雨引観音(2)(桜川市)~つくば市とその周辺の風景写真案内(814)

雨引観音(2)(桜川市

雨引山のHPには、神仏分離の話が出ています。神仏分離令は、明治3年(1870年)です。HPは、神仏分離令に触れているのですが、実態はよくわかりません。

それ以前に、 徳川光圀が、水戸藩の廃仏を行っており、領内の半分の寺が廃されています。 徳川斉昭は水戸学学者である藤田東湖・会沢正志斎らとともにより一層厳しい弾圧を加えています。 水戸藩の武備充実の一環として、斉昭は天保13年(1842年)藤田東湖ら図って、領内寺院で由緒の浅い仏像や梵鐘を納入させて、大砲の鋳造に役立てた。しかし、改革派のやりかたは寺院側の反感が高まり、斉昭失脚の大きな原因の一つとなったようです。 

いずれにしても、茨城県は、廃仏毀釈をかなり強く行っており、仏教寺院が少ない原因になっているようです。

写真1が多宝塔です。

写真3のように、境内をクジャクが歩いています。

雨引山のいわれとご利益 http://www.amabiki.or.jp/amabiki/history/

神仏分離筑波山廃仏毀釈 https://blog.goo.ne.jp/htshumei/e/612e631e778da83768df810aa5808026

写真1 雨引観音の多宝塔

写真2 雨引観音の花手水

写真3 雨引観音クジャク