2-2)反事実的思考
生成AIビジネスを始めるには、AIの技術動向、ソフトウェア・エンジニアや、ソフトウェアの評価ができることが必須でした。
2013年の日本政府には、そのような技術評価能力のある人材はいませんでした。
どうしたら、技術評価能力のある人材を揃えることができるでしょうか。
なお、ここでは、日本政府を例にしていますが、これは、企業の情報は公開されていないためです。日本政府と同じような組織マネジメントをしている企業であれば、以下の考察は当てはまります。
推論の方法として、帰納は限定的で役にたちません。また、帰納は検証を含みません。
一番使える方法は、アブダプションです。
ここでは、因果モデルのヒュームの反事実的思考を使ってみます。
因果モデルは、「技術評価能力のある人材がいれば(原因)、生成AIモデルビジネスができる(結果)」です。
裏の命題は、「技術評価能力のある人材がいなかったので(原因)、生成AIモデルビジネスができなかった(結果)」です。
使用法は次です。
2013年の日本政府に、「技術評価能力のある人材がいて(原因)、生成AIモデルビジネスができた(結果)」場合を考えます。
この反事実と事実を比較してみます。
「技術評価能力のある人材がいて(原因)、生成AIモデルビジネスができた(結果)」場合には、人文的文化の官僚や政治家の提案の一部は否定されて、入れ替えられていることになります。
この部分は、政治主導(人文的文化主導)ではなく、科学主導で、政策がきまることになります。
これは、人文的文化の政治家や官僚の権限が制限されることになります。
簡単に整理してみます。
帰納(前例)による政策:生成AIモデルビジネスは、リターンの実績がないので、着手すべきではない。[人文的文化]
科学(猫理論)による政策:生成AIモデルビジネスは、リターンが期待できるので、着手すべきである。[科学的文化]
帰納による政策は前例主義です。この方法をとっている場合には、科学的文化の理解力は不要です。つまり、何か新しいことを始めようとすると、リスクを強調してつぶしにかかる人がいますが、これは、人文的文化の優位性を確保する主張で、科学的な根拠はありません。現状維持が安全であるという根拠はありません。
科学(猫理論)による政策が出てきた場合には、人文的文化の人は敗退することになります。これでは、出世できない(所得が増えない)ことになりますので、人文的文化の人は、科学的文化の人を潰しにかかります。
こうして、「技術評価能力のある人材」は、根絶やしにされます。
公務員の場合には、所得は、年功型雇用のポストできまり、ポストは、人文的文化の身分制度できまります。スキルは、給与に反映されません。
年功型雇用は身分制度です。スキルの価値は1年で、30%減少します。スキルの半減期(0.7x0.7=0.49)は2年です。5年もすれば、古いスキルの価値は、ほぼゼロになります。簡単ににいえば、最長でも、5年毎にスキルの再評価をする必要があります。こうした場合、年功型雇用は崩れてしまいます。年功型雇用は、こうした下剋上を排除します。つまり、リスキリングを封印しています。
公務員の場合、省庁によって差はありますが、幹部ポストの8割が文系、2割が技術系です。
スノーの2つの文化論でいえば、文系は人文的文化(形而上学)で、技術系は、科学的文化です。人文的文化は、エビデンスに基づきません。科学的文化は、本来はエビデンスに基づきます。しかし、人事権を文系がにぎっていますので、人文的文化と科学的文化の対立が起こりそうになると、人文的文化への収束がはかられます。人文的文化と科学的文化の対立した場合、科学の方法では、人文的文化に勝ち目はありません。それは、文系の人の優位が崩れてしまいます。そこで、幹部になれる技術系の人材には、空気が読める(科学的文化より人文的文化を優先する)人が選ばれます。こうなると、科学は文章形式主義(ドキュメンタリズム)の形而上学になってしまいます。
文部科学省は、習熟主義ではなく、履修主義です。
