(9)科学的方法の拡大
(パースの科学的方法は、その後の科学の発展を考慮して理解されるべきです)
パースはラボアジェを例に、次のように述べました。
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数世代にわたって記憶されるほど偉大な科学の作品はすべて、それが書かれた当時の推論技術の欠陥の状態を示すいくつかの例証を提示しています。ラヴォアジエとその同世代の人々が化学の研究に取り組んだときもそうでした。昔の化学者は、「読んで、読んで、読んで、働いて、祈って、また読んで」という言葉を信条としていました。ラヴォアジエの方法は、本を読んで祈ることではなく、長く複雑な化学的プロセスがある効果をもたらすと夢想し、鈍い忍耐でそれを実践し、必然的に失敗した後、何らかの修正によって別の結果をもたらすと夢想し、最後の夢を事実として公表して終わることでした。彼の方法は、自分の心を実験室に持ち込み、文字通り、蒸留器(alembics)と蒸留瓶( cucurbits)を思考の道具にすることで、推論を、言葉や空想の代わりに現実のものを操作して、目を開いて行うものという新しい概念を与えました。
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これから、パースは、「読んで、読んで、読んで、働いて、祈って、また読んで」という信条に替えて、ラヴォアジエの「自分の心を実験室に持ち込み、文字通り、蒸留器(alembics)と蒸留瓶( cucurbits)を思考の道具にすることで、推論を、言葉や空想の代わりに現実のものを操作して、目を開いて行う」ようなプロセスを目指していたことがわかります。
ラボアジェは、モノに対する科学的な推論技術ですが、The fixation of beliefの時代には、コトに対する科学的な推論技術は存在しませんでした。
したがって、4つの方法の中で、他の3つの方法が実在する方法を述べているのに対して、科学的方法だけは、実在しないコトに対する科学的方法の開発宣言になっています。
The fixation of beliefには、科学的にブリーフを固定化するプロセスは書かれていません。
プラグマティズムは、その提案の一つですが、科学的にブリーフを固定化するプロセスであれば、プラグマティズムにこだわる必要はありません。
ダーウィンの進化論には、遺伝子もDNAも出てきませんが、現在の進化論は、遺伝子やDNAを使います。ダーウィンの進化論を「読んで、読んで、読んで、働いて、祈って、また読んで」理解する人は誰もいません。
一方、The fixation of beliefを「読んで、読んで、読んで、働いて、祈って、また読んで」理解する人は後を絶たない気がします。
パースは。The fixation of beliefが、進化論と同じように、科学的文化で理解されることを想定していたと思われます。
2)シミュレーションとブリーフの実装
科学の2層構造の世界観では、サイエンスワールド(SW)とリアルワールド(RW)があり、その間を、転写の写像が結んでいます。
地球温暖化ゲームとGCMの違いは、どこにあるのでしょうか。
観測される違いは、次の2点です。
(a1)シミュレーションの精度が違う
(a2)転写の写像が違う
GCMの精度は次第に改善されてきています。
それからすると、(a2)の説明の方が合理的です。
SWの推論は、ブリーフによって行われます。
しかし、ブリーフだけでは、RWに転写可能なSWを生み出すことはできません。
運動方程式は、GCMに実装されて、はじめて、RWに転写可能なSWを生み出すことが出来ます。
ブリーフはオブジェクトであって、SWはブリーフが実装されたインスタンスになっています。
この本で、繰り返していますが、ブリーフが理解できているか否かは、ブリーフのインスタンスを作ってみてはじめてわかります。
これはブリーフの理解の視点からの説明でが、科学的方法の説明と解釈することも可能です。
「地球温暖化はやめるべきだ」というブリーフは、実装不可能です。
「二酸化炭素の排出を減らす」というブリーフは、実装可能です。
「化石燃料の使用を減らす」というブリーフも、実装可能です。
「燃費効率を向上させる」というブリーフも、実装可能です。
