日本は如何にして発展途上国になったか(9)

(6)フェイクの弊害

 

(フェイクの弊害の例をあげます)

 

1)フェイクの適用範囲

 

経験科学は理論科学には、勝てません。それは、仮説検証という過程を経ているためです。

 

経験科学が、理論科学に勝てるという仮説、いいかえれば、人文的文化で、科学的文化が説明できるという仮説はフェイクです。

 

人文科学が、時間の選別を経て生き残っているので、正しいという説明も、もちろんフェイクです。

 

フェイクが横行して、理論科学の結果が、人文科学で反転させられれば実害がでます。

 

毛沢東は、社会主義を進めれば、資本主義以上に生産性を上がられると主張して、大躍進を指導しました。しかし、実態は、毛沢東の取り巻きが、忖度して、生産性が上がっているというフェイクの報告をした結果、最少推定でも2000万人が餓死しています。

 

ABC3種類の住宅の構造計算結果が報告された場合、人文科学は、その設計書を元に、どの住宅を設計するかを選択することはできます。

 

しかし、設計書の内容を改竄することはできません。それをすれば、姉歯事件になってしまいます。

 

ところが、フェイクが横行すると、理論科学の結果が、人文科学で改竄できると考える人がでてきます。構造計算の結果は、人文科学で変えられると考える人がでてきます。



2)経済成長のモデル

 

経済政策の効果は、経済成長のモデルで推定できます。

 

姉歯事件の姉歯氏は、エンジニアとしては問題の多い人でしたが、構造設計プログラムをマニュアル通りにデータを入れて計算すれば、姉歯氏の計算結果も、優秀な建築家の計算結果も同じ数字になります。

 

科学とは誰が計算しても同じ結果になるので、信頼される仕組みです。

 

したがって、経済の素人の筆者でも、モデルを使った結果が提示されるという条件であれば、この問題を論ずることができます。

 

金融緩和政策の効果は、経済成長のモデルで推定できます。

 

金融緩和には、生産性の向上効果はありませんので、どの経済モデルで計算しても、ネットの経済成長がないという結果になるはずです。もちろん、円安になれば、見かけの経済成長が出てきますが、それは、ネットの経済成長ではありません。そのことは、基軸通貨のドルで評価すればわかります。

 

実際に、アベノミクスで、円建ての株価は上がりましたが、ドル建ての1人当たりGDPは、OECDで最下位に近い発展途上国になったことは、その事実を反映しています。

 

自民党の投票者の基盤は、既存の業界団体です。既に、レジームシフトで、なくなっているはずの業界にも、補助金をつけて温存をはかってきたのは、選挙の票を稼ぐためです。

 

自民党の議員は、レジームシフトが起こりつつあると感じていると思います。

 

一方では、支援者業界を切り離すことは、落選のリスクを負うことになるので、避けています。

 

しかし、企業の改廃、生産性の高い業種への労働者の労働移動なしに、経済成長することはできません。

 

筆者には、デジタル社会へのレジームシフトの最中に、業界再編を行わないことは、自殺行為に見えます。

 

こうした中で、金融緩和すれば、業界の再編なしに経済成長できるという理論は、自民党には都合の良い問題解決で、忖度にあたります。

 

アベノミクスは、忖度にのって、実現不可能な政策を10年続けてきました。

 

政策が実現するか否かは、日銀総裁が優秀か、無能かとは関係ありません。

 

イェール大学アシスタント・プロフェッサーの成田悠輔氏が2021年12月の「ABEMA Prime」の動画等度で、高齢化社会の解決のため「高齢者は集団自決すれば良い」という発言をしていたことが2023年1月にSNS等で議論になりました。成田氏はこの言葉を「世代交替」の「メタファー」として用いていますが、社会福祉カットも論じています。

 

生産性が上がらなければ、大躍進の時と同じように、生存が困難な人が出てきます。

 

日本の状況は、大躍進の頃と似てきています。

 

2月10日に、政府は、日銀の次期総裁に、金融緩和論者の植田和男氏を内定しました。

 

これは、今後も、金融緩和を続けるという意思表示になります。

 

マスコミは、誰が、日銀総裁になるかで、金融政策がかわるような報道をしています。

 

しかし、経済モデルをつかった、科学的な金融政策をとる限り、誰が、日銀総裁になっても、実現可能な政策の選択の幅は、極めて狭いはずです。

 

異次元金融緩和で経済成長するという科学的な根拠があれば、日本以外のOECDで既に実施しているはずです。

 

異次元金融緩和のような科学的な根拠に基づかない金融政策をとれば、実害が発生することは不可避になります。

 

