JOB型雇用と大学の変遷

「ウニ大量死のデータサイエンス」で、「一般の人は、研究者は専門家だから、その分野の文献を、隈なく読んでいると期待すると思いますが、通常は、論文を書くために必要な論文以外は読みません」と、書きました。

誤解を招くといけないので、この問題を補足しておきます。

その分野の文献を、隈なく読んで研究する、特に、英文の論文をある程度の速さ読んでまとめて、研究計画を立てることは、かなりハードルが高いです。 そのハードルを越えて、学位論文が提出し、受理されて初めて、博士取得者=研究者(researcher)になれます。工学系でいえば、エンジニア(engineer)になれます。

そのために、大学院の在籍期間は関係なく論文が受理されなければなりません。

また、アメリカでは、学位論文の研究に取り掛かるまえに、研究計画の審査があります。研究計画の審査をパスしないで、とりかかった研究者、審査の受付をしてもらえません。研究計画では、過去の研究のレビュー、課題と方法だけでなく、資金計画もつける必要があります。

研究者は、こうしたトレーニングを受けていますので、過去の研究のレビューができないことはありえません。

日本の大学の博士課程は、課程に在籍して、時間がたって、論文を提出すれば、学位がえられます。

博士課程修了でも、学位を得にくい例外は、文学部で、文学部の学位がとりにくいのは、実験をしないので、博士論文の正しさを担保することが難しいためです。(注1)

過去の研究のレビューが苦手な人、学位論文がかけない人もいます。

こうした人は、テクニシャンになります。

大きな病院にいくと、医者以外に、看護師、検査技師がいます。医者以外は、テクニシャンです。

看護師は、毎日採血等の注射をしていますので、看護師より、注射の下手な医者はいくらでもいます。

しかし、データを集めて、最新の治療法の文献に目を通して、治療法を決めることは、医師にしかできません。

同様に、研究者になるには、分析機器が何をしているか、分析結果のデータをどう使うかが分かっていることが必要ですが、分析が上手にできるひつようはありません。上手であることは望ましいですが、必須ではありません。

自動車の設計をするエンジニアは、設計図がかけなければ始まりませんが、金型をぬくプレス機械を上手に操作できたり、F1レーサーのように、自動車の運転が上手である必要はありません。

ICを作っているメーカーでは、「Qualcomm」「Broadcom」「NVIDIA」「MediaTek」「AMD」は生産施設をもっていません。実際の製造はファウンダリー(ファブ)に外部委託するファブレスメーカーです。

さて、話を大学に戻します。実は、1980年頃までは、日本の旧帝大には、テクニシャンがいました。しかし、次の2つの動きがあって、テクニシャンがいなくなりました。

1)文部科学省から定員削減要請がきたので、給与の一番易いテクニシャン、事務員を減らした。

2)一部のテクニシャンを、研究者に格上げした。

欧米では、給与は出来高できまります。研究者より、高い給与をもらっているテクニシャンはいくらでもいます。研究者より、技術が上で、処理が早ければ、給与が増えます。英国では、首相より、給与の高い公務員もいます。

日本の大学では、ジョブによる仕事の分担は消滅しています。嘘か本当かわかりませんが、ノーベル賞をもらった先生にも、大学受験の監督の割当てがあるという話もあります。精神的に問題をもった学生もいて、大学には、カウンセラーがいますが、退学者が増えると、文部科学省がお叱りをうけ、教授会で、担当教員は、つるし上げにあう可能性があるので、結局、最後は、教員が対処することになります。分業は、全く機能していません。

大学にくる学生も、研究者とテクニシャンの違いを理解できず、立派な分析機器のある研究室がよい研究室だと勘違いしています。

日本の大学では、分業ができないため教科書を作ることが事実上不可能になっています。

日本の大学の教科書は、何年か、授業でつかったノートを補足して、教科書にする場合が多いですが、米国では、マグロウヒルなどが、チームで教科書を出版しています。教科書(オールカラーで1000ページ)、教師用ガイドブック、生徒の自習の手引き、問題集、パワーポイントスライドにひな形などがセットで準備されています。場合によっては、ビデオ教材もついています。これをみると、日本語の教科書では、勝負になりません。

iPS研所長の山中先生が、退任するというニュースが流れてきました。

筆者は、山中先生は、超人だと思っていました。研究所の職員は200人を越えています。200人を越えれば。必ず、不祥事を起こす人がでます。

日本では、分業が進んでいないため、問題が起これば、研所長が対応することになります。この状態では、研究は、全く出来なくなります。

研究者は、労務管理をしたくて、選択した職業ではありません。つまり、とんでもないストレス状態におかれます。

それに耐えられる精神は、超人的と思ったわけです。

ジョブによる分業が出来ないことが、日本の大学が世界の大学から、取り残されている大きな原因であると考えます。

注1:

筆者は、「博士論文の正しさを担保すること」が、博士論文審査の必須条件であるという考えは、不毛だと考えています。

例えば、 みんなの試作広場によれば、「ファブレス半導体企業は、半導体ICの設計にフォーカスし、『なにを作るか』を具現化する半導体メーカー」です。価値は、「なにを作るか」にあります。「博士論文の正しさを担保する」ために、現在文学部で行われている方法は、過去の半導体の開発の歴史のデータを集めてきて、分析するような方法です。たしかに、その方法では、正解は1つだけに限定されますが、何も新しい価値を生み出しません。このように、過去にこだわった学問や分析は有益にはならないことを、筆者は、「オブジェクトヒストリカル」と名前を付けて、避けるべきアプローチと考えています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/NVIDIA

  • ARMのビジネスモデル:半導体の設計図だけでなぜ3.3兆円の企業価値があるのか

https://www.sbbit.jp/article/cont1/32497

https://minsaku.com/articles/post831/

  • 山中氏、iPS研所長退任へ 「自身の研究に注力」―京大 2021/12/08 JIJI.COM

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021120800902&g=soc