(13)労働移動と労働市場
(Q:日本の労働移動と労働市場の問題点を例をあげて説明できますか)
1)AIと労働市場
2023年3月4日の日経新聞の一面に「製造業、AIで研究革新」というタイトルで、AIを使って、医薬や素材産業で、開発時間の短縮がはかられている事例が紹介されています。
記事には書かれていない留意点を指摘しておきます。
(1)AIの性能
AIを導入することは、もはや、当たり前です。オープンライブラリを使えば、AIを使うことは、学部レベルの大学生でもできます。
問題は、AIの性能です。自動運転を考えれば、分かりますが、性能の悪いAIしか使えない企業は淘汰されます。
同じ問題が、製造業に起こっています。
AIの性能は、アルゴリズムと学習データで決まります。
DXが遅れていて、過去に学習に使えるデジタルデータのストックが十分にない企業が生き残れる確率は下がっています。
今後、「性能の悪いAIしか使えない企業が淘汰」される問題は、製造業を超えて、全産業に広がっていくでしょう。
日本には、チャットGPTのような強力なAIエンジンを開発できるベンチャーはありません。
今後は、「AIエンジンを開発できるベンチャー」を育てるか、海外の「強力なAIエンジン」を使用料を払って利用するかの選択になります。
日本には、エコシステムがないので、「AIエンジンを開発できるベンチャー」を育てることは難しいです。
海外の「強力なAIエンジン」を使用料を払って利用する場合には、貿易収支の赤字が拡大することになります。
つまり、製造業など多くの産業の利益を生む部分が、AIソフトになる可能性が高いです。
逆に言えば、日本より技術レベルの低い国の企業でも、より優秀なAIソフトが使えれば、日本企業を追い越すことは可能です。
今後、AIソフトの開発ポテンシャルの高いインドや中国からそうした企業が出て来るはずです。
これは、企業の評価額で、テスラが、トヨタを追い越したストーリーと同じ構造です。
(2)労働移動
AIで、開発時間が短縮できることは、それまで、開発に携わっていた人が不要になることを意味します。
ジョブ型雇用をする海外の競合企業では、AIの導入に伴って、開発に携わっていた人をレイオフします。少なくとも人数の削減が行われます。
その結果、開発時間の短縮と開発コストの削減が図られます。
AIソフトの使用料あるいは、AIソフトを自社で開発するコストは、この2つの機会費用で説明できます。
つまり、レイオフできない年功型雇用で、AIを使って開発時間を短縮しても、開発コストの削減が実現出来なければ、競争有利ではなく、競争不利になってしまいます。
2)医療費とAI
野口 悠紀雄氏は、「2040年の日本(2023)」の中で、経済成長がなければ、増大する社会保障費負担ができなくなると警告を発しています。
2-1)技術進歩
社会保障費を削減できると考えられる技術には、次があります。
(1)介護ロボットなどのロボット
人間と同じロボットの形を想像すると、現実的ではありません。
歩行補助機など、注目されませんが、介護ロボットの導入は進んでいます。
(2)医療診断などをするAI
CTスキャン等の画像解析では、既に、実用化され、解析できる医師の不足を補っています。
アマゾンは2022年3月、遠隔医療分野の最大手テラドックとの連携しています。スマートスピーカー「アマゾンエコー」の利用者は音声アシスタント「アレクサ」を通じて、テラドックのプラットフォームに参加する医師の相談を受けられるようになりました。
(3)アップルウォッチなどの予防医療
アップルウォッチは、実用化され、問題も指摘されてはいますが、危機的な健康状態の場合に、自動的に救急車を呼び出すサービスによって、救命される人が出ています。
今後は、アップルウォッチは生活習慣病への適用が広まると思われます。
個人の体内から出たトイレの排泄物から、健康状態をモニタリングするシステムも開発されています。
米国食品医薬品局(FDA)は2020年9月、医療機器・放射線保健センター(CDRH)内にデジタルヘルス技術に関する専門部署「デジタルヘルス・センター・オブ・エクセレンス(DHCoE)」を立ち上げ、モバイルヘルス機器や医療機器ソフトウエア、ウエアラブル技術などのテクノロジーの発展を進めています。
なお、アップルウォッチには、スマホの番号に関係づけられています。
つまり、健康管理データベースの個人認識IDはスマホのナンバーになっています。