経験科学が、理論科学に勝てるというフェイク仮説には注意しなければなりません。

 

3)変換点

 

異次元金融緩和のアベノミクスが出てきた時に、日銀は反対していますが、政権は、組織潰しの圧力をかけて、ゴリ押ししています。

 

筆者は、日銀が反対した理由は、経済モデルの結果から、異次元金融緩和には効果がないことが自明だったためと考えます。

 

モデルは、エビデンスに合わせて修正(調整)されます。

 

元日銀理事の山本謙三氏は、2%物価上昇を目標としたリフレ政策について、「完膚なきまでに否定された。事実がそうならなかった。『中央銀行万能論』の下、中銀が人々のインフレ心理を自在に操れると考える危ない理論に立脚」していたと指摘する。

 

リフレ派といったラベリングで問題を考える人は、人文的文化です。これは、資本主義か社会主義かという2分法と同じ人文的文化です。この思考法は、バイナリーバイアスがあるため、破綻しています。



科学的文化では、金融政策が、リフレ派といった派閥で変わることはありません。問題は、金利の数字だからです。適性な数字は、モデルの予測値の評価基準のパラメータで決まります。自動車がカーブを曲がる時には、カーブの曲率に合わせて、ハンドルを切る角度を調整します。ハンドルを左右に乱暴に切れば、自動車は、不安定になります。それが、理想の運転ではないことは言うまでもありません。

 

「リフレ派は経済学界の異端か」といった人文的文化の議論を仕掛ける人が依然として多くいます。これは、経済モデルの予測値より、経験科学の判断が優るという主張です。

 

アルファ―碁に人間が負けるわけがないという論理と同じエビデンスを無視したフェイクです。

 

こうした場合には、「二つの文化と科学革命」と同じフェイク手法が用いられます。

 

その第1は、海外の都合のよい主張だけをピックアップして、紹介することです。

 

その第2は、海外の事例を引用するときに、都合のよい解釈を当てはめることです。

 

日本では、英語の文献をあたる人は少ないので、こんな単純なフェイクが成り立ちます。

 

これは、情報統制が強いと言われる中国でも使われている方法です。

 

中国では、中国語の情報には、政府の統制が入ります。

 

一方、海外の英語の情報にアクセスできない訳ではありません。

 

しかし、英語の情報を見る人は少ないので、中国語の情報を制限するだけで、十分な効果が発揮できています。

 

日本にも同じメカニズムがあります。

 

フェイクを信じると、(理論)科学の結果が、人文的文化で改竄できることになります。

 

筆者は、そのルーツは、民主党政権にあったと考えます。

 

民主党政権は、官僚の協力が得られず、大きな成果があげられませんでした。

 

その原因は、一般には、官僚の利害を無視したためと思われています。

 

しかし、筆者は、その原因は、民主党が、科学の結果を改竄できるというフェイクを信じたためだと考えます。

 

民主党の政策が、科学的根拠を持っていれば、官僚は動いたと考えます。

 

行政仕分けで、埋蔵金を回収すれば、増税は不要という主張は、間違っていて、財源不足に陥りました。

 

安倍政権は、民主党のフェイク活用を参考にして、フェイクの手法を洗練させました。

 

政治主導、官邸主導とは、科学的文化より、人文的文化(政治、利権)が優先するという主張です。

 

この主張で、幹部人事は、人文的文化の忖度で行われています。

 

大規模金融緩和もその一部と思います。

 

なぜなら、大規模金融緩和には、政策効果のエビデンスを見て、金利を調整するメカニズムがなかったからです。

 

これは、科学的文化の否定なので、政策に効果はでません。

 

また、問題になりそうなエビデンスは取り上げません。

 

4)まとめ

 

フェイク対策には、エビデンスに基づく科学的政策を行う必要があります。

 

政策は、予算金額だけでは不十分で、評価指標、変化速度、計測されたエビデンスの数字を問題にし、1、2年で改善されない場合には、手法を変化させて、再評価する必要があります。

 

この場合、インフレ目標は、評価基準にはなりません。

 

政策の最終目標は、一人当たりGDPや所得の増加にあると思われます。

 

インフレ目標は、一人当たりGDPの代りにはなりません。

 

インフレで物価があがって、給与が増えなければ、所得は減ってしまいます。

 

目標は、名目ではなく、実質の一人当たりGDPでなければ問題外だと思います。

 

こんな初歩的なことは、経済学者は誰でも承知しています。

 

しかし、フェイクは、それが表に出ないところまで、徹底しています。