アーキテクチャとクリティカルシンキング

クリティカルシンキングは、新製品化開発の重要なツールです)

 

1)ヒストリー主義の終わり

 

新聞のビジネス書籍の宣伝を見ていると、成功した人の話が出ていて、これで、成功は間違いなしのようなイメージを読者に与えます。

 

これは、歴史は単純に繰り返すという認知バイアスに訴えています。

 

過去の成功事例を集めてきて、そのノウハウをコピーして使えば成功すると考える認知バイアスです。

 

官僚の世界では、前例主義になります。

 

キム・ハナ氏は、著書「アイデアがあふれ出す不思議な12の対話」のなかで、書店に行くと、「天才はどう考えたか」といった類いの本がたくさん並んでいて、すばらしい読み物ですが、平凡な人が創造力を育る役に立たないといいます。

 

実は、「原因=>結果(成功)」は因果モデルです。因果モデルの取り扱い方法は、データサイエンスで、かなり研究しつくされていて、データの集めかた、分析の仕方、推論の有効性の範囲が整理されています。

 

問題解決の提案を先例主義で書けば、データサイエンスの試験では、100%落第します。

 

このような変化が起こったのは、ベイズ統計学が実用化したここ20年の変化です。

 

現在では、前例主義やヒストリアンは迷信であって、データサイエンスでいう科学ではありません。

 

つまり、ビジネスで成功する方法の本を読むより、データサイエンス入門(出来れば、PythonかRのコード付き)を読む方がはるかに時間の節約になります。

 

それは、きついという人も多いと思いますので、ここでは、何度も取り上げているヒストリー主義(ヒストリアン)の問題点をクリティカルシンキングで、できるだけ、回避する方法を考えたいと思います。

 

2)頭の体操とクリティカルシンキング

 

欧米では、クリティカルシンキングという頭の体操が重要であるとして、盛んにトレーニングがなされています。クリティカルをそのまま訳すと、批判するという意味になり、クリティカルシンキングは、批判的に提案を見る、つまり、提案に対して、反対意見をいうようにとられます。

 

日本の社会では、空気を読んで、反対意見を言わないことが、敵をつくらず、社内政治で、成功する秘訣だと考えられています。こうなると、誰も、クリティカルシンキングはしなくなります。

 

しかし、筆者は、最近、クリティカルシンキングは、「提案に対して反対意見をいう」のではなく、「反例提示」ではないかと考えるようになりました。

 

スティーブ・ジョブズ は、最初は、iPhoneの開発に反対していました。しかし、周囲の幹部とのディスカッションの中で、最終的には、iPhoneの開発と販売に舵を切りなおします。

 

iPhoneには、先例がありませんので、ヒストリアンは作ることができません。

 

アーキテクチャの議論を繰り返して製品コンセプトをブラッシュアップしていって、初めて、開発に移ることができます。

 

ウェアラブルな端末が出てくることは、20年以上前から予想されていました。しかし、現在の主流はアップルウォッチです。ウェアラブルな端末を作るだけでは、アップルウォッチのような売れる製品にはなりません。ウェアラブルな端末には、前例がありませんので、アーキテクチャの議論を繰り返して製品コンセプトをブラッシュアップしていって、初めて、開発に移ることができます。

 

アーキテクチャの議論を繰り返すときに、何が正解かは、誰にもわかりません。しかし、明らかに悪い手筋はあります。1年以内に、各段に性能がよく、安価な部品が入手可能になる可能性が高ければ、それをいつ組み込んで製品化するかは、よく考える必要があります。早くても、遅くても、失敗に繋がります。こうしたダメな手筋(反例)を提案することは、検討チーム全員から、歓迎されます。

 

つまり、クリティカルシンキングは、問題解決の重要な手段の一部です。

 

3)ヒストリアンの成功の課題

 

日本には、ヒストリアンの経営をしている企業が沢山あります。企業単体でみれば、黒字を出していて、従業員にそれなりの給与を支払っているので、ヒストリアンの経営で問題がないと考える経営者も多数います。

 

世界のクラウド市場は、アマゾン、マイクロソフト、グーグルの3社で、半分以上を押さえています。スマホなどでクラウドをつかうと、日本は、米国に使用料を支払います。このような情報機器の使用量は、2022年現在で、1兆円を越えています。2030年には、5兆円を超えると予測する人もいます。

 

