教育の科学と「何を教えるべきか」 (2)

(6)許認可を超えて

 

文部科学省は、DX関連の大学の定員増を認める計画です。日本の義務教育や高等学校のIT教育は世界的に見て大変遅れています。

 

大学の授業が、英語でなされているところは、例外的です。授業の説明は、日本語でも、英語でも大差はありません。しかし、英語版しかない最新の教材を日本語に翻訳することは不可能です。AIのように、1年前の教材は古くて使えない世界を考えれば、これは明白です。授業が日本語であることは、教材も日本語であることを意味します。少なくとも学生は、教材が英語であると、それは、教員の怠慢であると考えます。教員が、必死になって、最新の教材の一部を和訳しても、教員の給与はあがりませんし、学生の授業評価もあがりません。なので、現在の日本の大学では、カビが生えそうな古い教材が使いまわされています。

 

日本の大学のカリキュラムは、インドのように英語で授業ができる国に比べて、圧倒的に遅れています。文部科学省は、教育基本法の教育の目的と同じように、各大学に、教育のポリシーを作成することを義務づけて、ポリシーの文言をチェックしています。これは、形而上学であって科学ではありませんので、リアルの教育とは全く無縁です。

 

これを官僚の怠慢と考えるか、愚直に、教育基本法を守っている理想的な官僚であると考えるか、判断は分かれます。

 

マスコミは、DX関連の大学の定員増を認めたことは前進であると評価しています。

 

しかし、大学の定員や教育内容を許認可で決めること自体が、DXの遅れの原因であることは無視されています。

 

欧米のように、労働市場があり、極端な許認可がなければ、学部構成はダイナミックに変化します。




ここで大切な点は、DX関連の大学の定員増の目的と目的達成のための手段を微分方程式で考えることです。

 

DX関連の大学の定員増の目的は、日本のIT技術が世界のトップレベルになることと思われます。これが、IT技術山の登山で例えれば、サミット(頂上)を目指すレースです。

 

一方、日本のIT技術教育の現状は、IT技術山のとんでもなく下の方にいます。先進国は、すべて、日本より上にいます。

 

日本以外の先進国も、デジタル社会へのレジームシフトのために、IT技術教育には力を入れています。つまり、IT技術山をそれなりの速度で登っています。

 

日本が、日本のIT技術が世界のトップレベルになるためには、他の先進国をはるかに上回る速度で、IT技術山を登る必要があります。これが、微分方程式で考えるという意味です。

 

具体的なイメージで考えれば、「東京大学の研究室で、労働生産性の向上に寄与しない研究室を2ダースくらいつぶします。その定員を新設のIT学部に割り振ります。教員はの能力主義のジョブ型雇用で、能力のある人の年収は5000万円以上になります。人材は、世界中から公募します。授業は英語になります」といったところです。

 

こののように書くと、大学の研究室をつぶすことはけしからんという反論になると思いますが、ここで論じているのは、目的を達成する変化の速度です。個別の事例は、何でもかまいません。目的を達成する変化の速度が同等かそれ以上の代替案があれば、何でもwelcomeです。一方、代替案ない反論は、日本経済をつぶしたいという主張ですから、受け入れられません。

 

ただし、次の点は、はっきり認識する必要があります。中国、香港、シンガポールの大学が日本の大学を抑えて、大学ランキングの上にきたのは、2000年代に、組織改革に成功したからです。

 

中国、香港、シンガポールの大学には、年収が5000万円以上で、世界の有名大学を渡り歩いている教員が多数います。

 

中国は、人口ボーナスが終了して、経済成長が低下する瀬戸際にあります。これに対して、中国政府の計画は、IT技術の導入で、労働生産性を上げて乗り切る計画です。

 

2023年時点で、中国の高齢化は、日本ほどは進んでいませんが、IT技術では、世界レベルにいます。半導体製造など、一部の技術では弱点は残っていますが、平均的な技術レベルは、日本を超えています。日本の高齢化は、中国を超えていますから、人口ボーナスの終了問題に、労働生産性の向上で対応するのであれば、日本は、中国以上に、IT技術が進んでやっとバランスがとれるポジションにいることになります。

 

以上から、政府は科学技術立国を目指していないことがわかります。

 

文部科学省の大学定員の許認可は、鎖国状態を前提としています。日本の大学生は、2つに分断されています。従来の鎖国状態の労働市場を目指して、給与の高いどこかの企業に滑り込んで、安泰な生活を送るかを目指している大学生(年功型グループ)がいます。もうひとつは、高度人材として、世界の労働市場で、転職をしながら、食べていく生活を目指している大学生(高度人材グループ)です。当たり前ですが、能力の高い大学生は、高度人材グループに属しています。

 

高度人材グループにとって、日本の教育カリキュラムは全く魅力がありません。

 

許認可は、鎖国が続かなければ、維持できません。

 

年功型雇用は限界に達して、ジョブ型雇用が拡大しています。

 

ここには、ジョブの評価という大きな課題があるので、ジョブ型雇用が簡単に定着することはありませんが、年功型雇用の維持ができない点には変わりはありません。

 

エビデンスは、文部科学省のような縦割りの年功型組織には、新しい社会システムに対応した対策を提案できる能力がないことを示しています。

 

つまり、文部科学省に自己改革を求めることは、科学的にみれば、不可能です。

DX関連の大学の定員増は、自己改革ではなく、自己改革が出来ないために追い込まれた現象を示しています。その根拠は、国際労働市場で、活躍できる人材養成という視点が欠けている点を見ればわかります。

年功型雇用の崩壊は、教育の許認可システムの崩壊に繋がります。

 

既に、国際労働市場では、日本の大学の卒業証書は、英語で教育をしているインドのような発展途上国の大学の卒業証書以下の価値しかありません。

 

時間の問題で、鎖国がなくなり、日本が、国際労働市場に参画することが不可避です。

 

高度人材は、日本が、年功型雇用システムが崩壊して、ジョブ型雇用になるか、仮に、そうならなくとも、国際労働市場で食べていくつもりです。

 

経団連と政府は2023年になっても春闘を問題にしています。

 

一方では経団連は、年功型雇用は維持できないともいっています。

 

もはや、言っていることは支離滅裂です。

 

ジョブ型雇用に転換することは、日本も、10年後には、アメリカと同じように、インド系の欧米の大学出身者や、インドの大学出身者が多数、企業のCEOになっているような国際労働市場が実現してる姿です。

 

もちろん、実力の世界ですから、インド系のCEOが多い状況が、10年後には、ベトナム系などの他の国の出身者に変わっている可能性はあります。

 

しかし、日本企業のCEOは日本人だらけという現状がなくなっているはずです。

 

日本が、デジタル社会へのレジームシフトを達成するためには、これは、避けて通れない道であると思います。

 

経団連参加の企業のCEOは、企業のCEOの半分以上が、日本人でなくなっているような国際労働市場の実現をイメージ出来ているのでしょうか。