賃金が上がらない原因はアンシャンレジームである
(賃金が上がらい原因はアンシャンレジームにあります)
1)記事の趣旨
賃金が上がらない原因、あるいは、労働生産性が上がらない原因についての分析はかなり既に出ています。それにもかかわらず、ここでは、賃金が上がらない原因を取り上げてみます。その理由は、次の点にあります。
(1)賃金が上がらないのは、企業が労働生産性を上げ、賃金を上げる努力をしてにもかかわらず、その努力が実を結ばなかったという性善説が俗説ですが、ここでは、企業は、労働生産性をあげず、賃金を引き下がる努力をした結果が実って、賃金が上がらなかったと考えます。これは、性悪説です。この性悪説をここでは、DXに背を向けるという意味で、アンシャンレジームと読んでいます。
(2)賃金が上がらない原因を考える手法として、ここでは、心理学の反事実的思考を使います。この手法は、今回のテーマには、有効だと考えます。
(3)アンシャンレジーム仮説は、賃金が上がらない理由だけでなく、企業の売り上げが伸びない、科学技術のレベルが低下している、大学など高等教育のレベルが世界的にみて落ちている、初等中等教育で落ちこぼれが起きやすい、少子化が止まらないなどの問題も説明することができます。つまり、アンシャンレジーム仮説は、アンシャンレジームが、経済活動だけでなく、社会活動や教育の問題の原因にもなっている可能性を示しています。
2)アンシャンレジームとは何か
2000年前後から、それまで長く年功序列制度を維持し続けてきた日本企業が、「成果主義」と「目標管理」等の人事制度改革に乗り出しました。
中国などの途上国の追い上げもあり、利益が安定して上がり続ける時代が終わり、人件費を毎年ちょっとずつ積み上げていくことができなくなったからです。
問題は、2000年前後の組織管理体制の変革です。インターネットやクラウドサービスが広がり、高度な技術があれば、ITが活用でき、労働生産性が劇的にあがります。これが、DXですが、アンシャンレジーム(仏: Ancien régime)に対比すれば、モダンレジームと呼べます。
コンピュータのプログラムは、ジョブやタスムの集まりです。ジョブは、特定の仕事をこなします。ジョブは、入力データを処理して、出力データを作ります。この出力データは、次のジョブの入力データに使われます。このような情報の処理手順とデータの引き渡しが定義できて、初めてジョブ型雇用が可能になります。組織がジョブ型雇用になっていれば、あるジョブをまるまるソフトウェアに置き換えることは簡単です。こうしてDXは、劇的な人手減らしを実現し、労働生産性を上げます。
つまり、DXを進めるためには、ジョブ型雇用をつかったモダンレジームが必要です。
モダンレジームの中で、DXを進めれば、人はどんどん減っていき、ハードウェアが機械の場合には、最後には、ソフトウェアを作る人とメンテナンスをする人だけが残ります。
3)反事実的思考
アメリカのIT大手企業は、エンジニアに1000万円から5000万円位の給与を払って、ソフトウェアの開発を進めてきました。
2000年前後を振り返れば、日本企業は、ソフトウェアエンジニアも、新卒一括採用で、職種に関係なく、一律の安い給与しか支払いませんでした。大学で、情報科学や統計学を学んでも、給与は全く増えませんので、これは、勉強するだけ損です。そして、この理解は、大学だけでなく、高等学校や中学校にも伝播していきます。
ここで、反事実的思考をして、日本企業でも、アメリカのIT大手企業と同じように、エンジニアに1000万円から5000万円位の給与を払って、ソフトウェアの開発を進めてきたと仮定します。
このようにしていたら、日本にも、GAFAのような企業が育っていた可能性があります。
4)株式会社のルール
資本主義の中心は株式会社です。株式会社は、株主のお金を預かって企業活動をして、元手を増やすか、配当によって利益を還元します。株式会社には、倒産するリスクがありますので、経営者は、最大限の利潤をあげて、株主に還元することがルールです。
経営者が、このルールを守らなければ、株主総会で、株主から解任されてしまいます。
なので、常識的に考えれば、「日本企業でも、アメリカのIT大手企業と同じように、エンジニアに1000万円から5000万円位の給与を払って、ソフトウェアの開発を進める」ことが合理的な経営であり、「能力の低いソフトウェアエンジニアを、新卒一括採用で、職種に関係なく、一律の安い給与」で雇うことは不合理な経営です。
アメリカのIT企業が、「能力の低いソフトウェアエンジニアを、新卒一括採用で、職種に関係なく、一律の安い給与」で雇えば、その経営者は、次の株主総会で間違いなく解任されますし、場合によっては、会社の損害を与えたとして、訴訟を起こされて、賠償するはめになります。
こう考えると、日本では、資本主義であるにもかかわらず株式会社のルールが守られず、なおかつ経営者は、株主総会で、解任されることもありませんでした。
これは、資本主義の近代社会(modern society)ではありえないルールで、江戸時代のような身分制度社会を考えないと説明できません。筆者は、モダンレジームに対して、アンシャンレジームという単語を使う理由はここにあります。
西暦2000年のアンシャンレジームでは、年功型雇用が身分制度に代わる機能を果たしています。
これは、資本主義ではありません。株式会社が利益を追求しないのであれば、それは、株主に対する背任行為になります。
官庁が、労働生産性を上げなければ、それは、納税者に対する背任行為になります。なぜなら、労働生産性を上げる余地があるということは、減税できるということになるからです。
したがって、ジョブ型雇用であれば、株式会社と同じように、労働生産性を上げられない官庁の幹部は解任されます。そのような成績の悪い幹部を残しておけば、議員は選挙に落選するはずですから、圧力がかかります。
これは資本主義のルールであり、民主主義のルールです。
こうして民主主義のルールが、アンシャンレジームによって、無視されています。
そのことは問題ですが、アンシャンレジームによって、カルトのように、問題を問題と感じなくなっているとすれば、そのことも問題です。