計算論的思考の哲学(5)食料自給と飢餓

(飢餓問題は、食料の購買力問題です。個人レベルでは、食料の直接配布が効果的です。しかし、この2つに関するデータは決定的に不足しています。)

最近の新聞には、食料自給関連の記事が多くあります。

  • 2021/12/19の日経新聞に、世界の食料市場で、取引されている食料の半分以上を、中国1国が、購入していると出ていました。

  • 一方、トルコでは、インフレで、食料価格が高騰し、市価より安い価格で、パンを販売する販売所に、列ができていると報じられています。

  • 日本国内でも、食料配布に並ぶ人の数は、コロナウイルスの感染拡大で、増加したあと、現在も減っていないという報道があります。

  • アルバイトができなくなった学生向けに、大学を通じた無料食料配布を行っている県もあります。

  • 国土交通省が長年、「建設工事受注動態統計調査」のデータの改ざんを続けていたことが報じられています。

計算論的思考では、「統計的思考法」を取りますが、機械学習で、パターンを見つけるか、「因果論的思考法」で、仮説を立てます。ただし、「因果論的思考法」は、システム2を使って、柔軟に行う必要があります。

上記の報道から、次がわかります。

1)飢餓と食料自給率の間には、直接的な関係はない。トルコの食料自給率は100%を越えていて、日本より高いです。

2)飢餓には、食料の購買力が影響します。つまり、国ベースで考えれば、中国のGDP(購買力)が、日本のGDPを越えたことが問題です。個人レベルで考えれば、日本の一番貧しい人(恐らく生活保護を受けている人)の購買力と中国で、豊かな方から、1億2000万人目の人の購買力の比較が問題になります。1人あたリの平均のGDPでは日本は、中国より豊かですが、日本の最下位と中国の1億2000万人目を比べて、日本の方が豊かである可能性は低いでしょう。大まかには、1人あたりのGDPが下がると、飢餓のリスクが高くなります。この数字は、食料自給率よりは、本質的な数字です。

3)過去の実績を見ると、飢餓に対して有効な手段は、食料配布です。つまり、最低限の食料配布ができるシステムの確保が必須ですが、現在、この機能は、公的ではなく、ボランティアが行っている場合が多いです。

4)世界の食料市場のデータは、もっぱら、米国に依存しています。

購買力があって、食料の輸入ができなくなると困る国は、日本と中国です。太平洋戦争の敗因のひとつに、データ無視、ファクト無視がありました。高度経済成長期に、食料の輸入依存度が高くなったのですから、日本は、主体的に、世界の食料市場のデータを集めてもよかったはずです。政府は、商社に委託して、調査をすることもできたでしょう。しかし、安全保障に関わるデータを収集してきませんでした。国土交通省のデータ改ざんは、データの価値を無視した政策決定が行われてきたことを示しています。コロナウイルスの感染でも、日本は、公開データが少なく、世界的に見て、論文の数が極端に少なくなった原因になっています。

終戦直後は、日本中が飢餓にありました。食料の増産をするために、開墾と農地開発(緊急開拓)が行われました。その時に、計画立案するためのデータはゼロでした。霞が関で、恐らく、人口から逆算して、必要な農地面積を出して、それを開発計画にしています。開墾する土地は、もともと農地に適していないから、放置されていた土地、森林であった土地、寒冷地などです。それなりの努力で、開墾ができる土地は限られています。このため営農が軌道にのらず離農した開拓農家が多数出ました。

食料配布をする場合でも、計画を立てるために、データは必須です。しかし、データはないし、揃える計画もないようにみえます。

これは、生活保護を見れば、わかります。生活保護は、申請で、できるだけ数を押さえる方向で調整がなされます。生活保護を申請した人の数のデータはありますが、生活保護を必要とするレベル人が何人いるのかのデータはありません。本来であれば、生活保護を必要とするレベルの人の人口データから、必要な予算を確保して、予算の割り当てを別途、行うべきです。憲法の規定する文化的な最低限の生活を保障するのであれば、この手順でなければいけません。

計算論的思考は、データサイエンスの活用でもありますので、ともかく、データを取らない、公開しないという事では、科学的な意思決定のスタートラインにも立てません。