最後のサムライの死を悼んで(李登輝追悼)

政治選択の課題

コロナウィルスについて、専門家は意見を言うが、最後は科学でなく政治判断で科学は関与すべきでないと新聞に書いている科学コミュニケーションの専門家がいて唖然としました。現実には政治判断が行われるのですが、政治判断に問題がある場合も多々あります。政治家は選挙で選ばれたので、自分たちに正統性があるといいますが、科学者たちが、その正統性を無条件に認めているわけではありません。年金問題少子化問題は、政治判断によって先送りされ、問題が重症化していますし、これらに関係した財政問題も政治判断は無能です。より正確にいえば、数学的に政治判断は局所最適化が図られ、大域的な最適化が図られないのです。あるいは、戦略がなく、戦術しかないといえるかもしれません。おそらく、経済学者にきいたら、年金問題は、最終的には政治判断だから、いまのままで良いという人はまずいないと思います。なぜなら、政治判断は問題を先送りしているだけで、何ら解決していないからです。経済学者は、自分たちが、政策判断に影響を及ぼせなかったことを残念に思い、何とかしたいと思っています。最終決定は政治判断だから丸投げしていいという科学者は少数と思います。これは、現在の技術者教育で技術者倫理が必修になっている理由でもあります。

サムライの死

終戦後に政治家になった人には、陸軍士官学校海軍兵学校の卒業生がかなりいました。こうした政治家の同期は、戦時中に多数なくなっています。陸軍士官学校海軍兵学校のカリキュラムには問題も多く手放しで良しとすることはできませんが(注1)、それでも卒業生は自分たちが日本を動かしていくというエリート意識があったと思います。自分たちが日本を動かしていくというエリート意識は言い換えれば、支配階級のサムライ精神です。現在の日本の政治家には、陸軍士官学校海軍兵学校の卒業生で政治家になった人の2世や3世がかなりいます。この人たちには、サムライ精神はありません。尖閣諸島に中国が侵略してきたらどうするか、「その時に考える」では、陸軍士官学校海軍兵学校は卒業できません。陸軍士官学校海軍兵学校を卒業して政治家になった人は、皆、この問題にどうすべきかの答えをもっていたと思います。言い換えれば、サムライ精神があれば問題を先送りすることは、恥ずかしい態度で、許されないのです。戦前には、陸軍士官学校海軍兵学校の卒業生だけでなく帝国大学の卒業生など、エリート意識やサムライ精神を持った人がいました。あるいは、そうした人材を育成することが高等教育の目的でもありました。

7月30日に李登輝がなくなりました。かれもサムライ精神を引き継いだ一人です。97歳だったようです。蔡英文は、李登輝から、サムライ精神を引き継いでいます。今回のコロナウィルスでの台湾の対応、香港の民主化問題での台湾の対応を見ていれば、他に振り回されず、我の信ずる道を行くというサムライ精神は明確です。

残念ながら、本家の日本にはサムライはいなくなりました。コロナウイルス対策では、問題の先送りが繰り返されています。コロナウィルス対策の戦略を語る政治家はいません。ですので、政治判断は(下手をすると前回の大戦のときのように)致命的なミスを犯すリスクがあります。おそらく、李登輝は政治家としては最後のサムライであったと思います。最後のサムライの死を悼んで、今回は、筆を置きます。

 

注1:結果をすぐに求めるので、基礎軽視の傾向があります。