日本は如何にして発展途上国になったか(4)

(7)学習の禁止

 

(学習の禁止について説明します)

 

1)学習の禁止

 

「ジャパン アズ ナンバーワン」を参考にすれば、日本の経済成長の停滞の原因は、自然科学とデータサイエンスの学習能力の低下にあると思われます。

 

それでは、なぜ、学習が進まなくなったのでしょうか。

 

1-1)学習の実態

 

議論を進める前に、実態を振り返っておきましょう。

 

「分数のできない大学生」と言う本が問題になったのは、2000年頃です。

 

分数は、比例、線形関数と同じ内容の一表現です。

 

線形件数は、一番簡単な関数ですので、分数が理解できなければ、関数が理解できず、関数プログラミングも理解できないことになります。

 

つまり、プログラミングやIT関連のリスキリングは不可能です。

 

内容が理解できなくとも、パターンマッチング(いわゆるコピペ)で、それらしいコードを書くことはできますが、こうした混乱したコードをデバッグすることは不可能で、書き直した方が、時間の短縮になります。

 

分数の出来ない人を対象に、リスキリングをすると、デバッグ不可能なコードを生産することになります。

 

コーディングしたことのない人に理解してもらうために、例を上げます。

 

学生の文章を推敲する(赤ペンを入れる)ことがあります。その時に、赤ペンが入れられる前提条件があります。主語と述語が入っている短文であれば問題がありませんが、主語や述語がなかったり、一つの文に、複数の主語と述語が出て来るような場合には、意味がわからないので、推敲は不可能です。まともな文章を作るには、新しくゼロから書き直した方が速いです。

 

数学が出来ない学生を出席日数だけで卒業させている結果、基礎学力がない大学生を大量生産しています。この場合、ITのリスキリングは、数学からやりなおさないと不可能です。

 

実は、この問題は、数学だけでなく、国語力(作文力)でも発生しています。

 

大学入学共通テストで、AIによる自動採点が検討されていますが、答案の半分近くは、主語と述語が対応していないと思います。つまり、AIの採点能力以前の問題です。このレベルの答案は、AIも、人間も理解できません。ときたま、理解できる文章が混入していることもありますが、それは、解答者の言葉でなく、誰かの文章のコピーが多いです。

 

現在のように、義務教育から高等学校卒業までの間、カリキュラムを習得できてない学生を進級させて、数学と国語力(作文力)を鍛えないと、落ちこぼれた卒業生のリスキリングは、不可能です。



1-2)スミスの分業論



1776年にアダム・スミスは「国富論」を出版します。

 

職人一人では1日20本程度しかつくれないピンがあります。スミスが観察した工場では、製造工程を18にわけて、10人の労働者が1日に4万8千本のピンをつくっていました。これから、スミスは、分業には240倍もの生産性向上効果があるといいます。

 

この事実から、スミスは経済成長の源泉は分業にあり、売上が大きいと、より細かな分業が可能になると考えました。そして、この売上増加のためには自由貿易によって市場を拡大していく必要があると議論を進めます。

 

経済学者デヴィッド・リカードは「経済学および課税の原理」(1817年)で、2つの国が2つの財を交換するモデルを分析して、生産性の優位が大きい財を輸出して生産性の優位が低い財を輸入すれば利益が大きくなると比較優位を論じました。

 

データサイエンスの教科書は、評価関数を設定して、その値が、最大または、最少になるアルゴリズムを探索します。

 

分業論も、比較優位も、評価関数は、生産性です。

 

たとえば、分業論のモデルのプログラムをコーディングする場合を想定します。

 

工場A、B、Cがあり、異なったレベルで分業していたとします。

 

この分業をモデルに組みこむ場合、一番簡単な方法は、「240倍もの生産性向上効果がある」いった生産性の数字です。個別のジョブの分割、アレンジ、労働者の配置をモデルに組み上げるのは容易ではありません。

 

こう考えると分業論は、生産性を向上させる実装の1つにすぎないことがわかります。

 

スミスが目にした生産性の向上のための実装は分業でした。他にも生産性を向上させる実装が見つかれば、スミスはそれも「国富論」に取り入れていたはずです。

 

比較優位、生産ライン、ロボット化、AIなどは生産性向上の手段(実装)です。スミスが見た実装は、分業以外は、比較優位だけかも知れませんが、仮に、スミスが、生産ライン、ロボット化、AIなども目にしていたら、「国富論」に、それらを書き込んだと思われます。



近代経済学を、数学の視点で一言で言えば、次の2ステップになります。

 

(S1)生産性指標を最大化して、国または地域全体が生み出す富の量を最大化する方法を探索して、実施する。

 

(S2)生産性の拡大に伴って生じた格差を補填する再配分を行う。言い換えれば、平等化指標がある範囲内に収まるように調整を行う。

 

数学的には、「生産性指標を最大化」する政策で、かつ「平等化指標がある範囲内に収まる」政策は存在しません。

 

