公共経済学と小さな政府

1)世界標準の保守

 

2つの政策ベクトル(工業化の政策ベクトルと情報化の政策ベクトル)の議論は、政策のあるべき方向の変化の議論です。

 

政府の役割には、政策のあるべき方向の変化が変化しても、必ず含まれなければならないコアな部分があります。

 

昔から、夜警国家(Night-watchman state or minarchy, whose proponents are known as minarchists)と呼ばれる議論です。

 

自由主義国家論(Minarchism)と同義とみなす場合もありますが、この辺りの議論は厳密に行うと複雑になります。



夜警国家は、ロバート・ノージックの「アナーキー、国家、そしてユートピア」 (1974) で広められています。

 

用語の夜警国家(ドイツ語: Nachtwächterstaat ) は、ドイツの社会主義者 フェルディナント・ラサールが1862 年のベルリンでの演説で造語したもので、彼はブルジョア自由主義の限定政府国家を批判し、窃盗を防ぐことを唯一の任務とする夜警に喩えました。 

 

アメリカの右派リバタリアンは、国民に軍隊、警察、裁判所を提供し、それによって侵略、窃盗、契約違反、詐欺、財産法の執行から国民を守ることによって不可侵原則の執行者としてのみそれを支持しています。

 

これが世界標準の保守政治思想です。

 

2)公共経済学

 

リバタリアンには、表向きの社会保障は含まれませんが、生活保護のような最低限の社会保障が含まれないか否かは、判断が分かれると思います。

 

警察のレベルアップには費用がかかりますので、警備費用よりも、最低限の社会保障の方が、コストが安くなることも考えられます。

 

戦後、不正を働くことを拒否して、餓死した裁判官がいました。そこまで、不正を拒否する人は稀です。食べられない人が増えれば、犯罪は増えます。このような場合には、警備費用よりも、最低限の社会保障の方が、コストが安くなると思われます。

 

フードスタンプのような食品の配布も効果があります。

 

夜警国家の思想背景には、複数の立場があり、ここでは、その違いに立ち入りませんが。一例をあげれば、リバタリアン保守主義(Libertarian conservatism)は、反国家主義的で、社会問題と経済問題の両方に対する政府の介入に対して敵対的です。

 

しばしば、夜警国家の反対語を言われる福祉国家( Welfare State)の定義にも問題があります。

 

福祉国家に限りませんが、ウィキペディアの日本語版と英語版には、越えられない断絶があります。

 

福祉国家(日本版ウィキペディア

福祉国家は、国家の機能を安全保障や治安維持などに限定(夜警国家)するのではなく、社会保障制度の整備を通じて国民の生活の安定を図ること。

 

福祉国家(英語版ウィキペディア

福祉国家とは、国家(または確立された社会制度のネットワーク)が、機会均等、富の公平な分配の原則に基づいて、国民の経済的および社会的福祉を保護および促進する政府形態です。良い生活のための最低限の備えを利用できない国民に対する公的責任を果たします。

 

英語版では、女性の登用が少ないことは、福祉国家に反することになります。

 

世界経済フォーラムが2023年6月20日に発表した2023版の「Global Gender Gap Report」によると、日本は146か国中125位です。 日本は毎年順位が低いですが、今年は過去最低の順位となっています。 2022年は116位で、9つ順位を落としています。

 

ジェンダーギャップが、福祉国家に反すると感じている人は日本では、少ないと思われます。少なくとも、日本語版のウィキペディアの執筆者には、その意識はありません。

福祉国家は、大きな政府と考えられがちですが、福祉国家の理念は、英語版では、「機会均等、富の公平な分配の原則に基づいて、国民の経済的および社会的福祉を保護および促進する政府形態」です。「機会均等、富の公平な分配の原則」がポイントになります。

 

小さな政府のリバタリアン保守主義は、社会問題と経済問題の両方に対する政府の介入を否定します。事実上の特定の企業への補助金は、「公平な分配の原則」に反するので、福祉国家では認められません。

 

福祉国家の理念に産業振興は含まれていません。公共経済学の枠組みでは、政府は公共財提供以外からは手を引きべきと考えます。政府は市場に介入しないこと、市場で、敗者が出た場合には、生活保護などのセーフティネットワークでカバーすることが原則です。

 

簡単に言えば、生活保護国民年金を削って、産業振興のため補助金を出すことは認められません。これは、小さな政府(夜警国家)と大きな政府福祉国家)に共通しています。

 

これは、例を考えればわかります。

 

例えば、政府が生成AIを作成する企業に補助金をだしたとします。これは、産業振興にはつながりません。

 

ある企業が、生成AIの次の世代のAI技術(ここでは、仮にポスト生成AIとよぶ)の開発を進めていたとします。その企業が、ポスト生成AIの技術を活用した製品を販売しようとした場合に、生成AIに対する補助金は、新技術のビジネスを阻害します。補助金によって、生成AI の開発原価が引き下げられてしまえば、ポスト生成AIの技術を開発した企業は開発コストを回収することが難しくなります。こうして、世の中には、時代遅れの技術が蔓延することになります。

