかります。

 

目的(結果)は、年功型雇用の身分制度を維持することです。

 

原因は、身分制度を維持しながら解雇規制を開始する方法を生み出すことです。

 

そのためのパッチが、労働者派遣法の改定でした。

 

こう考えると、現状が簡単に理解できます。

 

「できるだけ簡単な仮説で、多くの現象を説明できる仮説がよい仮説である」という仮説の判定基準を、オッカムの剃刀と言います。

 

(T2)が選択されたという仮説は、検証されていませんが、オッカムの剃刀で判断すれば、よい仮説に思われます。

 

13-3)不確実性の取り扱い

 

年功型雇用の最大の課題は、ジョブ型雇用の労働市場を潰してしまことです。

 

幕藩体制では、体制から抜け出た脱藩者になれば、食べていくのは容易ではありませんでした。

 

年功型雇用で、労働市場がないこと同じような働きをします。

 

最近では、外資系で働いたり、GAFAMなどの海外企業に転職することも、珍しくなくなりました。

 

しかし、少し前までは、年功型雇用以外の労働市場があるのは、スポーツ選手、クリエータ、医師など限られていました。

 

このような場合には、組織に従属することを最優先して、能力の発揮を諦める「飼い殺しの問題」が発生します。

 

例えば、大学の教員は、論文の本数という内容を無視した形而上学で、給与が決まります。こうなると、失敗する確率の高い研究からは撤退します。

 

ここ30年の間に、経常研究費が削減され、競争的資金が増えました。しかし、アメリカの大学のような、研究者の労働市場はありません。競争的資金も失敗に対する許容度は低いです。その結果、結果が予測できる改良型の研究ばかりになります。

 

研究者が失敗を恐れずに、自分の能力を発揮するのではなく、簡単な問題の解決に止まります。

 

減点主義では、チャレンジは回避されます。フィギュアスケーターが、3回転半ジェンプを失敗するリスクをとるか、2回転に止めるかといった選択の場合、チャレンジしなければ、スキルは向上しません。

 

しかし、日本の大学では、ジャンプは2回転で十分といった能力の発揮を諦める「飼い殺しの問題」が蔓延しています。

 

これが継続すると、失敗を回避する認知バイアスが形成されます。空気を読むのは、こうした認知バイアスのひとつです。

 

13-4)まとめ

以上のように考えると、年功型雇用から、ジョブ型雇用に切り替えるハードルは非常に高くなっています。

 

(T1)のように、1985年頃に、ジョブ型雇用に切り替えていたならば、切り替えの影響は小さかったと思われます。

 

現実には、ジョブ型雇用風の年功型雇用が乱立しています。

 

その結果、ジョブ型雇用は、上手くいかないという結論を出す人もいます。

 

しかし、過去30年の日経平均S&Pに、比べて大きく見劣りしています。

 

統計学で考えれば、こうした格差が30年間継続する確率はほぼゼロです。

 

つまり、ここには、経営判断の誤りという原因があるはずです。

 

日本の経営は、企業の収益の最大化ではなく、年功型組織の維持を目的としています。

 

アメリカの企業は、企業の収益の最大化を目的としています。

 

日本企業の評価関数は、収益とずれていますので、企業収益がのびず、日本経済が停滞するのは、当たり前と思われます。

 

また、年功型組織の維持を目的とすることは、エビデンス(収益)の無視になります。

 

システム工学で考えれば、この問題の解決は、日本企業も、評価関数を企業の収益の最大化におくこと、つまり、ジョブ型雇用の採用以外にはありません。

 

これは、数学の最適化問題に過ぎません。



引用文献

 

法律も無意味「女性が出世できない国、ニッポン」  2023/06/23 東洋経済 リチャード・カッツ

https://toyokeizai.net/articles/-/681555