アーキテクチャ(29)

脳科学アーキテクチャ

 

アーキテクチャを考える脳は、ヒストリアンの脳と別です)

 

1)工業社会の思考パターン

 

前回、工業社会の思考パターンを次の3点に要約しました。

 

(1)正解のコピー

(2)均一の規格品

(3)考えないことがベスト

 

工業社会の思考パターンには、トラップがあります。

 

2003年に、養老孟司は「バカの壁」を出版しベストセラーになりました。 

ここで、「バカの壁」とは「人は知りたくないことに耳を貸さず情報を遮断する」特性があることを指します。



2011年に、ダニエル・カーネマンは「ファスト&スロー( Thinking、 Fast and Slow)」を出版して、「私たちにはシステム1(速い思考)とシステム2(遅い思考)」があると主張し、ベストセラーになりました。 2015 年、The Economistは、彼を世界で 7 番目に影響力のある経済学者に挙げています。

 

カーネマンは、非常に慎重に言葉を選んで、システム1とシステム2は実体ではなく、研究成果を分かり易く説明するための手段だと説明しています。

 

2018年の虫明元の「学ぶ脳」によれば、最近の脳科学の研究では、システム1(速い思考)とシステム2(遅い思考)に対応する脳の異なった使い方があるといいます。

 

つまり、脳科学からみて、システム1とシステム2には実体があると言われています。

 

以下では、この立場で、検討を進めます。

 

システム1は、ヒューリスティックで、過去の行動を繰り返します。

 

システム2は、過去の行動は繰り返さずに、ゼロベースで考えます。

 

ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言いました。

 

工業社会の思考パターンで、ビスマルクを評価すれば次のような対応になるでしょう。

 

システム1(速い思考):愚者は経験に学ぶ

 

システム2(遅い思考):賢者は歴史に学ぶ

 

この場合のシステム2は、前例主義で、ヒストリアンです。

 

筆者は、工業社会の思考パターンで、前例主義や、ヒストリアンを「(3)考えないことがベスト」と要約しました。ここで、考えないとはビジョンがない、新しいアーキテクチャがないことを指しています。

 

2)デジタル社会の思考パタン

 

1980年に計算科学が出現するまで、ビジョンは夢で、実現しないものでした。

 

流体の移動は、ナビエ・ストークス方程式で記述できます。これは、ビジョンで、流体問題を解くための基本的なアーキテクチャです。

 

しかし、方程式は解けませんので、問題を単純化して時間変化がない定常流れを仮定する、特定の条件で風洞実験を行うしか方法はありませんでした。そして、過去の実績で問題が発生していないかというヒストリアンの手法を併用していました。墜落事故を起こした飛行機や、飛行が不安定になった飛行機を点検する手法です。

 

現在は、風洞実験は数値風洞になり、計算科学が、ナビエ・ストークス方程式を解いています。飛行機の形状をよりよくするアイデアがあれば、そのアイデアの良否は、数値風洞で直ぐに答えが出ます。過去に作られた翼の形というヒストリーにこだわるよりも、新しいアイデアを出して、試してみる方が重要になっています。

 

データサイエンスが出てきて、アイデアを検討することは、更に容易になっています。

 

つまり、デジタル社会では、システム1とシステム2は、次のようにシフトしていると思われます。例えば、前例主義を取るには、専門家に話を効かなくとも、ネット検索や、ウィキペディアでかなりいけます。大抵の専門家の知識では、ネット検索に勝てません。そうなると考えることの意味が変化します。

 

理論科学、計算科学、データサイエンスには、ある程度、決まった考え方の手順がありますので、経験だけではどうにもなりません。




システム1(速い思考):愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ、前例主義、ヒストリアン、経験科学

 

システム2(遅い思考):アーキテクチャ思考、ビジョナリスト、理論科学、計算科学、データサイエンス

なお、システム2の処理時間は、システム1の処理時間より1桁以上多くかかります。

つまり、システム2は、意図して使わないと使えない脳の使い方です。

 

3)教育の問題

 

2011年に、ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー」が出版されてから10年以上たちます。

 

システム1とシステム2は教育に使われているのでしょうか。

 

二重過程理論(日本語、ウィキペディア)によると、システム1とシステム2の二重過程理論は古くからある心理学のテーマです。

 

ダニエル・カーネマンは2003年に、二つの過程のスタイルを直感と推論と呼ぶことでさらに区別する新たな解釈を提供した」とありますので、カーネマンは、もちろん、過去の二重過程理論をふまえています。カーネマンの慧眼は、「ファスト&スロー」の区別にあります。

 

「二重過程理論は、欧米では活発な研究と議論が行われている。 日本においては、二重過程理論の研究自体は、2021年時点において、欧米と比較して活発とはいえず、日本で発表された研究の多くは、欧米の先行研究を精査、検証した報告となっている。例外は、欧米の学会でのみ発表を行っており、日本での学会発表を行っていない北島宗雄・豊田誠による脳構造マクロモデルの理論研究である」(筆者要約)と書かれていますので、教育への応用はなされていないようです。

 

筆者の考えでは、「ファスト&スロー」の区別は絶対的だと思われます。

 

スローを使わないと考えることはできないと思われます。

 

サービス残業をしたり、ブラックになれば、考える余裕は無くなります。スケジュールを打ち合わせで、ぎっしり埋めて、忙しいことがステータスだと考えている人の頭の中は空っぽです。

 

囲碁や将棋を見れば、考える時間が如何に貴重かわかります。

 

教育において、時間をとって考えさせることが一番効果があり、なおかつ一番難しいことだと思われます。




4)思考パターンの壁

 

養老孟司氏の「バカの壁」は、認知遮断ですが、システム2の内容を、システム1で理解することはできません。ここには、思考パターンの壁があります。

 

つまり、ビジョンやアーキテクチャをヒストリアンと話しても、通じることは考えられないということです。

 

組織のトップがヒストリアンの場合、部下は、トップの指示に従って動けば良いと考えがちです。そしてトップの出す指示が、前例主義であれば、ビジョンやアーキテクチャを作る人が誰もいなくなります。こうなると組織は、工業社会のレジームの中を動き回っているだけで、デジタル社会へのレジームシフトに対応した企業に、脱却できません。しかし、トップは、ヒストリアンの前例バイアスから抜け出せないのです。

 

トップの指示の妥当性をチェックするシステムが破綻している場合があります。例えば、社人研の人口予測は、低位、中位、高位の幅を持っています。一方、年金の将来予測には、幅がありません。