計算論的思考と人文・社会科学(1)~帰納法と演繹法をめぐる考察(8)

計算論的思考と人文・社会科学(1)

計算論的思考は、演繹的思考です。コンピュータは、基本的には、演繹する機械だからです。モデルのパラメータ設定や、機械学習で、帰納的な手続きが使われますが、これは、その後の演繹である推論の準備段階になります。教育にコンピュータサイエンスを取り入れる動きがあります。これも、現在行われていることには、ちぐはぐな面があり、問題も多いのですが、その点は後に置くことにします。

計算論的思考は、IT関係の学習や仕事をしている人にとっては、常識のようなもので、空気を吸い込んでいるようなもので、普段は、そうした思考形態になっていることを意識することはありません。しかし、計算論的思考は、従来の分野から見ると、異端または、異教徒の思考形態に見えるようです。

今回は、この点を考えてみます。

コンピュータのシステムは、通常は、ある問題を解決する目的で、設計・実装されます。計算論的思考は、その過程で出来上がった効率的にシステムを構築するためのノウハウ集のようなものです。コンピュータサイエンティストは、別に、特定の計算論的思考を強要されるわけではありませんが、非効率なノウハウは淘汰されてしまいますので、実質的には、共通性のある計算論的思考が出来上がります。こうした計算論的思考は、IT関連業界にいる人にとっては、違和感がないのですが、他の分野では計算論的思考に違和感があります。

今回は、こうした例をあげてみます。

エコシステムと相対主義

コンピュータ言語にもいろいろな種類があります。最初はアセンブラから始まったのですが、流石に、使いにくいというので、Fortranなどの言語ができます。その後、Unixが普及して、CまたはC++が標準言語になります。WEBが出てきて、Javaがひろまり、最近のデータサイエンスでは、ライブラリの充実度からPythonまたはRを使う場合が多くなっています。コンピュータ言語には、絶対に良い言語は存在しません。その意味では、コンピュータ言語の選択は、相対主義です。しかし、処理速度、開発速度、メンテナンスコストからみて、各言語には、明確な優劣があり、優れた言語しか生き残りません。Fortranは、ほとんど、絶滅しかけた言語です。しかし、富岳のようなスパコンでは、標準言語のひとつです。それは、処理速度が速いからです。オブジェクト指向Fortran言語使用もありますが、ほとんど普及しません。オブジェクト指向でコーディングするのであれば、他の言語の方が使いやすいからです。結局、どのコンピュータ言語が生き残っているのかは、異なったエコシステムの分布状況によります。これは、生態学の種のすみわけと絶滅の区分にそっくりです。

人文科学には、文化的相対主義があります。これは、キリスト教の価値観が正しく、それ以外は、野蛮であるという政策が続いた反動ですが、複数の文化の間に優劣はないという考えです。一つの文化の中には、価値の上下の序列があります。文化的相対主義になると、何が正しいか決められなくなると言われています。例えば、最近人気のある哲学者のマルクス・ガブリエルは、文化的相対主義は間違っていると主張します。しかし、この発言にはエコシスムがでてきません。コンピュータ言語のように、その文化が生き残るかどうかは、エコシステムに依存します。イスラム教の信者が、中東のエコシステムで生活している場合には、イスラム教の価値(文化)が優位になります。キリスト教の信者が、フランスのエコシステムで生活している場合には、キリスト教の価値(文化)が優位になります。ここでは、エコシステムと優位となる文化の間で、すみわけができている訳です。イスラム教の信者が、フランスに移住した場合には、次の2つの、組み合わせしかありません。

  1. エコシステムに合わせて、イスラム教の信者がキリスト教化する

  2. エコシステムが、文化の変容に合わせて変化する

イスラム教は、信仰の変容について、許容性が低いので、2.が主流になります。これは、フランスでは主流のキリスト教の信者にとっては、耐えがたいことになります。文化的相対主義は、エコシステムとのセットで考える必要があるということは、計算論的思考をすれば、自明と思いますが、これが、理解されないのです。移民が増えて、収拾がつかなくなってから、この問題が論じられています。

  • 貿易自由化の例

主流派の経済学では、国際貿易の拡大で、輸入国も、輸出国も、豊かになれるという比較優位の理論があり、貿易の経済障壁は、切り下げるべきであると主張してきました。しかし、ここでもエコシステムが無視されています。コロナウィルスで、マスクの輸入が中止されると、比較優位の理論には問題があるということになるのですが、エコシステムの構築は、おまけ程度の扱いです。スマホの成功は、クラウド上の全く新しいエコシステムの構築にあったことは明らかです。計算論的思考をすれば、エコシスムの設計こそが、中心課題であると思われますが、そのように、考える経済学者はまれです。おそらく、米中の経済問題も、エコシステムの対立の側面で考えないと、将来が見えないでしょう。

長くなったので、今日はここまでにします。