 

何がすぐれた技術か、何か優れた製品かを決まるのは、市場です。政府が市場に介入すれば、古い時代遅れの技術を高いコストで調達することになります。

 

3)市場経済の原則

 

市場経済に勝てると考えた権力者は過去にいます。

 

スターリンは、1928年に国家成長計画「五ヶ年計画」を導入し、工業の重工業化と農業集団化を推し進めます。ウクライナコルホーズに過剰な量の穀物徴収を課し、農民には自分たちが食べる分の食料が残らなくまります。1932年12月には国内パスポート制が導入されます。ウクライナの国境は封鎖され、農民は自由な出入りは許されず、村や集団農場に縛り付けられます。1932から33年にウクライナ農民ら数百万人が餓死する「ホロドモール(ウクライナ語の飢え死)」が発生します。

 

中華人民共和国大飢饉(3年大飢饉)は、1959年から1961年までの中華人民共和国の歴史において広範にわたり発生した、大規模な飢饉で、飢餓による推定死亡者数は数千万(1,500万から5,500万以上)人にも及び、人類史上最大級の人為的災害の1つで、史上最悪な飢饉であったと見なされています。

 

毛沢東政権下の1958年から1962年にかけて行われた大躍進政策人民公社による数々の政策の失敗が、飢饉の主要な原因で、この間に起こった旱魃などの自然災害が、被害を拡大しました。

 

文化大革命の時期にも、700万人が餓死したという推定もあります。

 

権力者は、市場経済に勝てません。

 

飢饉まで行かなくとも、市場経済を拒否した社会主義経済では、労働生産性が落ちて、貧しくなります。

 

ソ連の崩壊や、中国の社会主義市場経済は、このことを示しています。

 

さて、工業化の政策ベクトルは、政府による産業振興で、市場経済への介入です。

 

市場経済に介入して、ソ連も中国も失敗しています。

 

筆者は、「市場経済に介入して、なおかつ、経済発展をさせることは不可能である」ということは科学的なエビデンスに基づくビリーフであると考えます。

 

高度経済成長時期に、日本企業が年功型雇用と採用し、工業化の政策ベクトルを採用していました。しかし、そのことが、年功型雇用と工業化の政策ベクトルが、高度経済成長に寄与したエビデンスには、なりません。この時期には、朝鮮戦争ベトナム戦争という特需がありました。その効果の方が大きい可能性もあります。戦後の日本は、貧しく、アメリカのような貧富の差の付く資本は持っていませんでした。地主と財閥は解体されていました。初期値の格差は小さかったです。

 

1998年ごろ、旧ソ連ゴルバチョフ書記長は、「日本は最も成功した社会主義国家」だといっていました。

 

これは、ソ連と同じように、市場経済に介入しているにもかかわらず、日本が経済成長できたことを指しています。

 

それには、2つの要因をあげることができます。

 

第1は、戦争特需のような恵まれた外因です。

 

第2は、ローテーションの活用です。集団農場では、集約と再分配で平等性を担保します。この方法では、個人の努力は、収入に反映されません。これに対して、ジョブを集約せずに、労働者をローテーションすれば、一時的には、個人の努力は、収入に反映されます。また、日本では、チップの習慣はありませんでしたが、謝金を払ったり、アルバイトを許容する習慣がありました。官僚であれば、現金の受け渡しは、犯罪になるが、接待であれば、許容されるといった世界です。こうした習慣は、1990年頃には、一掃されてしまいます。

 

つまり、1990年頃まで、日本経済には、市場経済に介入することのマイナス面が表面化しにくい構造がありました。

 

さて、日本型社会主義について、検索すると余りに多くの対立する見解が流布しています。

 

鉄のトライアングルを中心にした既得利権は、許容できるという人もいますし、倫理的に問題があるという人もいます。

 

筆者は、日本型社会主義と資本主義の比較を論ずるつもりはありません。

 

科学を無視し続けることはできないといいたいのです。

 

(T1))スターリン毛沢東が失敗したように、科学的に正しくない政策は、必ず失敗します。

(T2)どれが、科学的に正しい政策であるかを、政策を実施する前に、完全に判断する方法はありません。しかし、エビデンスを計測して、政策を科学的に正しい方向に軌道修正する方法は明らかになっています。

 

出生率は急速に落ちています。若年層の所得は急減に減っています。

 

福祉国家は、国家が、機会均等、富の公平な分配の原則に基づいて、国民の経済的および社会的福祉を保護および促進するはずです。

 

しかし、日本の実態は、貧しい若年層から、高齢者への所得移転を行い格差を拡大しています。その最大のシステムは年功型賃金であり、性別、正規と非正規の間の機会均等の欠如です。

 

日本にはスターリンが行ったような国内パスポート制はありえません。労働人口は、農山村から都市へ移動します。高度人材は海外を目指します。人口は減り続けています。労働生産性はあがりません。

 

ここでは、スターリン毛沢東が失敗したような市場経済を無視してツケがきていると思われます。