英語(外国語)の能力は必要か

1)50年前の話

 

筆者の学生時代には、スキルとして何を学習するかと言えばつぎのようなものでした。

 

理系:数学と英語

 

文系:語学(英語と第2外国語)

 

ともかく、外国語は外せませんでした。

 

2)アメリカの大学の入学資格

 

SAT(エスエーティー)は、非営利法人であるカレッジボードがETSに委託し主催している標準テストで、SAT論理試験(SAT Reasoning Test、旧SATⅠ)とSAT科目別試験(SAT Subject Test、旧SATⅡ)の総称でが、一般にSATと言えば、SAT論理試験を指します。

 

SAT論理試験は、2016年以降のの新SATでは、Reading Test、Writing and Language、Math (電卓使用不可、電卓使用可) の四セクション、二教科で構成されています。

 

Section1 Reading Test (65分)

Section2 Writing and Language Test (35分)

Section3 Mathematics with No Calculator (25分)

Section4 Mathematics with Calculator(55分)

Section5 ダミー問題 (20分) / Essay(50分)

SATをEssay無しで受験した場合、Section 4まで受験した後にSection 5としてダミー問題を解く事になります。なお、各試験問題冊子によってダミー問題のセクションは異なります。

 

これから、アメリカの大学受験では、数学が必須であること、外国語はSAT科目別試験をとらなければ不要であることがわかります。

 

母国語も論理的に文章を読み書きする方法が中心なので、ロジックを鍛えることが必要なスキルであって、暗記ではありません。

 

3)英語(外国語)は必要か

 

日本の大学入学試験は、18歳人口の減少とともに多様化して、選抜試験としての意味がない大学や学科も多数あります。

 

一般には、倍率が3倍を切ると、選抜試験の選抜能力は低下します。

 

以前は、英語、数学、国語の3教科が基本でしたが、最近では2教科試験も多く行われています。

 

日本の教育は、習得主義ではなく、履修主義です。そして、履修主義では、数学の学習は不可能です。

 

つまり、2000年頃分数ができない大学生がいるという話題がでましたが、その後も、履修主義を変えていませんので、日本の大学は、アメリカの基準では、入学できないレベルの大学生を卒業させています。

 

一方では、英語が重要だということで、英語は小学校にまで入っています。

 

先日、You tubeで証券会社のセミナーを聞きました。講師はアメリカの投資ファンドの幹部です。講演は、英語でしたが、パワーポイントは日本語でした。

 

これは、聞く方にとっては苦痛です。英語で、話をきいて、日本語のパワーポイントをみてもしっくりきません。

 

日本語の同時通訳もついていました。これだと話もパワーポイントも日本語になりますが、話はパワーポイントより1テンポ遅れます。

 

つまり、日本語で聞いても、英語で聞いても、しっくりきません。

 

この講師は、今回の日本語のパワーポイントは、全てChatGPTで作成したといっていました。同時通訳が入っているので、日本人のスタッフがチェックして手を入れているとは、思いますが、基本的には、自動翻訳で問題がないと言えます。

 

最近のウィキペディアの充実には目を見張るものがあります。

 

たとえば、「相関関係と因果関係」という項目があります。

 

この内容は、一昔前の統計学の教科書がお茶を濁してきた部分です。

 

「お茶を濁してきた」というのは、執筆者がよく理解できていなかったので、教科書に書けなかったことを指します。主に、書かれていた内容は、理解不能な「ヒルの基準」でした。

 

日本語版の「相関関係と因果関係」と英語版の「Correlation does not imply causation(相関関係は因果関係を意味しない)」の内容は大きく異なります。

 

英語版では新しい問題まで丁寧に解説されています。「ヒルの基準」と比べれば、データサイエンスの進歩が明確にわかります。

 

この英語版を筆者は、Google翻訳で読んでいます。もちろん誤訳もありますが、日本語版の「相関関係と因果関係」を読む場合と、英語版の「Correlation does not imply causation」をGoogle翻訳で読む場合を比べれば、後者の価値がはるかに高いです。

 

平均的な高校3年生の英語より、Google翻訳のほうが優秀です。

 

ChatGPTの翻訳は、Google翻訳を越えていると言われています。

 

英語は標準言語なので、わからないことは、最終的には、英語でチェックすることになります。なので、英語の学習は必ず必要です。

 

しかし、ドイツ語やフランス語は知らなくとも、読むうえでは、英語への自動翻訳で理解できます。

 

会話の英語、ドイツ語、フランス語の価値はあると思いますが、一生の間で利用可能な学習時間は限られているので、英語の学習時間を減らしても良い気もします。

 

一方、英語版の「Correlation does not imply causation」を読むためには、数学の知識がないと歯が立ちません。

 

日本語の解説書は、数式が出てこないものが多いですが、英語版のウィキペディアには、数式が沢山でてきます。筆者は、うろ覚えの数式を確認する時には、英語版のウィキペディアを使っています。

 

できの悪い日本語の教科書より、英語版のウィキペディアの自動翻訳のほうが、はるかに、有益です。

 

いま、問題になっている点は、英語ができないのではなく、日本語になっても、英語版ウィキペディアの知識が理解できないことにあると思います。

 

4)無人島では生活しない

 

この問題は、英語の問題ではないのかもしれません。

 

現在の試験は、ロビンソンクルーソーのようになっています。

 

司法試験では、パソコンを使うことができるようになるようですが、ネットワークには繋げないそうです。つまり、優秀な法律家は、無人島でも仕事ができるべきだといっています。

 

実世界では、活動はネットワーク下で行われます。

 

ウィキペディアのように常に最新情報に更新されないことは想定外で、耐えられません。

 

ChatGPT3.5は、2021年までのデータで学習していると非難されました。

 

しかし、総務省の「統計の歴史を振り返る」は、ケトレー(Adolphe Quetelet 1796年ー1874年)で終っています。160年も前の話です。

 

最初の話題がのせられないのはわかりますが、160年前から、進歩していないように見えてしまいます。

 

官僚は試験の秀才ですから、無人島で生きているのかも知れません。

 

引用文献

 

統計の歴史を振り返る 統計の3つの源流 総務省

https://www.stat.go.jp/teacher/episode01.html