今、日本で起こっていること(3)

(日本のブードゥー経済学について説明します)

 

5)レジームシフトの現実

 

5-1)レジームの区分

 

ジームシフトは生態学の概念で、生物が棲息する環境が一括して変化してしまう非可逆的な変化を指します。

 

ここでは、次のレジームを想定しています。

 

(1)農業社会

 

(2)工業社会

 

(3)デジタル社会

 

農業社会では、体力のあることが経済的に有利でした。このため、男女間の生産性の違いを解消することは難しかったと思われます。

 

農業社会で使われる機械は、犂や鍬で、動力には、牛や馬を使っていました。

 

工業社会では、自動車やその派生形であるトラクターが使われます。現在は、100馬力以上の力のある自動車は、普通に走っていますが、農業社会では、100頭の馬を所有して、1人で使いこなしている人はいませんでした。

 

つまり、農業社会と工業社会の間には、大きな生産性の差があります。

 

デジタル社会の定義は、多様で、統一的な見解はないと思います。

 

しかし、経済の問題としてレジームシフトを考えるのであれば、筆者は、生産性に注目して、分類すべきだと考えます。

 

例えば、自動車はEVに移行する可能性があります。EVは、工業社会の製品化、ソフトウェアが搭載されているので、デジタル社会の製品か判断が分かれます。

 

このような場合には、生産性をキーに分類すべきと考えます。

 

EVを動力の違いで見れば、内燃機関の自動車も、EVも、工業社会の製品に見えます。

 

一方、EVが自動運転を可能にすれば、これは、労働生産性を大きく改善しますので、デジタル社会の製品と考えることができます。

 

テスラの自動車1台当たりの利益はトヨタの約7倍あります。税引き前粗利益率は17%で、業界他社平均のほぼ2倍あります。

 

これは、テスラをデジタル社会の企業(デジタル企業)と見なせることを示しています。

 

GAFAMなどのビッグテックは、工業社会の企業では考えられないような、高い利益率を出しています。

 

高い利益率を生み出す源泉はソフトウェアまたは、ソフトウェアと組み合わされたハードウェアです。

 

高度なソフトウェアを作ることができるのは、高度人材だけです。

 

デジタル企業は、高い給与を払って高度人材を抱えています。

 

最近日本では、高度人材の獲得が話題になっています。

 

高度人材の検討は次回にまわします。

 

5-2)レジームシフトの効果

 

1960年代に日本は高度経済成長を達成しました。

 

潜在成長率の考えでいえば、要因は次の3つです。

 

(1)資本整備

 

戦争で、破壊された設備を整備する場合には、確実な経済効果が見込まれます。

 

(2)労働力

 

高度成長期は、人口ボーナス期でした。

 

(3)生産性

 

高度成長期には、東京を中心とした大都市圏に、地方から人口移動がありました。

これは、農業から、工業への人口シフトでした。

 

農業の生産性は低く、工業の生産性は高かったので、その差の分だけ生産性が上がりました。



この労働移動は、農業社会から工業社会へレジーム移動の主要な部分でした。

 

労働移動は、田中内閣の均衡ある国土開発計画で、減速し、高度成長が終わります。

労働移動によって農業者は高齢化し、地方の集落には消滅したところもあります。

 

こうした場合に、人文的文化の人は、過疎問題があるといいます。

 

しかし、農村から都市への人口移動がなければ、生産性はあがらず、日本は先進国にはなれませんでした。

 

つまり、過疎問題という独立した問題は存在しないのです。

 

「農村から都市への人口移動の適切な速度はあるか」、「格差は不可避なので、それを補填する政策があるか」など複数の切り口で問題を整理する必要があります。

 

科学的文化では、こうした複雑な問題は、適切な評価関数を設定して、評価関数が、最大または、最少になる手段を検索する数学問題に置き換えられます。

 

