1)仮説創出
科学の基本は、仮説を作って検証することです。
帰納法は、仮説を作りません。仮説を作る唯一の方法は、アブダプションです。
アブダプションは、結果から、原因を推定します。
結果R1に対して、原因の候補C1、C2、C3等を考えて、合理的に思われる原因を残します。
絞り込めない場合には、複数の原因を列記します。
2)哲学的伝統
哲学は何がより本質的か、根源的かを考えます。
C1が、R1の原因であるとします。
C1->R1
次に、CC1がC1の原因であるとします。
CC1->C1
これから、CC1ー>R1と考えます。
交絡条件では、C1はダミーの原因とみなしますが、その場合の、C1は見かけの相関を有する意味で用います。C1が見かけでなく、確実は中間ステップの場合もあります。その場合委のC1は交絡条件ではないと思われます。
原因が複数ある場合を考えます。
C1+C2ー>R1
C1+C3ー>R2
この場合、C1は共通の原因です。+はorまたはandです。
+が、andの場合、C1がなければ、R1も、R2も起こりません。
この場合には、C1はC2とC3より、一般化のレベルが高いと思われます。
以上のような根源的な原因を追求するのが、哲学的な伝統です。
3)操作主義vs形而上学
科学は、実験等で検証するので、操作主義です。
科学な何が正しいかをしっていませんが、何が正しい操作であるかは知っているという立場です。
「科学の99%は仮説」という表現には、科学は間違っているというニュアンスがあります。これは、人文的文化の理解で、科学的文化の理解ではありません。
科学は、仮説ですから、何が正しいかを記載するものではありません。
正しい検証方法が分っていると考える点が、科学の根拠です。
科学は、検証方法は、仮説であるとは考えません。
人文的文化では、検証不可能な内容をアプリオリに正しいと判断します。これが形而上学です。科学は、形而上学ではありません。科学は正しいと考えている人は、形而上学を認めています。
形而上学は、言葉の乱用に繋がります。
失業率の数字を国別に比較すると、日本の失業率は外国より常に小さくなります。これは、日本だけが、年功型雇用をしているために起こります。簡単にいえば、ジョブ型雇用の失業率と年功型雇用の失業率は別ものであって、比較してよい理由はありません。
物体の質量には慣性質量と重力質量とがあます。この2つが一致する根拠は不明ですが、計測する範囲では、問題になる違いが見つかっていません。
一方、ジョブ型雇用の失業率と年功型雇用の失業率には、問題になる違いが確認されています。
教育を問題にするときに、大学進学率の国別比較がなされることがあります。
高等教育で履修主義をとっている国は日本しかありません。他の国は、習得主義です。大学は卒業生の習得を保証します。日本の卒業生は、習得できていない人が大多数です。
この場合、大学進学率の国別比較には意味はなくなります。
こうした実態を無視してキーワードを振り回せば形而上学になります。
形而上学になれば、比較も検証もできなくなります。