科学的方法の進化論(3)

(3)The fixation of beliefの方法論

 

(Q:The fixation of belieは科学的な方法でしょうか)

 

1)パラレルワールド

 

科学方法論は、2層構造です。

 

リアルワールドでは、真の値に、観測誤差が加わっています。

 

サイエンスワールドは、観測誤差を除いた真の値を扱います。

 

リアルワールドは、インスタンスですが、サイエンスワールドは、オブジェクトです。

 

科学は、リアルワールドから、抽象化されたサイエンスワールドをつくります。

 

サイエンスワールドで論理を展開して、その結果をリアルワールドに、戻します。

 

科学方法論が、2層構造であるとは、科学がリアルワールドとサイエンスワールドからなるパラレルワールドの世界観を持っていることを意味します。

 

このことは、計算科学では自明です。

 

温暖化のシミュレーションでは、全球気候モデル (Global Climate Model, GCM)を作って研究します。GCMは、サイエンスワールドです。ここには、観測誤差はありません。

 

GCMの推定値で、将来の気温が上昇すると、リアルワールドの将来の地球の気温が上昇すると考えます。

 

このパラレルワールドの世界観が、効力を持つためには、次の2条件が必要です。

 

(1)サイエンスワールドの精度と性能

 

(2)2つのワールドの間の相似性、あるいは、2つのワールド間の情報の転写問題の解決

 

生成AIのつくる世界もコンピュータの中のサイエンスワールドです。

 

生成AIがおかしな解答をした場合、原因は(1)の場合と(2)の場合が考えられます。

 

GCMの結果をリアルワールドに転写する場合には、誤差を付与することはありません。生成AIの解答は、人間の解答と比較されますが、人間の解答のバラツキは非常に大きく、バイアスも多く、ノイズが正規分布をしていませんので、転写時、誤差を付与するような操作が必要になるかもしれません。

 

計算科学では、(1)が論じられますが、(2)が問題になることは少ないです。

 

データサイエンスでは、(1)と(2)を同時に論じなければならないので、難易度が高くなります。

 

(1)と(2)を分離する方法が必要になっているともいえます。

 

パラレルワールドは次の点で重要です。

 

a)メタバースは、サイエンスワールドです。サイエンスワールドはリアルワールドではない作り話と考えている人が多いですが、それは、サイエンスの2層構造に対する無理解、人文的文化の一層構造に基づく考えです。

 

リアルワールドには介入操作ができませんが、計算科学のように、サイエンスワールドは、容易に操作できます。GCMのサイエンスワールドでは、地球のコピーが量産され、タイムマシンより高速に、時間が進められています。

 

The fixation of beliefのような意見集約は、リアルワールドで行うより、サイエンスワールドで行う方が効率的です。リモートワークのクラウド上の世界は、サイエンスワールドになっている可能性もあります。

 

生成AIのサイエンスワールドでは、脳のコピーが量産され、脳より高速に、思考回路が回っています。

 

脳のコピーの精度は人間より悪く見えますが、処理速度とメモリー容量は、人間を越えています。

 

b)2つのワールド間の情報の転写問題は、極めて重要です。パースが、既存の哲学を形而上学として否定した理由は、言葉はリアルワールドから完全に独立にはならないからです。言葉を使って考える時には、2つのワールド間の情報の転写問題を意識しながら、思考を進めざるをえません。

 

パースあるいは、初期のプラグマティズムは、2つのワールド間の情報の転写問題を、リアルワールドへの介入によって、2つのワールドの相似性を確認して調整していく手順に求めています。

 

しかし、2023年の人類は、計算科学を持っています。その他にも探せば、使えるツールがあるかもしれません。

 

したがって、リアルワールドへの介入が、2つのワールド間の情報の転写問題の唯一の解決方法であると限定する必要はありません。

 

「2つのワールド間の情報の転写問題」が、重要であるというパースの視点は、卓見だったと思います。



2)プラグマティズム宣言

 

The fixation of beliefには、哲学の伝統である論理の正統性はありません。

The fixation of beliefでは、「リアルワールドと独立した論理の世界は、形而上学である。形而上学は科学ではない」として哲学を否定しています。

 

The fixation of beliefで、著名な哲学者のパースはこれこれ言っているという解説が多く見られますが、パースは、権威の方法を否定していますので、自分が言ったThe fixation of beliefが正しいという気は、さらさらないと思います。

 

これは、奇妙な状況です。著者のパースが、取り合えず書いてみましたというだけで、これが正しいかはわかりませんといっているThe fixation of beliefを、学者は、立派な哲学的な業績であるとして紹介しています。

 

1848年に、マルクスエンゲルスは、「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という有名な句に始まる共産党宣言を出しています。共産党宣言に感動した人も多いので、文学的には価値のある文献ですが、論理はお粗末です。

 

マルクスエンゲルスは、お粗末な論理を修正するために、資本論を書いていますから、論理がお粗末という視点が偏見でないことは理解してもらえると思います。

 

The fixation of beliefの論理も、同様に、お粗末です。これは、パースが、独立したサイエンスワールドの論理を形而上学として否定していますので、確信犯といえます。

The fixation of beliefの正しさは、科学の方法論の正しさに準じています。

 

科学的な方法論は、人類の実生活を変える上で、圧倒的な実績をあげています。

 

