アーキテクチャ(9)

霞が関アーキテクチャ

 

霞が関アーキテクチャを変えるべきです)

 

前回、書き忘れた点を追加します。

 

1)ヒストリアンとビジョナリスト

 

「ヒストリアンとビジョナリスト」を書いたときには、どうして日本は、ヒストリアンだらけなのかと疑問を抱いていました。

 

最近、伊藤穣一氏はが、「テクノロジーが予測する未来(p.226)」のなかで、「ゴールはビジョンから生まれ、ビジョンは、パラダイムから生まれます」と書いているのを読んで、少しだけ、その理由がわかった気がしました。

 

伊藤穣一氏は、ここでは、パラダイムを「資本主義はお金を集めた人が勝ちというパラダイムである」という意味で使っています。そして、資本主義という既存のパラダイムが限界を迎えているのではないかといいます。

 

伊藤穣一氏は著書のなかで、DAO(ダオ、Decentrized Autonomus Organization=分散型自立組織)が、その解答を握っていると考えています。

 

DAOはアーキテクチャですから、筆者が主張するように、パラダイムを、アーキテクチャに置き換えれば、「ゴールはビジョンから生まれ、ビジョンは、アーキテクチャから生まれる」ことになります。

 

つまり、問題解決には、アーキテクチャを改善しなければならない場合があるということです。



クーンは、自然科学には明確なパラダイムがあるが、人文・社会科学にはパラダイムがみられない(不連続は発展は見られない)と述べました。 

 

現在の経済学や心理学には、パラダイムの交替がみられるので、クーンの指摘は、全面的には、支持できませんが、未だ、多くの人文・社会科学にはパラダイムがみられない(不連続は発展は見られない)ので、概ね妥当です。

 

ここでも、パラダイムアーキテクチャに置き換えれば、新しいアーキテクチャを提案できない人文・社会科学は、有効な問題解決を提案できないだろうと予測できます。

 

その理由は、デジタル社会になると、社会のアーキテクチャが変わってしまいますので、ヒストリアンの研究手法の有効性が失われるからです。

 

こう考えると、人文・社会科学にかぎらず、農学・工学などの実学を含めて、その学問分がどれだけあるべきアークテクチャを設計・提案しているかをみれば、その学問分野が、デジタル社会にいきのこるか、デジタル社会で、有効な問題解決方法を提示できるかが判断できるはずです。

この基準は、査読付き論文が正しいという基準と相入れないことに注意してください。

 

筆者は、「ヒストリアンとビジョナリスト」で、ヒストリアンは、役に立つ問題解決方法を提案できないと主張しました。その時の論拠は、ラッセルが提示した単純な帰納法の限界によっていました。

 

しかし、アーキテクチャの概念を使えば、デジタル社会でも問題解決効果のある学問は、アーキテクチャの再構築を提案する学問であることがわかります。

アーキテクチャは、「ヒストリアンか、ビジョナリストか」よりも、一般性のある問題分析ツールと考えられます。

 

2)霞が関の課題

 

日本には、独立系のシンクタンクはほとんどありません。

 

コンサルタントファームはありますが、顧客が、政府機関や企業であれば、レポートは顧客の要望にそったものになりますので、組織アーキテクチャの改変が提案できるとは思えません。

 

霊感商法の検討委員会ができましたが、メンバーは年寄りばかりです。こうなれば、メンバーは名ばかりで、消費者庁の職員が原案を作っていますので、検討委員会とは、文章を手直しするレベルで、内容をゼロからつくりはしません。検討委員会は、独立したフレームワークになっていません。簡単に言えば、利害関係者が検討していることになります。アドバイザリーボードは、官庁組織から独立していなければ、あえて検討する意味はありません。株式会社では、取締役が、企業幹部から独立していることを求められますが、それは。アーキテクチャが形骸化することを避けるために必要な条件です。検討員会をつくるのであれば、国会に属するなど、省庁とは独立させるのが、筋です。



省庁再編・規制緩和は、言われていますが、あまり実現していません。

 

2001年(平成13年)1月6日に施行された中央省庁再編の目的は、「縦割り行政による弊害をなくし、内閣機能の強化、事務および事業の減量、効率化すること」などになっています。それまでの1府22省庁は、1府12省庁に再編されました。 

 

2001年から、聖域なき構造改革小泉政権の元で行われます。郵政事業の民営化、道路関係四公団の民営化政府による公共サービスを民営化などにより削減し、市場にできることは市場にゆだねること、いわゆる「官から民へ」、また、国と地方の三位一体の改革、いわゆる「中央から地方へ」を改革の柱としていました。

 

しかし、スローガンとは異なり、改革の中心は、改革の中心は「銀行の不良債権処理」と「非効率な公共事業削減」でした。

 

例えば、「中央から地方へ」を改革の柱といいますが、財源移譲は行われていません。また、公共サービスの民営化は、それまでも行われて来ています。

 

これらをみると、組織は切り貼りで、規制緩和は従来の方法を加速させ、改革の中心は、「銀行の不良債権処理」のように見えます。

 

つまり、組織のアーキテクチャは変わっていません。

 

聖域なき構造改革の建前は、効率化を図ることとされましたが、コロナウイルスでは、ファックス依存体質が明らかになったように、DXの面で見れば、効率化には失敗したように見えます。

 

これは、組織のアーキテクチャに手を入れなかったので、当然の結果です。

 

組織のアーキテクチャは、分野別には、省庁の縦割りです。分野の中では、年功型雇用です。この年功型雇用の昇進ルールは、幹部になるまでは、予算または、組織定員の獲得が業績であり、幹部になれば、有力な政治家と懇意にしていることが重要です。少子化。高齢化問題を解決したら昇進できるアーキテクチャにはなっていません。

 

少子化、経済成長、DX、地方活性化と2000年以降取り上げられた重要な政治課題は悉く(ことごとく)解決しないまま、20年が経ちました。

 

最近では、ゼロエミッション、エネルギーの安定供給など新たな政治課題も出てきています。

 

人口が増え、税収が増える時代であれば、予算または、組織定員の獲得が業績というアーキテクチャでも問題解決ができたかも知れませんが、人口が減少し、デジタル社会へのレジームシフトが進んでいる時代には、アーキテクチャの見直しができないと問題解決は不可能と思われます。

 

予算または組織定員の獲得に使われている手法は、ソリューショニズムです。

 

しかも、データサイエンスでは否定されている前例主義です。

 

ジームシフトが起きている時に、前例主義を使えば、自殺行為になります。

 

ソリューショニズムは、前例としても採用されています。

 

その点でみれば、モロゾフ氏のソリューショニズム批判は、アメリカよりも、日本により当てはまると思われます。



引用文献

 

テクノロジーが予測する未来 2022 伊藤穣一 SB新書