円安と経験科学の終わり~経験科学の終わり

(経験科学の因果モデルは、1原因に偏重する傾向があり、因果の相互依存性を無視します)

 

1)因果モデルとバイナリー・バイアス

 

1ー1)因果モデルとは

 

科学の基本は、因果モデルです。

 

ヒストリアンは、根拠なしに、歴史は繰り返すと考えますが、歴史には、繰り返す部分と繰り返さない部分があります。

 

それを分離する方法が課題になります。

 

この点でみれば、物理学は、物理現象について、歴史の繰り返し部分を抽出して、法則化したものと考えることができます。

 

物理学は、「歴史の繰り返し部分の抽出」にもっとも成功した例ですが、他の学問は、物理学程には分離に成功していません。



さて、因果モデルは、原因Aがあって、結果Bが起こると考えます。

 

一般には、( IF A THEN B )の形式で表現できます。

 

1-2)バイナリー・バイアス

 

バイナリーバイアスとは、情報を限られた数のカテゴリ (通常は 2 つ) に絞り込むことです

 

統計学では、変数(パラメータ)は、分布をもつと考えます。よく使われる正規分布でも分布は、平均値と分散の2つのパラメータで表される分布を持ちます。

 

平均値を問題にする場合には、次の2つの点で、バイナリーバイアスのリスクがあります。

 

(1)分散を無視していないか

 

(2)そもそも、正規分布を当てはめるべきではない可能性があるか

 

1-3)因果モデルのバイアス

 

以上のように、バイナリー・バイアスは、変数の分布を無視するバイアスですが、因果モデルと組み合わさると、原因または結果が1つというバイアスに変化します。

 

この場合をここでは、因果モデルのバイナリー・バイアスと呼ぶことにします。

 

一般には、( IF A THEN B )の形式で表現した場合に、各段の前提が置けなければ、Aには、複数の要因(A1、A2、A3,...)が含まれると考えられます。

 

原因Aを考える場合に、A1だけを取り上げて、A2、A3を考えないことは、バイナリー・バイアスになります。

 

この問題を統計学の問題であると見なせば、寄与度の大きなパラメータは、A2、A3と順番にチェックすべきで、変数をいくつ取り上げるべきかは、計算してみないとわかりません。

 

この問題を、心理学のバイアスの問題であると考えれば、心理バイアスを回避するには、A2を考えれば十分です。

 

なお、以上は、原因Aのバイナリー・バイアスですが、結果Bについても、結果B1だけしか論じない因果モデルのバイナリー・バイアスが成立します。

 

1-4)経験科学の因果モデル

 

経験科学も、単純に歴史は繰り返すというアプローチをとり、過去に起こったことは、正しい(変更がきかない)として、歴史的記述にこだわる学会もあります。

時系列解析で、トレンド予測をする手法もあります。

これらは、ヒストリアンの手法です。

 

しかし、このアプローチでは、状況が変化した場合の将来予測はできませんので、経験科学でも、因果モデルを採用することが多いです。

 

この場合には、原因を変数A1に限定する必要はありませんが、実際には、A1だけに限定したデータ処理が多発しています。

 

結果Bについても同様です。

 

つまり、経験科学の多くの分野で、因果モデルのバイナリー・バイアスが、発生しています。

 

2)円安と生活

 

2-1)円安効果の因果モデル

 

この記事を書いている2022年10月28日の円ドルレートは146円です。

 

日本銀行は2022年10月28日まで開いた金融政策決定会合で、金融政策の現状維持を決定し、短期金利をマイナスにし、長期金利はゼロ%程度に抑える大規模な金融緩和策を維持すると決めています。

 

日本円の価値が下がると、輸入品の価格が高くなります。為替相場とエネルギー価格の上昇が相まって、2022年9月の日本の石油・ガスの輸入総額は前年同月比で46%急増しています。

 

日本では、輸出が経済活動の15%を占めています。円安で、日本の輸出業者が国外で得る金額が、日本円ではふくらみます。この効果は、大企業では大きいですが、中小企業では小さいと言われています。

 

なお、円安で輸出企業の業績は、過去最高になりますが、基軸通貨のドルベースで評価する必要があります。

 

