成長と分配の経済学(34)~2030年のヒストリアンとビジョナリスト

教育のビジネスモデル

 

(教育のビジネスモデルの再構築が必要です)

 

1)京都大学の対応

 

前回、文部科学省は、「ムークなど世界のデジタル教育、あるいは、世界の大学教育、労働市場を考えていないように見える」と申し上げました。

 

2022/08/19の京都新聞には、次のように出ています。

 

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高等教育研究開発推進センターの9月末での廃止を8月4日に公表し、約6300の講義・講演を動画配信するプラットフォーム(OCW)などを閉鎖するとした。しかし研究者の強い反発もあり、OCWについては「10月以降、運用する方策を学内の関係者と協議する」と6日後に表明した。

 

(中略)

 

京大OCWチャンネルの登録者数は約10万人に達している。

 

(中略)

 

同センターはOCW以外にも、特定のテーマの講義を数週間にわたってシリーズで受講できるサイト(MOOC)も運営してきた。2014年の開始以降、世界各国から27万人以上の受講があった。

 

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京都大学は、京大OCWチャンネルとムークは維持するだけの価値がないと判断したと思われます。

 

2)ムークのビジネスモデル

 

ムーク(MOOC)は無料ですので、そのままでは、講義・講演を作成・運用する費用を回収できません。これは、カーンアカデミーも同じです。この場合には、次の選択肢があります。

 

(1)有料にして、政策・維持管理費用を捻出する。

(2)無料にして、寄付・補助金を財源にする。

(3)無料にして、受講生の個人情報の価値で、相殺する。

 

(1)は、ネットフリックスや新聞の有料のサブスクリプションと同じです。

エンタメ、情報が株式情報のように、すぐに金銭的価値に結びつく場合には、可能なビジネスモデルですが、大学の講義には、あてはまりません。

 

(2)は、カーンアカデミーがとっている方針です。基本的教育は公共財であり無償で提供されるべきであるという信念に基づいて、寄付を集めています。

日本の大学は、文部科学省から交付金をうけていますので、その一部を財源にして、(2)を進めることができます。

 

京都大学の高等教育研究開発推進センタが、京大OCWチャンネルとムークを今まで進めてこれたのは、この方針と思われます。この方針をつづける理由は以下の通りです。

 

(2ー1)教育は公共材であり、できれば、無償で提供されるべきである。

(2-2)OCWとムークは、大学の宣伝になるので、マスコミに広告費を払うよりは、宣伝のコストパフォーマンスがよい。イメージアップの効果が期待できる。

(2-3)デジタル教材開発のテストケースとして投資する価値がある。ここではノウハウの蓄積が期待されるリターンになります。

 

京都大学は、OCWとムークを中止するわけで、上記の理由がなくなったと思われます。

 

(3)は、マイクロソフトGoogleが行っている方法で、人材のスカウトを目的としています。アメリカの大学もこの方法を採用している可能性があります。特別優秀な人材であれば、奨学金を払っても、大学に入学卒業すれば、大学の知名度を上げることができます。



3)大学のビジネスモデル

 

日本では、「ムークのビジネスモデル」に、問題があることを指摘しました。

 

実は、日本では、「ムークのビジネスモデル」以前に、大学のビジネスモデルに問題があります。

 

エマニュエル・トッド氏は、フランスの大学が、新しい身分制度の原因になっていると批判しています。エリート校の大学を卒業したことが、一種の身分の機能を果たして、実力を反映されない人事の根源になっているといいます。

 

ムークは、このような身分制度に対する対抗策になっています。

 

日本でも、大学卒と高等学校卒では、給与に差があります。給与の差が、能力差を反映することは、労働市場の機能として健全ですが、給与の差が、大学卒業というブランドに対して支払われることは不合理で、経済を停滞させます。高校生は、大学にいって学習して内容を理解するよりも、卒業証書というブランドを手に入れることを優先します。こうなると、できるだけ、授業に出席しないで卒業することが合理的な行動になります。大学での教育効果は期待できません。

 

学部・学科に関係のない新卒の一括採用はこの点では非常に不合理です。

 

最近になって、経団連が、ドイツ並みに、インターンを経て採用することも可能であるとしたのは、合理的な判断です。そこに、来るまでに、大学関係者を含めて、反対意見が多数出ました。

 

少子化に伴い、高等学校の卒業生の数は減少していますが、ここ20年間大学の定員は増え続けてきました。

 

文部科学省は、数理系の学部の開設には、数理系の卒業生をふやすといっています。しかし、文系の大学の定員が多いのは、大教室のマスプロ授業で少ない投資で、定員を増やしてきた過去があります。文系の看板を変えれば理数系になる訳ではありません。平等性の面で、私立大学の補助金の比率を上げる提案もありましたが、税収が減って、前に進んでいません。私立大学の大教室講義は、日本が発展途上国の時の経過措置としてはあり得ますが、先進国の大学ではありえません。実際に、団塊の世代が小学生の時には、1クラスが50人を越えていました。また、大学の入学者に対する卒業比率が、90%を越えている国は、日本以外にはなく、これは、カリキュラムを習得できなかった学生を卒業させていることを示しています。

 

つまり、分数のできない大学生問題は放置されています。

 

文部科学省は、2017年度からすべての大学に対して次の3つのポリシーを作って公開することを義務づけています。

 

ディプロマ・ポリシー(卒業認定・学位授与の方針)

 

カリキュラム・ポリシー(教育課程編成・実施の方針)

 

アドミッション・ポリシー(入学者受け入れの方針)

 

しかし、3つのポリシーを作っても、分数のできない大学生が減るわけではありません。

 

大学の目的と手段の明確化はなされていません。

 

大学は何の対価として、授業料をとっているのかは曖昧です。

 

この状態では、京都大学のように、ムークの位置づけは困難です。

 

日本の私立大学の場合には、事業収入に対する授業料の割合が高いので、欧米の大学と同じような「大学の目的と手段の明確化」は不可能です。

少人数の高度教育はできません。

欧州の大学は、人口当たりの定員数は少ないけれど、授業料は無償が多いです。

また、入学しても卒業できる割合も低いです。

そもそも、高等学校の授業についていけない学生が、7割に達する状態で、更に、大学を作っても、どのような教育効果が期待できるのか不明です。

 

私立大学のビジネスモデルは、新卒一括採用の年功型雇用モデルに依存しています。

 

仮に、分数ができるか否かで、給与が変わるのであれば、大学のビジネスモデルが変わって、3つのポリシーが変わります。

 

同様に、数理系の学部の卒業だけでは、大学のビジネスモデルはつくれません。何ができたら、給与がいくら増えるかがわかれば、医学部のように、少人数にしたり、高い授業料をとっても優秀な学生をあつめることは可能です。

 

結局、数理系の学部の新設問題と、ムークの問題の根は共通で、日本の大学教育を世界レベルにするには、どのような教育のビジネスモデルを設計するかにかかわっています。

ジョブ型雇用になれば、卒業証書より、何ができるかで、給与が変わります。

今までは、大学のブランドで、その違いをみていました。

しかし、デジタル社会では、大学ブランドの賞味期限は10年です。

それは、毎年、新しい手法が開発され、利用可能なデータ量が増え続けるからです。

古い卒業証書よりも、あたらしいムークの終了証明の方が価値がある時代になると思われます。


引用文献

どうなる京都大学のユーチューブ講義 10万人登録も廃止方針、研究者反発 2022/08/19 京都新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/9e6b24c8556e3ab0d922d7092d9499235b532049