ミャンマーとコロナウィルス

ミャンマーの人権問題で、経済制裁に入っていないのは、主要国の中では、日本と中国だけのようです。

外交政策を変えるべきか、否かが、今、問われています。

ODAをはじめ、今までの外交ルールを変える場合には、誰が、主体的に動くのでしょうか。

米国の場合には、政策の良し悪しは別にして、大統領がバイデンに変わったことで、一部の政策には明確な違いが現れました。これは、大統領または、大統領のチームが政策についての意思決定と責任を負っていることを示しています。

オバマ大統領は白人ではありませんでしたが、そのことが格段の政策の変化を生みませんでしたので、大統領個人というよりも、大統領のチームの意思決定と考えた方がよいと思われます。

大統領に限りませんが、米国では、トップが変わると、前任者の方針を継続する部分と変更する部分を明確にするのが普通です。

また、米国では、大統領が変わると、大臣に相当する長官だけでなく、幹部ポストの人材も入れ替わります。つまり、省庁の政策も、大統領一派の人が、要職について、政策を変更します。ですから、各省庁の政策も、大統領のチームの意思決定にそったものになります。

日本の場合には、政権が変わっても、変わるのは大臣だけです。名誉職のような副大臣もいますが、実質的には機能していないので、無視できます。

この場合、ミャンマー問題のように、外交政策を変更するか、否かは誰が検討しているのでしょうか。大臣は、官僚と違ってデータをもっていませんので、ほとんどが、官僚のお膳立てで動きます。本当は、もっとデータの公開を進めることが、第一歩だと思いますが、政治家はこれには関心がありません。つまり、外交政策は、外務大臣や総理大臣が決めている訳ではないのです。それでは、外務省のだれが決めているのか、これも、外から見れば、グレーです。

前世紀には、官僚上がりの総理大臣もいました。この場合には、官僚ステムを熟知していますから、どこをプッシュすれば官僚を動かせるかということを知っていたと思います。しかし、今世紀には、そのような人材はでなくなりました。外交政策は、外務大臣や総理大臣が決めていなことを、国民は皆、知っています。それは、米国と比べてみれば、一目でわかります。マスコミは、形式的に、各省庁の大臣や総理大臣が意思決定しているように報道していますが、話している本人の理解度が怪しいと思われる場面も時々あります。大臣が、意思決定にかかわっていない訳ではありませんが、例えて言えば、旦那が、奥さんに今日の昼は、蕎麦にしますか、スパゲッティにしますかと、聞かれて、メニューを選択しているレベルです。大臣が、可能な意思決定は細部だけで、大枠での意思決定には参加できていないのです。

以上は、ミヤンマーの外交を例にあげましたが、コロナウィス対策でも、変わらないと思います。

コロナウィルス対策でも、本当のところ誰が、意思決定をしているのかは不明です。

三権分立という考え方、三権のトップは、独自に意思決定して、権力行使ができるという前提で成立しているシステムです。その意味では、三権分立にはなっていないと考えるべきかも知れません。