人間の頭で扱えるパラメータの数は7つ程度で、各パラメータのレンジも5から8段階(3ビット)程度です。これより複雑な問題は、数式に置き換えて分析しないと、解くことができません。



6)脱落している日本

 

日本の社会は30年間、「変わらない日本」であると言われてきました。

 

これは、賃金や1人当たりGDPが変化しなかったことを意味しています。

 

しかし、時間微分(変化率)に注目すれば、違った世界になります。

 

微分方程式で考えれば、重要な変量は、時間微分または、2階の時間微分です。

 

力学の場合には、距離の時間微分は速度になり、速度の時間微分は加速度になります。

 

同様に考えれば、1人当たりGDPの時間微分や2階の時間微分を考えれば、将来の変化量が予測できます。

 

アメリカの場合には、年率3.7%でした。

 

先進国(OECD平均)この値を計算するのは面倒なので検索をかけたところ、見つかりませんでした。つまり、時間微分を気にしている人は、ほとんどいないことになります。

 

また、OECDの中の日本の1人当たりGDPのランキングを問題にしている記事を多く見かけました。1人当たりGDPは順序変量ではなく、四則計算のできる普通の変量です。順位の値より、1人当たりGDPの金額の方がはるかに情報量が多いので、順位で論ずるべきではありません。

 

こうして見ると、日本の1人当たりGDPを論じている人の多くは微分方程式の科学的文化が理解できない人文的文化であることがわかります。

 

さて、前書きは、ここまでにして、本題は、座標系の取り方です。

 

日本が先進国であるか否かは、OECD平均をゼロ点にとって、そこからの距離を計測すべきです。

 

OECDの1人当たりGDPの増加率の数字は見つかりませんでした。この計算は面倒なので、ここでは、パスして、アメリカの3.7%を例に説明します。

 

3.7%が、OECD平均の1人当たりGDPの増加率だったと仮定します。座標系のゼロ点をここにとれば、日本は、毎年マイナス3.7%の速度で、先進国から脱落していることになります。

 

緊急の課題は、脱落をとめることです。

 

変わらない日本と言っている人は、人文的文化で、微分が分らないのです。科学的文化であれば、日本という飛行機は急速に失速していて、もうすぐ、限界速度をきって、きりもみ状態になると見えるはずです。

 

7)経済成長への出口戦略

 

7-1)平均値の問題

 

アメリカの景気が落ち込んで、ビッグテックはレイオフをしています。レイオフは化学企業のダウにも及んでいます。

 

新聞は、アメリカはレイオフして大変のように記事をかきます。

 

如何にも、アメリカは悲惨で、日本はよいと言わんばかりです。

 

しかし、レイオフすれば、生産性は落ち込みません。

 

農村から都市へ人口移動があったときに、過疎問題があるといった人文的文化の研究者がいました。その人は、過疎問題は止めるべきだと思っていたのでしょう。

 

現在、日本では、レイオフを原則禁止しているので、レイオフ問題は表面化しません。

 

本来であれば、アメリカの企業と同じようにレイオフしたい経営者は日本にも多くいるはずです。

 

過去30年間、アメリカは、解雇と雇用を繰り返し、そのダイナミズムの中で生産性をあげてきました。

 

日本が、レイオフをしないことは生産性がさがり、給与が下がることを意味します。リスキリングしても、就職口がないことを意味します。



つまり、問題が多いのは、新聞には記事が載らないレイオフできない日本の方です。

 

なぜなら、生産性が低下し続けるのを、放置せざるを得ないのですから。

 

この状態を放置して、政府は賃金を上げるといっていますので、人文的文化の発想でしょう。

 

イギリスでは、1979年5月から 1990年11月まで、サッチャーが首相になり、民営化を進めます。人文的文化では、サッチャーの政策は、サッチャリズムと呼ばれる独自の主義であると評価されます。科学的文化では、平均生産性を上げるために、生産性の低い部門を廃止して、生産性の高い部門に切りかえることを意味します。これは、サッチャーの独創ではなく、単純な平均値の計算問題です。