信仰(人文的文化)が生活の中心であったヨーロッパの中世と、科学的文化が発展したルネサンス以降を比べれば、その差は歴然としています。科学的文化は、レジームシフトを繰り返すたびに、労働生産性を向上させています。

 

人文的文化のみによる科学とは、ヨーロッパ中世が理想郷であるという意見ですから、筆者は、賛成できません。



最近では、女性の教育が出産に与える影響がでていますが、それ以前の人口増加のメカニズムは単純です。

 

科学によるレジームシフト=>労働生産性の向上=>所得の増加=>人口の増加



日本の場合、「労働生産性の向上=>所得の増加」がアウトになっています。



若年者の所得は、あがっていませんので、出生率がさがります。

 

補助金をばら撒くのは、時間稼ぎの弱形式の問題解決です。

 

労働生産性の向上=>所得の増加」の部分の強形式の問題解決をしなければなりません。

 

話が脱線しましたが、パースは、科学的な方法論は、人類の実生活を変える上で、圧倒的な実績をあげているので、哲学などの自然科学以外の分野にも、科学的方法論と取り入れるべきだと、The fixation of beliefを書きました。

 

The fixation of beliefは、プラグマティズム宣言のようなものです。

 

パースは、膨大な文書を残していますが、資本論のようなお粗末な論理を修正するための著書は書いていません。

 

それは、The fixation of beliefは、科学的方法論と同じように、使ってみればわかるという判定基準を採用しているからです。

 

これは一見すると経験科学の帰納法による証明のように見えます。

 

ニュートンの法則は、仮説であり、仮説は実験によって検証されます。

 

The fixation of beliefも、ニュートンの法則と同じ仮説のように見えます。

 

しかし、注意してみると、The fixation of beliefは仮説ではありません。

 

The fixation of beliefは、ニュートンの法則を生み出す科学の方法論の一般化です。

 

科学の方法論自体は、仮説検証の対象ではありません。

 

同様に、The fixation of beliefは、科学的方法で検証される対象ではなく、科学的な仮説よりメタレベルが1つ上になります。

 

科学の方法論自体は、仮説検証の対象はありませんが、科学的な方法論が、人類の実生活を変える上で、圧倒的な実績をあげたことで、科学の方法論は支持されます。

 

科学の方法論に含まれる2つのワールド間の情報の転写問題は単独の仮説の検証の対象にはなりません。

 

これは、言語が、2つのワールド間の情報の転写問題を含んでいることに由来するからです。

 

科学の方法論は、単独の仮説と検証事例では、評価できませんが、その方法論を繰り返し使った検証事例の集合をみれば、評価できます。

 

The fixation of beliefも、The fixation of beliefを使った事例の集合が、使わなかった事例の集合より、実生活を変える上で、圧倒的な実績をあげたと判断できれば、正しいと判断できると思われます。

 

3)具体的問題(A:The fixation of belieの方法論)

 

前回、The fixation of beliefのbeliefを、幅広く解釈すべきであると主張しました。

 

ここで、beliefに、適切な雇用形態を当てはめてみます。

 

雇用形態は、経営に必要なbeliefを集めるプロセスです。

 

経営の意思決定を誰がしているかに注目すれば、The fixation of beliefが使えます。

 

そうすると、年功型雇用は、権威による方法に相当します。

 

ジョブ型雇用は科学的方法に相当するでしょう。

 

こらから、The fixation of beliefを使うと、年功型雇用はやめて、ジョブ型雇用をすべきであるという結論が得られます。

 

これは、科学的な方法論のおすすめであって、必然的な法則ではありません。

 

しかし、パースは、The fixation of beliefを使わないと、実生活を変える上で、実績があがらない(企業であれば、生産性が上がり、賃金が上がらない)と言います。

 

そうすると、The fixation of beliefは、ジョブ型雇用のすすめになります。

 

適用に強引な部分もありますが、論じたいのは、その点ではありません。

 

年功型雇用が、日本経済に与えた影響について、仮説を提示している識者もいます。

 

個々の仮説については、筆者も意見がありますが、論じたいのは、仮説の妥当性ではありません。

 

年功型雇用が、日本経済に与えた影響についての仮説は、ニュートンの法則と同じレベルの検証されるべき科学の仮説です。

 

The fixation of beliefは、科学の仮説よりひとつ上のメタレベルです

 

つまり、The fixation of beliefによれば、年功型雇用が、日本経済に与えた影響についての仮説を検証するまでもなく、最初から、ジョブ型雇用が、年功型雇用に、生産性で負けることは自明になってしまいます。

 

これは、科学的方法の常識からすれば、ショッキングな結論に思われます。

 

エビデンスによらず、最初からわかっている場合があることになるからです。

 

科学的方法論は、メタ科学であって、科学的方法論では検証できません。

 

The fixation of beliefは、形而上学(独立したサイエンスワールドの論理)ではないので、哲学として自己完結はしません。あくまで、哲学的な伝統にすぎません。

 

メタ科学としての哲学的な伝統は、The fixation of beliefのようなメモや箇条書きで十分と思われます。あるいは、科学的習慣を記録したものかもしれません。

 

しかし、メタ科学としての哲学的な伝統が不要になる訳ではありません。