次元数を上げるか、総合化した指標を作れば、1回の最適化問題として、S1とS2を同時に満足する解が求まるかもしれませんが、今のところ、これに成功した研究者はいません。

 

このため、2種類の政策を2ステップで行います。

 

市場経済は、S1の実装の一部です。

 

社会主義政府は、S2を先に行い、S1をあとで行うことが可能であると主張しますが、歴史的に見れば、この手順の実装は全て失敗しています。

 

インフレに対して、日本政府は、ガソリンなど燃料価格に、補助金をつけています。

 

これは、S2を優先する政策です。この政策では、エネルギー消費を減少させる(生産性を向上させる)ことができません。つまり、S1政策に達することはなく、経済は弱体化します。

 

近代経済学では、燃料価格に、補助金をつけるのは、社会主義政策であり、市場経済を破壊して、生産性の向上の阻害するので望ましくないと考えます。

 

1-3)学習の禁止

 

筆者は、経済学の専門家ではありませんが、普通の数学のリテラシーは持っているつもりです。

 

数学で解の求まらない政策は、実現不可能なので、必ず破綻します。

 

それは永久機関を作ることが不可能であることに似ています。

 

分業による生産性の向上は、スミスの国富論でも最初の方に、市場経済よりも先に出てきます。

 

経済学を学んだ人であれば、生産性の向上は、第1に理解している概念です。

 

円安にして、輸出を伸ばしても、それは、家計から企業への所得移転にすぎませんので、生産性は上がらす、所得移転によって実質の給与は下がります。

 

こうして政治的に所得移転を行って不労所得を得るようになると、社員は、努力してスキルを身に着けなくなり、生産性が下がります。

 

ところが、生産性の向上の話は、タブーになっています。

 

上司が、仕事の内容を示して、職務命令を発した場合、部下は、無条件に命令に従うべきでしょうか。民間企業であれば、上司の命令は原則で、例外があります。例外は、より効率を上げて(生産性を上げて)、利潤を増やす可能性のある方法があれば、職務命令の変更について上司に相談すべき点です。こうした利潤をより上げる提案を取り上げない上司は、企業に損害を与える可能性がありますので、認められません。上司がDXを理解していなくとも、DXの導入によって利潤を上げる可能性が大きいと判断できれば、部下は上司に相談すべきです。これは、営利企業の基本です。こうした改善が繰り返されれば、ITは、企業に、浸透していくはずです。

 

DXが非常に遅れている原因として、生産性の向上の話がタブーになっている問題は無視できません。

 

経済学者は、生産性のタブーにはふれません。

 

ふるさと納税は、生産性で見えば、完全にマイナスです。日本の貧困化政策です。政策のために、自治体の職員が労力を割いた上に、税収が減ります。つまり、インプットが消費されます。これに見合う、生産(アウトカムズ)はなにもありません。

 

税金を取っておいて、エネルギー購入費に補助を出す政策も、マイナスの生産性です。最初から、補助金の分だけ、減税して置けば無駄な費用がかかりません。税金の徴収と補助金の配分には、公務員の賃金が使われます。しかし、この政策は、公務員の仕事を作るだけで、何も生産しませんので、マイナスの生産性になります。

 

この20年の間に、日本以外では、IT系の高度人材が高い給与を得るようになり、優秀な人材を集めています。

 

日本では、過去20年に、確実な収入をえられる職業は、医者だけになりました。医者は、人命を助けるので大切な仕事ですが、日本の患者の過半数は高齢者なので、治療による生産性の改善効果はとても小さくなっています。

 

優秀な人材には、生産性の向上をはかってもらわなくては、国は豊になりません。

 

IT系の高度人材の給与が高い外国と、主に、高齢者を治療している医者の所得が高い日本とでは、どちらが、より大きな生産性の改善が期待できるかは明白です。

 

日本は、生産性の改善を放棄して、貧しくなっています。

 

生産性を上げることは禁止されています。

 

スキルを身に着けても、スキルを使って生産性を上げることは禁止されています。

 

情報操作、同調圧力、年功型雇用など、表現型は多彩ですが、生産性の向上が禁止されている点は共通しています。

 

生産性の向上の禁止は、スキルの学習の禁止でもあります。

 

スキルを身に着け、活用すれば、生産性はあがります。

 

そうなった場合、スキルを持っていない人の所得が下がります。

 

そこで、格差問題を持ち出して、学習を禁止します。

 

これは、非常に陰湿な逆差別です。

 

大学を卒業して、企業に就職する時に、給与はほぼ均一です。

 

大学の成績や、獲得したスキルが給与に反映されることはありません。

 

大学で、スキルを身に着けたり、難関大学を優秀な成績で卒業しても、初任給には差がありません。

 

これは、暗に、学習しても無駄ですよという「学習の禁止」のシグナルを出していることになります。

 

エリート(高度人材)になろうとするのは、医者以外は、無駄で、スキルを活用して生産性を上げて、所得を上げる方法はありませんというシグナルを出しています。