 

日本でも、道路公団などの民営化が行われますが、体系的に生産性がモニタリングされてはいません。

 

民主党政権では、行政仕分けと言って無駄な事業は中止させるという魔女狩り裁判が行われました。大切なことは生産性のモニタリングでした。生産性の低い事業は、基本的に中止すばきです。しかし、生産性の低い事業でも、必要な事業はあります。そうした場合には、追加投資をする代わりに、人べらしをして生産性を上げなければなりません。生産性の値をどう使うかは、為政者の判断ですが、判断基準の値は必須で、これがなければ、説明責任は果たせません。民主党の政治家は、人文的文化で、科学的文化の生産性の数字が理解できなかったのです。

 

現在の政府は予算をばら撒きますが、予算の生産性への寄与はモニタリングしていません。

 

予算をばら撒いた結果、生産性の低い部門が経済から退出したという話は聞きませんので、恐らく、生産性への寄与はゼロに近いでしょう。

 

政府は、補助金を増やして、財源がなければ、増税する計画です。

 

野党は、増税せずに、補助金だけを増やせと言います。

 

あるいは、経済成長があれば問題はないはずだといいますが、経済成長をする方法は提示されません。

 

どちらも、同じ、人文的文化の間違いです。

 

これは、数学の問題です。生産性を上げるために、出来るだけ速く、労働者を生産性の低い部門から、生産性の高い部門に、移動させる以外に方法はありません。

 

過疎問題と同じような解雇問題は発生しますが、そのダメージは、日本社会の将来の所得、年金、医療が崩壊して、犯罪が多発する時に起こるダメージに比べれば、はるかに小さなものです。

 

裁判官は解雇は違法という判決を出します。しかし、解雇しないことが、日本の社会を破壊してしまうのであれば、合法か違法か以前に、必要であれば、法律を変えて、日本の将来を良い方向に導く倫理的な責任があります。倫理的な責任は、法律を変える原動力なので、合法性より優先するべきです。

 

7-2)デジタル社会の課題

 

デジタル社会の企業の生産性は、工業社会の企業の10倍近くあります。オーダーが違います。その差は、有効なソフトウェアの開発にあります。その内容については、次回に考えます。

 

高度成長期は、農業から、工業に、労働者が、人口移動することで、生産性があがりました。

 

同様に、デジタル社会では、工業から、デジタル企業に、労働者が人口移動することで、生産性が劇的に上がります。

 

GAFAMのエンジニアの給与が高いことは、このことを示しています。

 

問題は、日本には、デジタル企業が見当たらないことです。

 

人文科学のドキュメンタリズムは、雨ごいにその典型をみることができます。

 

雨が欲しい=>雨を作る組織を作ればよい

 

という発想が人文的文化のドキュメンタリズムです。

 

そこには、実現のための要素(変数、人、材料)と方法(アルゴリルム、加工法)がありません。

 

エンジニアは、材料を加工してモノをつくります。

 

ベンチャー育成の予算を増やしても、それは、ドキュメンタリズムでしかありません。

 

本当に優秀な人は、日本で補助金をもらいません。アメリカにいって、ベンチャーに参画するはずです。

 

日本には、ベンチャーのエコシステムがありませんので、お金で解決できる問題ではありません。

 

正しい方法は、わかりませんが、間違いはわかります。

 

1990年代に、数学を駆使した金融工学が立ち上がりました。その流れは現在のデータサイエンスに繋がっています。

 

スノーが言うように、「人文的文化と科学的文化の間にギャップがある。科学的文化をマスターしなければ生き残れない」と考えていたら、日本の銀行や証券会社にも、欧米並みの高給取りのデータサイエンティストが多数活躍していたはずです。そうならなかったのは、日本の銀行や証券会社には、人文的文化で、科学的文化の問題も扱えるというおごりがあったとしか思えません。