現在のインフレの原因と結果を整理すれば、次になります。

 

原因A1)円安

 

原因A2)エネルギー価格の上昇



結果B1)日本の石油・ガスの輸入総額の急増

 

結果B2)大企業の輸出企業の業績

 

結果B3)中小企業の輸出企業の業績

 

このように、原因が複数あり、結果も複数ある場合には、定性的な経験科学では、歯が立ちません。

 

近代経済学は、物理学をモデルに作られました。

 

経済は、物理学と同じ微分方程式で表されます。これは、第2の理論科学のパラダイムです。複雑な現象は、複数の微分方程式を連立させたモデルで表します。この場合、式の変形で解析解は求まりません。

 

解析解が求まらない場合には、連立微分方程式を計算科学で解いて数値解を求めます。

地球温暖化の大気循環モデルを計算科学で解いて答えを求めることと同じです。

これは、第3のパラダイムです。

 

円安が日本経済にプラスであるという主張は、円安で輸出大企業の業績は、過去最高になっていることを根拠としています。

 

これは、円安(原因A1)と輸出大企業の業績(結果B2)を比べたものにすぎません。

つまり、ここには、因果モデルのバイナリー・バイアスがあります。

 

2-2)結果のバイナリー・バイアスの補正

 

結果について評価するのであれば、最低限、B1、B2、B3の3つを総合評価する必要があります。

 

これは、計算科学による経済モデルの結果を使えば、評価可能です。

 

ところが、総合評価の話は全く出てきません。

 

繰り返される説明は、輸出大企業の業績(結果B2)だけです。

 

このことから、政府には、第3のパラダイムである計算科学のロジックを理解できる人がいないことがわかります。

 

2-3)円安の原因のバイナリー・バイアスの補正

 

円安の第1の原因は、日米金利差です。ここで、原因を1つしか、考えられない場合、因果モデルのバイナリー・バイアスに捕らわれている可能性があります。

 

藤巻 健史氏は、第2の原因に「日本の経常収支動向」があるといいます。

 

経常収支は、貿易収支と所得収支(海外からの投資収益)の2つで構成されます。

 

2022年7月の国際収支統計よると、経常収支は2290億円の黒字(前年同月比約9割のマイナス、7月の黒字額としては、過去最小)でした。季節調整済みでは6290億円の赤字でした。

 

2022年10月20日発表の2022年度上半期(4から9月)の貿易統計(速報)の貿易収支は、11兆75億円の赤字で、半期として過去最大を更新しました。

 

円安によって、円安で輸出大企業の業績は、見かけ上、過去最高になっていますが、トータルでは、プラスか不明です。もちろん、エネルギー価格の上昇の影響もあります。

この原因と結果の各要素の影響の分析は、計算科学のモデルなしには、評価できません。

 

とはいえ、藤巻 健史氏は、日米金利差と日本の経常収支動向の2大要因が、同時に円安方向なのはディーラー生活でも初めてだといっています。

 

つまり、円安の影響を除いてみれば、ネットで、輸出競争力のある企業が激減していると思われます。

 

ジム・ロジャーズ氏は、「自国通貨の価値を下げて、中長期的に経済成長を遂げた国は存在しない」といいます。円安や非正規雇用にたよった経営をすれば、DXなどの問題を先送りして、労働生産性が上がらず、中長期的には経済成長が停滞します。日本の「稼ぐ力」が大幅に削がれてしまいます。

 

2021年度の所得収支は19兆円の黒字でした。2022年の所得収支も、19兆円の黒字と仮定し、2022年の貿易収支が上半期の2倍の22兆円の赤字と仮定すれば、差し引き3兆円経常赤字に転落します。

 

この場合、日本は、エネルギー、食料を輸入するためのドルが不足する事態になり、エネルギー危機、食料危機になります。もちろん、ドルのストックがある間は、時間稼ぎができますが、その時間は短いと思われます。

 

こうした状況が明らかになれば、富裕層は、日本の将来に不安を持って、円を売って、ドルに変えるなどの個人の資金逃避がおきます。資産逃避は、円安をさらに加速します。

 