ここで、反事実的思考を使って、履修主義であった場合を考えます。履修主義であれば、習熟度や理解度を計測して、問題の原因を解明して、理解の阻害要因を取り除き、理解の促進要因を追加することになります。これは、心理学、脳科学、認知科学の問題です。つまり、解決のための政策決定には、科学的文化が不可欠で、人文的文化の教養では歯が立ちません。その場合には、幹部ポストの8割を文系(人文的文化)が占めることができなくなります。これではまずいので、科学的文化を封印して、人文的文化優位にする必要があります。これが、履修主義です。履修主義であれば、心理学、脳科学、認知科学などの科学的文化は不要になります。もちろん、これは、ドキュメンタリズムの形而上学ですから、教育現場の問題と関係がありません。
国会でも、霞が関文学と呼ばれる形而上学が幅を効かせています。科学的文化であれば、エビデンスを無視した形而上学は、呪術として追放されます。
年功型雇用で、幹部ポストの8割が文系、2割が技術系というルールは日本以外ではありません。
そもそも、文系と理系(技術系)の区別や、年功型雇用は、日本にしかありません。
人文的文化が、科学的文化に、優先するという非科学的な状況は日本でしかみられません。
学校で、精神をやむ子供が増えれば、学校にカウンセラーを配置します。しかし、カウンセラーの効果は検証されていません。
中には、午後5時の定時になると、帰宅して、アルバイトするカウンセラーもいます。
午後5時以降は、カウンセラーが機能せず、負担は教員にかかります。
つまり、エビデンスを無視した形而上学の影響は、履修主義に止まりません。
分数のできない学生を大量生産しても、形而上学は、エビデンスを無視するので、問題になりません。
3)年功型給与と形而上学
政府の感染症対応の司令塔となる「内閣感染症危機管理統括庁」が9月1日、発足しました。
「厚生労働省や内閣官房に分散していた感染症対応の機能を一元化。感染症流行に備えた行動計画の策定や訓練など平時からの準備を通じ、感染症に強い国づくりを目指す」そうです。
これは、科学的文化ではありません。「一元化」しないことが、感染症対応の阻害要因であるという仮説は検証可能な因果モデルではありません。また、エビデンスによる検証プロセスが示されていません。つまり、鄧小平がいれば、猫理論に反するので、経済を破壊するのでやめろをいうはずです。
重複をさけた「一元化」が効率的であるのは、完全情報の世界で形而上学です。不完全情報の元では、一元化はできません。ある病気に対して、医師が処方する薬が一元化できて一種類になれば、効率的です。しかし、患者の症状は多様で、病気に関する情報は不完全です。医師は、幾つかの薬を選択肢て、治療の経過を見ながら判断をします。機械的な一元化が出来るのであれば、生成AI以前の古典的なAIで、医師の代わりが務まります。
デジタル庁もこども家庭庁も、目に見える「一元化」の効果はありません。これは、「一元化」が人文的文化の「形而上学」であって、科学的文化ではないからです。「形而上学」では、給与はポストにつきます。「形而上学」を維持して、給与はポストに付けるためには、差が付くエビデンスに基づく評価は避けることです。つまり、ポストに給与が付く、年功型雇用体系を維持するためには、個人の能力の差が目に見えるような問題解決は回避されます。ポストを上がって、給与を増やすために、大切なことは、問題解決より忖度です。その結果、永久に問題解決は進みません。
同じレベルのポストでも、評価で給与に10倍程度の差をつけ、年功順を廃止すれば、「一元化」のための新しいポストは不要です。「一元化」は談合と同じです。談合をすれば、競争はなくなります。縦割りを緩めて各省庁がバラバラに対策をすすめ、効果の高かった部署の予算と定員を増やし、効果の低かった部署の予算と定員を減らす、これが市場原理の方法です。「一元化」は、市場原理よりも、計画経済の方が効率的であるという形而上学です。現状は、市場原理がほぼ、ゼロなので、実際の効果はマイナスになるはずです。
この点でも、鄧小平の猫理論に反しています。
川崎市の市立小学校で、教諭がプールに注水する際に誤って数日間水道の栓を閉めず大量の水を流出させた問題で、市がその教諭と上司である校長に水道代金の半額にあたる95万円を支払うよう求めました。年功型雇用体系では、教員の教育の能力の差は問題ではなく、水道の栓を閉め忘れたことが問題になります。いわゆる減点主義は、ポストと年齢で、給与をきめます。
教員不足といっても、教員の能力を評価して給与に反映させるつもりはありません。
引用文献