ロシアのエコシステム~2030年のヒストリアンとビジョナリスト

(ロシアは、独裁のエコシステムをとっています。民主主義のエコシステムと独裁のエコシステムのバランスが重要な課題になっています)

 

ここでの課題は、エコシステムでものを考えることです。

 

1)ソ連のエコシステム

 

冷戦の時代には、ソ連は、社会主義経済という東のエコシステムで、西側は、資本主義経済という西のエコシステムでした。2つのシステムは、安定的に併存したわけではなく、東のエコシステムは、壁を作り、西のエコシステムへの人の移動を原則禁止していました。つまり、移動を禁止するという手段によって東のエコシステムの維持が図られていました。

 

冷戦は、東のエコシステムと西のエコシステムの間の戦争です。冷戦の建前は、イデオロギーの異なるエコシステムの間の戦争、エコシステムの生き残りをかけた戦争でした。何が正義かは、エコシステムで異なるので、イデオロギーの戦争ともみなされました。

 

2)難民とエコシステム

 

東のエコシステムで、移動が禁止されている場所では、餓死者が出ることがあります。

 

スターリン時代のウクライナでは、総人口の2割近くの餓死者が出たと推定されています。

 

毛沢東時代の大躍進と文化大革命の時代には、それぞれ、数千万人と数百万人の死者が出ています。大躍進時の死者は、餓死者ですが、文化大革命時の死者は、政治的な弾圧による死者が多かったと推定されています。ただし、この2種類の死者を区別することは困難です。

 

内戦が起こると政治的な分断が、死者を生み出します。死者は、政治的な弾圧による場合と、餓死による場合がありますが、区別は困難です。アフリカでは、1960年頃の植民地からの独立以降、内戦に伴う餓死者が発生しています。

 

内戦や戦争が起こると民間人が、死亡するリスクが高まります。ソ連が崩壊する1990年頃までは、東西の壁以外にも、国境が人の移動を制限してきました。また、移動コストが高い時代には移動は困難でした。外部の情報が制限される場合には、死亡リスクが高まっても、難民という手段が知られていない時代もありました。

 

難民が発生する場合には、難民が発生する国の経済のエコシステムは崩壊しています。受け入れ国の経済のエコシステムは健全で、そこで、就労すれば、安定した生活が可能です。

 

人間は生物なので、人間生態系を形成しています。つまり、人間の社会は、生物学的に見れば、アナロジーではなく、エコシステムそのものです。

 

移民は、生物学のエコシステムで考えれば、外来生物種の参入に対応します。これは差別用語ではなく、部分的に異質な生物が参入するという意味です。エコシステムへの生物の参入はエコシステムに作用して、エコシステムを変化させます。参入する生物数(移民数)が多ければ、影響は大きくなります。変化が良い方向か、悪い方向かという価値観はさておいて、変化が起こることは生態学の法則です。

 

難民の急増によって、移民の問題は、人権問題だけでは、扱えない複雑な問題になっていますが、問題点の整理には、生態学的な視点が不可欠のように見えます。

 

3)独裁国家のエコシステム

 

冷戦時代に、東のエコシステムには、社会主義経済という正義があり、西のエコシステムには、資本主義経済という正義があると考えられていました。

 

経済学の正義は、次の2つの要素からなります。

(1)効率性の正義

(2)平等性の正義

 

大まかにいえば、資本主義経済は、(1)を重視して、問題がないように、(2)の格差を後で補正する考え方です。

社会主義経済は、(2)を重視して、(1)を後で補正する考え方です。

建前は、優先順位の違いです。

 

この2つのエコシステムでは、価値観が相いれませんので、お互いに価値観を追求すると戦争になってしまいます。冷戦時代には、戦争回避を優先して、価値観の衝突を避けることがコモンセンスになっていました。

 

日本の大学の経済学部では、資本主義に賛同する近代経済学を専門とする学者と、社会主義に賛同するマルクス経済学を専門とする学者が勢力を2分していました。

 

ソ連が崩壊して、どうも社会主義経済の「(2)を重視して、(1)を後で補正する」考え方が怪しいと判断されるようになりました。社会主義では、平等性が実現していないこと、資本主義の弱点とみなされていた環境破壊が、社会主義では、資本主義以上にひどいことがわかったからです。

 

そこで、ソ連崩壊後、残された唯一の正義である資本主義のグローバル化が進みます。資本主義の正義を拡大しても、戦争になるリスクは、冷戦の終了で激減したと考えられたからです。

 

もちろん、イランのようにイスラム教の正義が、資本主義の正義に優先すると考える国もあり、局所的な紛争は絶えませんでしたが、冷戦時代のように、世界大戦が再発するリスクは少なく、時間がたてば、資本主義の正義に、世界は収斂すると思われていました。

 

1989年に、フランシス・フクヤマが出版した「歴史の終わりThe End of History and the Last Man」は、冷戦終了時の時代精神をよく表しています。

 

中国の社会主義市場経済が、大きな外資を受け入れ発展したことはその時代精神を反映しています。

 

2022年時点で、資本主義(民主主義)が政治体制である国の数が半数を切っています。独裁体制とそれに準ずる国を合わせると、民主主義の国の数を超えています。

 

西欧が近代化する前の絶対主義の時代には、王権による独裁が行われていましたが、理屈の上では、絶対王政にも、王権神授説のような正義の理論がありました。

 

ソ連が崩壊した後に、存続する独裁体制の国では、実権は軍事力をもっている政治グループが権力を掌握していますが、それでも、建前上の正義の理論があります。

 

軍事力を手にして政権をとったものが正義であるという理論の典型は、易姓革命です。易姓革命は、なんでも正義に切り替える魔法の理論です。中国の政治のエコシステムの実態は、易姓革命ではないかと考える人もいます。

 

独裁は、民主主義のエコシステムから見れば、悪です。しかし、独裁のエコシステムは、軍事力を背景に体制維持をはかります。独裁政権は、体制崩壊よりは、人権弾圧や内戦を選択します。独裁政権を追いつめても、独裁のエコシステムが入れ替わることはなく、内戦や戦争が引き起こされます。

 

つまり、現状は、歴史の終わりではなく、民主主義と独裁のエコシステムが、併存しています。2022年時点では、最大の軍事力を持つ国はアメリカですが、将来、中国の軍事力が、最大になる可能性もあります。エコシステムのバランスを考えると、最大軍事力の国がどこにあるかは、重要な課題です。