後発のマイナンバーを使うメリットはほぼ消滅しています。
2-2)削減可能な費用
技術進歩で、新しい機材を投入した場合、費用負担は増大します。
つまり、費用削減には、新しい機材で代替された部分の費用を削除する必要があります。
ここには、「製造業、AIで研究革新」で論じたと同じ労働移動の問題があります。
簡単にいえば、介護士、看護師、医師の労働移動なしに、社会保障費は削減できません。
なお、安楽死を社会保障費は削減問題として論じている人もいますが、安楽死は、QOL(Quality of Life)の問題です。
田中ゆう氏によれば、ベルギーでは2022年2,966人が安楽死によって死亡し、2021年から10%増加。2021年、2022年ともに最も多い理由は「がん」でした。
安楽死の経済効果はとても小さいので、無視できます。
2-3)医療経済学のソリューションデザイン
2019年に、厚生労働省は、将来必要な医師数について、2次医療圏ごとの推計、診療科ごとの見通しを公表しています。北海道内では2036年時点において19圏域で医師不足となっており、不足が生じないのは2圏域のみになっています。
つまり、現在の日本では、医師の労働移動が適切でない問題を抱えています。
この問題に対して、北海道は、遠隔地の医師の給与をあげる対策をとっていますが、医師不足問題は解決されていません。
日本の労働市場の中で、医師の給与は、年功型でない例外に属します。
それにもかかわらず、労働移動に問題があります。
市場経済で考えれば、労働移動に問題がある原因は、労働価格です。
医師の所得(労働価格)は、勤務医と開業医の2階建てになっています。
このため遠隔地の医師の給与をあげる対策には効果がありません。
開業医の所得は、保険医療の点数制度で決まります。
この点数は市場原理を反映していない政治取引になっています。
点数制度では、DXを進めるメリットはありません。
2023年2月22日に、東京保険医協会の医師ら計274人が国を相手取り、健康保険証の代わりにマイナンバーカードで保険資格を確認できるオンラインシステムの導入を国が医療機関に義務付けたことは憲法違反だとして訴訟を東京地裁に起こしています。
この訴訟は、現行の健康保険証の維持を求めています。
つまり、点数制度のもとで、医師の利益を最大化する行動は、現行の健康保険証の継続になります。
点数制度は、医療の技術進歩と社会保障費の削減を阻害しています。
中期的な問題は、日本では、デジタル医療技術が育たないため、今後、デジタル医療技術の使用料を海外企業に支払い続けなければならなくなることです。
つまり、点数制度は、デジタル医療技術を開発した科学立国を放棄していることになります。
3)A:日本の労働移動と労働市場の問題点の例
適切な労働移動と労働市場がなければ、科学技術立国は不可能です。
問題がある所に、個別の対策をすることは不合理で、科学的ではありません。
古い建物の屋根に空いた穴をふさいでも、問題は解決しません。
レジームシフトが起こっていますでの、新しい建物の設計図をつくる必要があります。
新しい建物の設計図をつくることは、屋根に空いた穴をふさぐことよりも、時間がかかります。屋根に空いた穴をふさぐことよりも一件当たりの費用は高くなりますが、中期的に、経費を削減するには、立て直すことがベストです。
新しい建物の設計図をつくるには、時間がかかる上に、現在のシステムを作り替えるので、利害関係が発生します。
しかし、利害関係の調整を回避すれば、日本は国際競争に負けてつぶれてしまいます。
労働人口移動と労働市場の問題点の例は多数ありますが、その費用の規模、影響の大きさからすれば、社会保障が最大の分野です。
医療経済学のソリューションデザインが、日本経済の将来を左右すると言えます。
引用文献
米国で遠隔医療などのデジタルヘルス市場が成長 2020/11/29 JETRO
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2022/60886751fce8949a.html
我が子5人を殺し自殺に失敗した母親は、16年後の同じ日に安楽死を選んだ 2023/03/04 Newsweek 田中ゆう
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/03/516.php