藤巻 健史氏は、通貨危機になるガイドラインを1ドル180円と予測しています。

 

ジム・ロジャーズ氏は、「歴史的にみて、財政に問題を抱えた国の自国通貨はすべて値下がりしてきた」といいます。つまり、中期的にみれば、円安の第3の原因に、「財政問題」があるといえます。

 

日本の高度人材の海外流出が促進しています。NTTでは、若手の技術者が、海外IT大手企業に転職していく「GAFA予備校」化が進んでいます。

 

2022年10月26日の決算会見でキヤノン御手洗冨士夫会長兼CEOは、「生産の合理化やロボット化でコストを下げた上で、主要工場を国内回帰させる方針」を明らかにしています。

 

しかし、工場を国内回帰させても、利益が国内で出る訳ではありません。

 

コマツは、komtraxをAWS(アマゾンのクラウドサービス)の上に移しました。その方が、コストが下がるからです。このことは、komtraxが売上を増やせば、その利益の一部が、AWSに(米国に)移転されることを示しています。

 

以前のように、工場の国内回帰が、貿易収支の改善に寄与する部分は減っています。

 

2022年10月29日に、岸田首相は、記者会見で、物価高に対応するため28日にとりまとめた経済対策の説明をしましたが、説明は、個々の政策の相互依存性には全く触れず、科学的にみれば、全く意味不明なものでした。経済学の原則では、現金を配ることは禁じ手です。減税または、円安の補正が優先事項です。金利をあげずに、為替介入することも意味不明です。

 

3)バーバリ・モデル

 

三陽商会というアパレル大手は、2015年の6月まで英国バーバリーとのライセンス契約で、バーバリー製品を販売していました。ライセンス契約時の売り上げは1000億円を越えていましたが、ライセンス契約が切れて、バーバリーが売れなくなった2021年度の売り上げは、半分程度に留まっています。



富裕層が、円を売って、ドルに変える場合、2022年10月の時点では、日本の証券会社を通じています。モルガンスタンレーも日本の銀行系の会社になっていて、ビジネスモデルとしては、英国バーバリーとライセンス契約をしていたころの三陽商会に似ています。



日本の証券会社は、海外の証券会社が開発した金融商品を紹介して販売して手数料をとっています。つまり、バーバリーモデルでビジネスをしています。



しかし、日本の証券会社を通さずに直接購入すれば、手数料分だけ、利率のよい商品購入ができます。



もちろん、シンガポールなどにいって、自分で口座を開けば、それは可能ですが、ハードルが低いとは言えません。



2022年10月に、米Apple(アップル)は、クレジットカード「Apple Card」の利用で貯まる「Daily Cash」の特典を、ゴールドマン・サックスが新たに提供する預金口座に自動的に入金できるサービスを近日中に提供する計画です。



なお、現時点で日本向けにはApple Cardは提供されていません。



  このあたりがどうなるかは不明点が多いです。筆者は、今後、ネットを通じて、ドル口座を簡単に開けるようになると考えます。

 

藤巻 健史氏は、通貨危機を予想しますが、そのような状況では、日本の銀行や証券会社はあてになりません。

 

ドル口座が簡単に開設できるようになれば、資産逃避が容易に、拡大すると思われます。





引用文献

 

Fisher, M., & Keil, F. C. (2018). The binary bias: A systematic distortion in the integration of information. Psychological Science, 29, 1846-1858.

 

日本人は「みんなで貧乏」になるしかない…金融のプロが「1ドル=500円の大暴落が起きる」と断言する理由  2022/10/22 President online 藤巻 健史

https://president.jp/articles/-/62826

 

日本円に何が起きている? 止まらない円安とその影響 2022/10/28 BBC ニュース 大井真理子

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-63422147

戦後初めて、日本の「経常収支悪化」が数字以上に深刻な事態である理由 JB Press 2022/09/19 加谷 珪一

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71854



「円安は進む。政府・日銀はとんでもない過ちを…」投資家ジム・ロジャーズが予言する“50年後の日本” 2022/09/10 文春 ジム・ロジャーズ

https://bunshun.jp/articles/-/57242