コロナウイルスで、ワクチンの接種をしましたが、医薬品の貿易は、2020年以前でも3兆円程度の輸入超過でした。ここ2年は、赤字幅が更に大きくなっているはずです。

 

この変化は、デジタル社会へのレジームシフトが生じているために起こっています。

 

この変化は、工業社会のへのレジームシフトに戻して考えると分かり易いです。

 

農産物が売れて、農家が黒字なので、農業を続ける、これが、ヒストリアンの経営です。

 

これに対して、日本では、農業をやめて、工業を始めて、工業社会へのレジームシフトをしました。

 

工業製品の単価は高いので、日本は、工業製品を輸出して、農産物を輸入できるようになり、先進国になりました。

 

時代がかわって、現在は、デジタル社会へのレジームシフトが進んでいます。

 

労働生産性から見て、日本には、GAFAMのようなデジタル企業はありません。

 

コロナウイルスのワクチンも、mRNAを設計するので、デジタル技術の塊です。日本には、デジタル医薬品企業はありません。

 

つまり、デジタル社会へのレジームシフトが進んでいき、日本に、デジタル企業がない状態が続くと、日本の貿易収支は、これから大幅な赤字になります。

 

最大の競争相手である中国にデジタル社会へのレジームシフトで遅れをとると、貿易赤字が増えて、価格競争に負けて、十分な食料が輸入ができなくなります。

 

2022年現在では、デジタル企業の実力において、日本は、中国に先をこされています。

 

「企業単体でみれば、黒字を出していて、従業員にそれなりの給与を支払っているので、ヒストリアンの経営で問題がない」というアイデアは、以上の「反例(ダメな手筋)」に対してこたえる必要があります。

 

企業や政府のトップが指示を出して、下々はそれに従うというモデルでは、ヒストリアンになってしまいます。そこでは、クリティカルシンキングは排除されます。

 

日本には、「クラウドサービスを提供できる企業がないので、クラウドサービスを提供できる企業を作るべきだ」という政治家もいます。これは、ウェアラブルな端末を作れば、アップルウォッチになるというレベルの発想で問題外です。ジョブ型雇用で、経営者が、技術者の能力を正確に査定して給与を決めている場合には、このような発言が出ることはありません。「クラウドサービスを提供できる企業を作るべきだ」という発言は、発言者が、年功型雇用にどっぷりつかって、人材の技術的能力を査定できなくなっていることを示しています。現在の日本には、クラウドサービスを提供する力のある企業はありません。それができる人材も、とても少ないと思います。

 

政治家の人事評価は、技術能力より、忖度の程度に偏っているように見えます。

 

企業幹部が、人材の技術的能力を査定できなくなっている場合には、スキルがあっても、給与は増えませんし、スキルを活用する場(ジョブ)もありません。ここまで、人材評価能力の低下が進行すると、リスキリングも空回りします。年功型雇用を長年続けてきた企業が、ここ2、3年、デジタル人材を確保するといって、年功型を緩和した給与体系を試行錯誤しています。場合によっては、初任給を2倍出すといった提案です。しかし、筆者は、その実態の多くは空回りしていると予想しています。従業員全員に、リスキリングするような企業は、ジョブが組めていないわけですから、空回りしていると断定できます。



工業社会の製品は、工場を作る資金を集めて、安い労働力があれば、製造と販売ができます。しかし、それでは、デジタル企業の製品はつくれません。恐らく、リスキリングで得られるレベルのテクニシャンの人材では、デジタル製品のアーキテクチャをつくることはできないと思われます。アーキテクチャとビジョンがなければ、デジタル企業の製品はつくれませんから。

 

実業家イーロン・マスク氏は2022年10月4日に、米ツイッター買収によって「エブリシングアプリ『X』の開発が加速する」とツイートしています。

 

エブリシングアプリ「X」が何かは、マスク氏の頭の中にしかありません。それも、iPhoneの場合と同じように、試作モジュールを作りながら、周囲の幹部とクリティカルシンキングを使って、アーキテクチャの議論を進めていくのだろうと思われます。

 

日本の組織に、クリティカルシンキングが存在しないことは、大変、恐ろしいことです。



引用文献



「天才に学ぶ」類のアイデア本が、凡人には役立たない理由 2022/10/05 Nwesweek 編集部

https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2022/10/post-99740.php

 

マスク氏、新アプリ開発加速を示唆 ツイッター買収で 2022/10/05 ロイター

https://news.yahoo.co.jp/articles/92bc7a0dae199baaddf3cb10690c6b9365233aa4