(25)パースのブリーフ(belief)とは何か
(Q:パースのブリーフとは何かわかりますか?)
1)パースのブリーフ
パースのブリーフとは、パースの論文「The fixation of belief」に出て来るブリーフです。
この論文を理解するには、ブリーフ(belief)とフィクサション(定着、固定、fixation)の2つの単語を理解する必要があります。
このタイトルの翻訳ですが、「信念の確定の仕方」、「信念が固まるということ」、「信念の固定化」などの訳されることが多いです。
2)ブリーフ(belief)
しかし、ブリーフを「信念」と訳すことには問題があります。
パースは、「The fixation of belief」で、「コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ケプラー、ガリレオ、ハーヴェイ、ギルバートといった初期の科学者たち」を引き合いに出しています。
ここでは、ブリーフは科学的な法則の意味で用いられています。
つまり、パースは、自然科学における法則の検討と収束過程をモデルにして、その手法の適用対象を拡張することを考えて、「The Fixation of Belief 」を書いています。
ブリーフは、「説」と訳されることもあります。
次のような例が見つかります。
a belief of ancient times(昔の説)、a prevalent belief(一般に信じられていること)、Is this belief correct?(この説は正しいですか?)
Pragmatism(Wikipedia)には、次のような表現があります。
The role of belief in representing reality is widely debated in pragmatism. Is a belief valid when it represents reality?
現実を表現する上でのブリーフの役割は、プラグマティズムで広く議論されています。ブリーフが現実を表している場合、そのブリ―フは有効ですか?
この場合には、「信念」より、「仮説」の方がすっきりします。
3)フィクサション(fixation)
科学もモデルにして考えれば、仮説(hypothesis)は、検証(verification)を経て、学説(theory)になります。
仮説は、複数ありますが、学説になる仮説は、1つです。
この過程が、フィクサション(fixation)になります。
フィクサションも、「固定」のイメージにはそぐわないとおもわれます。
4)社会と哲学
Albert Atkin氏は、「 パース哲学の解釈」の中で次のようにいいます。
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哲学に対するパースのアプローチは、確立された科学者のアプローチです。彼は哲学をインタラクティブで実験的な分野として扱いました。パースが「実験室哲学」と名付けたこの哲学への科学的アプローチは、彼の作品全体の重要なテーマを反映しています。たとえば、プラグマティズムは、概念の意味をその実際的な意味に依存するものとします。この格言の結論は、それが私たちの生活や探求の仕方に実際的または経験的な影響を及ぼさない場合、その概念は無意味であるということです. 同様に、パースの探究理論の中で、科学的方法は、信念を修正し、疑いを根絶し、知識の最終的な定常状態に向かって前進するための唯一の手段であるといいます.
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Stanford Encyclopedia of Philosophy のプラグマティズムの解説の中で、Christopher Hookway氏は、次のように述べています。
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プラグマティズムは、世界をその中のエージェンシーと切り離すことができないものとして認識することを非常に広く理解する哲学的伝統です。
この一般的な考え方は、非常に豊富で、時には反対の範囲の解釈を引き付けてきました。たとえば、すべての哲学的概念は科学的実験によってテストされるべきであり、主張が有用である場合にのみ真であるということです。
関連して言えば: 哲学理論が社会の進歩に直接貢献しない場合、それはあまり価値がありません。
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「概念が私たちの生活や探求の仕方に実際的または経験的な影響を及ぼさない場合、その概念は無意味である」あるいは、「哲学理論が社会の進歩に直接貢献しない場合、それはあまり価値」がないといっています。
この切り口で考えると、ブリーフが何かは重要意味を持ちます。
5)ブリーフの例
5-1)政治
政策決定は、複数のブリーフから、1つを選択して実行する過程です。
政策提案A,B,Cは、別々のブリーフになり、その中から1つの政策が、フィクサション(fixation)されます。
パースは、4つの方法の中では、科学的な方法が唯一の実効性のある方法であると主張します。
有識者会議、欧米で実施している常識といった権威の方法では、失敗するとパースは言います。
もちろん、パースの主張はブリーフ(仮説)にすぎませんが、実績をみれば、パースの主張には分があると感じられます。
日本経済の30年の停滞は、パースが生きていたら、「 The Fixation of Belief」に書いたように科学的な方法を使わないからだというと思います。
5-2)アカデミズム
論文集に採択されてレビューをへた論文は確かだという判断がなされることがあります。
これは、権威の方法です。その論文集が、科学的な方法を採択していない場合には、レビューを経た論文が、実効のある「 The Fixation of Belief」にはなっていないことになります。
さらに、医学でいえば、EBMの基準であるエビデンスレベルの問題もあります。事例研究の論文は、価値が低いものです。レビューを経た論文でも、エビデンスレベルには大きな差があります。
それ以前に、ある学者が、レビュー付き論文を沢山書いていても、論文集が、科学的な方法を採用していない場合には、「The Fixation of Belief」の問題があります。
6)A:パースのブリーフとは
パースは、哲学に自然科学の手法の導入を試みました。
言い換えれば、自然科学以外の分野に、自然科学の方法を導入する挑戦でした。
自然科学の進歩は、利用できるツールに大きく左右されます。
同様に、自然科学以外の分野に、自然科学の方法を導入する場合にも、その成否は、利用できるツールに依存します。
現在、人類は、ビッグデータに見られるように、自然科学以外の分野に、自然科学の方法を導入する場合に、強力なツールを手にしています。
ブリーフに何を入れることが出来るかは、利用できるツールが左右します。
ブリーフを「信念」と訳して、対象を限定的に考えることは、パースのアイデアに反すると思われます。
なお、パースが、1877年に、科学的な方法が問題解決ができる唯一の方法であると主張したことは、1959年のスノーの「2つの文化と科学革命」を、82年前に予言していたと見ることもできます。
引用文献
The Fixation of Belief (1877) by Charles Sanders Peirce
https://en.wikisource.org/wiki/The_Fixation_of_Belief
Charles Sanders Peirce (1839—1914) Albert Atkin
https://iep.utm.edu/peirce-charles-sanders/
Pragmatism by Stanford Encyclopedia of Philosophy
https://plato.stanford.edu/entries/pragmatism/