ブリーフを選抜して、固定化する過程は、The fixation of beliefになります。
GCMの社会経済モジュールは、こうした政策ブリーフに対応しています。
今まで流れを整理すると以下になります。
SWのブリーフ=>SWのブリーフのインスタンス(GCM)=>転写=>RW
これは、GCMを参考にして改訂したThe fixation of beliefの科学的方法になります。
SWのブリーフのインスタンス(GCM)には、(a1)精度問題が、転写には、(a2)写像の問題があります。
SWのブリーフには、(a0)実装可能性問題があります。
科学的方法では、ブリーフの最終評価は、RWのエビデンスを見て行います。
しかし、エビデンスは、いつでも利用可能ではありません。
「二酸化炭素の量が増えると、地球の気温が上昇する」というブリーフが完全に実現してしまってから、クライシスになって、対策をとることは不可能です。
つまり、実験が不可能な世界があり、そこでは、実験を代替するか近似する手法を使わざるをえない問題(実験不可能科学の問題)があります。
ブリーフの固定化に対する実験不可能科学の問題は、地球温暖化問題以外に広く見られます。
少子化対策、経済成長問題など、多くの社会問題は、実験不可能科学の問題に該当します。
少子化対策に予算が倍増される計画が出てきています。
このブリーフの固定は、妥当でしょうか。
パースは、固執の方法、権威の方法、形而上学をブリーフの固定に使うと失敗する確率が高くなると言っています。
筆者には、今回の少子化対策の予算は、権威の方法によっているように見えます。
ここでは、検討を進めるために、今回の少子化対策が科学的方法ですすめられていると仮定します。
少子化対策の予算は、実験不可能科学の問題です。
少子化対策予算が増額されるので、その効果が出るまで、待つべきだと判断する人も多いと思われます。
しかし、これは、間違っています。
例えば、温暖化対策をしても、クライシスを止められるだけの効果が得られないのであれば、その対策は無効です。筆者がいう弱形式の問題解決に相当します。
弱形式の問題解決は、問題をこじらせて、解決不可能にしてしまうので、避けなければなりません。
そこで、今回の少子化対策が、弱形式の問題解決になっていないかが重要になります。
ところで、少子化対策予算は、情報量が少なすぎて、実装不可能です。
つまり、「(a0)実装可能性問題」で、科学的検討が停止してしまいます。
マスコミを見ると政府の新政策について、識者と呼ばれる人がコメントしています。
しかし、科学的方法によってブリーフの固定化を検討するのであれば、実装に可能な情報が欠如している場合には、
「情報がないので、判断できない。ブリーフに実装可能な情報が含まれていないことから、ブリーフは、非科学的方法(おそらく、権威の方法)によって、固定化されているので、ブリーフの固定化方法に問題があり有効な効果が出る確率は低い」
と答えるのが妥当と思われます。
データがないにもかかわらず、いい加減なコメントをする識者には、科学文化が欠如しています。マスコミには、人文的文化のバイアスが蔓延しています。
GCMのように、ブリーフの高度な実装を実現することが容易ではありません。
しかし、不完全でも、ブリーフの実装を試みる価値はあります。
大学では、論文の中身を問わず、本数で業績を評価するドキュメンタリズムは蔓延しています。この傾向は1990年頃か拡大しています。難易度の高いテーマは、成功する確率は低いです。短期的に成果をも求められれば、直ぐに論文になる簡単なテーマばかりが選択されます。画期的な成果は、失敗を許容する科学的文化の中からしか生まれません。
政府は、大学の研究力強化のため創設した10兆円規模の大学ファンドの支援校である国際卓越研究大学に配布する計画です。
配布額は、3000億円を計画しています。
政府は、リターンの皮算用をしています。これは、世の中には、正解があり、成果が計算できるという人文的文化です。
この方法で行えば、難易度の高いテーマは回避され、ドキュメンタリズムが蔓延します。
科学は失敗を許容する文化です。
3000億円の分け前にあずかりたい人は大ぜいます。しかし、科学に興味や関心のない人を集めても、実績は出せないと思われます。
パースは、日本の大学のレベルが低下した原因は、ブリーフの固定化が科学的方法にしたがっていないからだと言うと思われます。