駿府城東御門(静岡県静岡市)
数年前に撮影した写真です。駿府城といっても、知名度はゼロに近いと思います。
駿府城は、静岡市にある徳川家康の居城です。家康は、大きな権力をもっていましたから、居城が残っていれば、非常に規模の大きなものになったと思われます。
家康は、1585年、1607年(同年焼失)、1608年(1635年焼失)と3回にわたって、築城または、改築を行っていますが、1635年の焼失以降は再建されることはありませんでした。
1590年~1606年と、1609年~1632年は天領ではありません。
1601年~1606年と1609年~1632年は駿府藩(府中藩、駿河府中藩)でした。それ以外の江戸時代は天領です。
大政奉還から、廃藩置県前の1867年~1869年も、駿府藩または、府中藩でした。府中は現在の静岡市中心部の江戸時代の名称です、東海道53次で現在の静岡市に含まれる宿場は以下です。
1869年(明治2年)に 府中(駿府)は、朝廷(維新政府・明治政府)や天皇に対し「不忠」に通じるとして、静岡と改名し、藩名も静岡藩となります。静岡藩は、1871年(明治4年)の廃藩置県で廃藩になります。
このため、 後年の資料では、1867年~1869年の駿府藩を静岡藩と記載するものが多くなります。
なお、1868年に府中藩は明治政府に「静岡」「静」「静城」の3つの案を上申し、明治政府が「静岡」を採用したといいます。この「シズオカ」という名称のうち「シズ」は賤機山に由来するとされ、名称の決定に際して賤機山にちなんだ「賤ヶ丘」としていったんは決まったが藩学校頭取であった向山黄村の提案で、「賤」の字を「静」に改めたとされています。
1867年の大政奉還を行った徳川慶喜に代わって、1869年に田安亀之助(徳川家達)が、徳川宗家の相続を許可され、駿府藩主として70万石を与えられます。徳川家達は、1869年(明治2年)に、静岡藩知藩事に就任し、駿河府中に移住します。この時点で、駿府藩は無くなり、府中も静岡になります。1884年(明治17年)に徳川宗家は、公爵に叙爵された。 徳川宗家は、1940年東京オリンピックの組織委員会委員長を務めています。
さて、駿府城に話を戻します。
年表は以下です。要するに、駿府城は、徹頭徹尾、徳川家康の城でした。しかし、1635年に焼失したため、資料がほとんど残っていません(「大御所の町・駿府城下町の誕生」)。戦後は、コンクリートで、城を再建する場合も見られました。しかし、最近では、歴史資料に基づかない再建は、ほぼ、不可能になっています。
東御門も1635年焼失しましたが、1638年(寛永15年)に再建されます。明治の廃城令で取り壊されます。1996年(平成8年)に日本古来の伝統工法で復元されました。
つまり、この部分だけは、明治時代まで、残っていたので、資料があって復元できたわけです。
写真1が、東御門全景です。写真2は、門の内部で、太い木が見えます。
駿府とはある意味、駿河府中藩の短縮形です。駿府城は、今川氏の府中館があった所でもあります。
1585年(天正13年by徳川家康、1587年、1582年説もある)駿府城は近世城郭として築城し、天守が築造。
1590年(天正18年)家康の関東移封に伴い豊臣系大名の中村一氏が入城。
1605年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで、中村一忠(一氏の子)は東軍にとして武功を挙げ、伯耆米子藩に移封。
1601年(慶長6年)伊豆韮山より徳川家譜代の家臣・内藤信成が4万石で入封し、駿府藩成立。
1606年(慶長11年)信成は移封され、徳川家康が、駿府城に入ったため駿府藩は廃藩。
1607年(慶長12年by徳川家康)駿府城の大改修、独立式層塔型6重7階の天守閣。
1607年 本丸より出火し天守は焼失。
1608年(慶長13年by徳川家康)再建工事、石垣上端で約55m×48mという城郭史上最大級の規模。天守曲輪は、5層7階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造。
1609年(慶長14年)に家康の十男・徳川頼宣が50万石で入封し駿府藩が復活。
1610年(慶長15年)再建完了。
1619年(元和5年) 頼宣が和歌山城主に移封。
1624年(寛永元年) 徳川秀忠の第二子・徳川忠長が駿府城主となる。
1631年(寛永8年) 忠長が乱心、兄である徳川家光に改易と蟄居を命じられる。
1632年(寛永9年) 忠長が高崎城で自刃。以後、駿府は江戸幕府直轄領となり、駿府城代・駿府定番(副城代に相当)が置かれる。
1633年(寛永10年)以降は明治維新まで幕府の直轄地となり駿府城代が置かれた。
1635年(寛永12年)に城下の火災が城に延焼し焼失。城主がいないため天守は再建されなかった。
1869年(明治2年) 江戸が東京に、駿府が静岡に改名される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%BF%E5%BA%9C%E5%9F%8E
https://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/study/04_08.htm