成長と分配の経済学(5)~2030年のヒストリアンとビジョナリスト

(21世紀の実用化したデータサイエンスは、社会科学や、経営をサイエンスにも持ち込むことで、経営陣に三択を迫ります)

 

12)データサイエンスと社会科学

 

12-1)1976年のOECD調査報告

 

福島康人氏によれば、1976年に、OECD調査団が日本にきて、日本の社会科学について、次のような批判をしています。

(1)現実から遊離して抽象的である

(2)外国から学んだ一般原理をつたえるだけで、独自の研究が皆無に近く、その水準も全体として遅れている

(3)研究の成果が国の政策に反映されず、政府自身も(経済学以外の領域では)真剣にこれを求めていない





八 木 紀一郎氏は、「問題なのは,日本の社会科学の国際水準からのたちおくれの原因として,社会科学全般にたいするマルクス主義の影響とそれにもとづく近代理論との対立,国際学界との阻隔があるとみなしている」と書いているので、福島康人氏の要約にはでていませんが、マルクス主義批判があって、八 木 紀一郎氏は、Barshay氏の2004年の著作で、溜飲を下げているようです。

 

しかし、1982年に、一橋大学にいた遠藤誉氏は、次のように書いています。

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一橋大学日本共産党の根城(ねじろ)のようなもので、日教組系の教職員組合というのが幅を利かせていて、「組合員に非ずんば人に非ず」という雰囲気があり、おまけに組合に忠実でない者は「研究室助手集団」から村八分に遭う。その統率をしている教授の親分は、もちろん「日本共産党員」だ。

 

私は大学を辞めようかと思うほど「日本共産党員の子分たち」に虐められた。  

 

「組合活動に熱心でなく、研究ばかりしようとしている」というのが理由であり、「生意気にも大学院の授業を代講している」というのも理由の一つだった。

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これを読むと、OECD調査報告は当たっていると思われます。

さて、ここで、指摘したいのは、どちらが正しいということでは、ありません。

1980年頃の日本の社会科学は、イデオロギーの時代であったということです。

どうして、イデオロギーがまかり通るかと言えば、データが不足して、白黒がつかないので、考え方の妥当性で判断するしか、基準がなかったからです。

こうした状況では、権力に近い側の権威に意味があります。

 

12-2)データサイエンスの破壊力

 

1989年にソ連が崩壊して、中国も市場経済に走ります。

これで、マルクス経済学は終わりで、近代経済学の時代になると考えた人も多かったと思われます。

1980年代の経済学部の教員の約半分は、マルクス経済学を専攻していました。

しかし、現在の主流は、金融工学やIT経済学です。

Pythonというプログラム言語があります。この言語は、コンセプトを大切にしていて、「電池が入っています」というコンセプトもあります。これは、トランジスタラジオを購入して、いざ使う段になったら電池を買ってなくて使えなかったという例からきています。実装されたPython言語は、追加モジュールなしに、それだけで、使えるべきであるというコンセプトです。

経済学の一般均衡モデルを計算するGTAPというソフトがあります。一般均衡モデルで計算するには、社会会計行列のデータが必要で、例えば、世界モデルを作ろうとすると全世界の社会会計行列を集めなければなりません。

ところが、GTAPには、「電池が入っています」。ソフトとセットで、世界各国の社会会計行列データが添付されているのです。

このようにITの世界では、モデル構築が容易になった上、大学の学生が、一般均衡モデルを作っても、教授が、一般均衡モデルをつくっても、モデルが同じであれば、同じ結果が得られます。同一労働同一賃金であれば、給与は同じになるべきです。

つまり、データサイエンスは、サイエンスであるため、権威の影響を受けません。

このように、マルクス経済学が失墜したあと、延びたのは、近代経済学の一部のIT経済学であって、そこでは権威は意味を持ちません。

 

データサイエンスが、延びた理由は、次の2点によります。

 

(1)推論の結果は、データに依存します。経験が入り込む余地は、ありません。もちろん、モデル操作が不慣れであるといった経験以前の習得不足は解消しておく必要がありますが、経験に価値はありません。

(2)データが不十分、または、不完全な場合の対処方法も理論化されていて、経験が入る余地はありません。

 

これらのデータサイエンスのモデルが実用的に使えるようになったのは、今世紀に入ってからです。

当初は、かなりの計算機資源を必要としましたが、2010年頃には、クラウドサービスの充実で、スマホタブレットでも、問題が解けるようになりました。

 

12-3)企業経営者の選択

 

データサイエンスの手法が使えるようになって、企業経営は、サイエンスの問題になり、企業経営者は、選択を迫られます。

 

選択肢は、次の2つです。

 

(1)DXの受け入れを拒否して、権威を維持することで、年功型賃金体系を維持する

(2)DX受け入れる、同一労働同一賃金にして、ジョブ型雇用に移行する

 

もちろん、IT革命やデジタル・トランスフォーメーションの遅れが、労働生産性が上がらない主要因であることは明白ですので、「DXの受け入れの拒否」はできるだけ、目立たない形で進めることになります。ここで、一番効果のある手法は、データ整備をしないことです。GTAPのように「電池が入っている」分野は、まだ、限られています。データがなければ、データサイエンスは使えないので、権威と経験が、引き続き有効になります。

 

小泉政権は、反対勢力をぶっこわすといいましたが、以上の予備知識を元に、次に、DXの反対勢力が何をしたかを考えてみます。

 

引用文献

 

PPBSの教訓の政策科学への道 1980 日本オペレーションス・リサーチ学会 福島康人

https://www.orsj.or.jp/~archive/pdf/bul/Vol.25_05_285.pdf

 

日本の社会科学政策 OECD調査報告 1976/09/17 朝日ジャーナル

OECD調査団『日本の社会科学を批判する』(講談社学術文庫,1980年)

 

Andrew E.Barshay,The Social Sciences in Modern Japan : The Marxian and Modernist Traditions ,University of California Press,2004

 

アンドリュー・E・バーシェイ『近代日本の社会科学』をめぐって  2009/12   福島大学経済学会 商学論集 78 (2), 77-83 八 木 紀一郎

https://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000003759/3-1712p77-83.pdf

 

作家・佐藤愛子さんと『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』2022/07/11 中国問題グローバル研究所  遠藤誉

https://grici.or.jp/3308