丸山 真男を超えて

1)丸山真男の時代

 

丸山 真男(旧字体で、丸山 眞男、まるやま まさお、1914年 - 1996年)は、日本の政治学者(思想史家、東京大学名誉教授、日本学士院会員)で、専攻は日本政治思想史です。

 

西欧思想と東洋古典の素養を兼ね備えた学識を持ち、戦後民主主義思想の展開に指導的役割を果たしました。「丸山学派」と称される後進の研究者も多く輩出しました。

 

さて、丸山真男は、1996年に亡くなっていますので、エビデンス革命前の世代になります。

 

丸山真男の業績は、前人未到で、おそらく、他の誰も、これ以上の業績をあげることは不可能であったと思われます。

 

丸山真男は、「社会科学においては、どの仮説が正しいかを検証する手法は存在しない。何が正しいかは、わからない。一方、何が間違っているかは、判断できる」といっていました。(筆者の要約)

 

この「社会科学においては、どの仮説が正しいかを検証する手法は存在しない」は、エビデンス革命の前の時期の科学を示しています。

 

「何が間違っているかは、判断できる」という部分を、筆者は、演繹の活用であると考えます。

 

例えば、教育において、「習得主義か、履修主義か」という議論があります。

 

履修主義は、基本的に落第生を出さないので、一見すると優れているように見えます。

 

しかし、履修主義は、習得が出来ていない学生を大量に卒業させます。

 

その結果、分数ができない大学卒業生を大量に生産しました。

 

現在の年功型雇用の就職試験では、大学卒業の学歴を問いますが、大学での成績は問いません。

 

つまり、分数の出来ない大学卒業生でも問題がないとして、採用しています。

 

しかし、ツケはとこかで表面化します。

 

生成AIは、分数ができます。生成AIで「奪われる」仕事の議論がなされていますが、そもそも分数ができなければ、生成AIに対して勝ち目はありまえん。

 

ITのリスキリングをしても、分数ができなければ、プログラミングが出来るようになれませんので、リスキリングは無理です。

 

つまり、分数の出来ない大学卒業生を卒業させれば、失業者を出さないために、分数の出来ない大学卒業生でもできる仕事をつくるなど、大きな社会的コストがかかります。

 

これは、履修主義のコストの一例ですが、それ以外の点でも同じような社会的コストが生じているはずです。

 

ここでは、筆者は、習得主義と履修主義のどちらが良いのかという問題に結論を出したいのではありません。(注1)

 

丸山真男が、「何が間違っているかは、判断できる」といった根拠は、筆者は、演繹の活用にあったと考えています。

 

政策の是非の判断では、政策が失敗する場合を演繹で考えることであり、無謬主義とは相容れません。

 

丸山真男は、「エビデンスに基づく政策決定」については何も知りませんでした。

 

丸山真男が、2023年現在も現役であったならば、その学問に「エビデンスに基づく政策決定」を組み込んでいたと思われます。

 

後世に残された人は、如何に先達の業績が優れていても、その結果を不変のものとして扱うのではなく、先達の精神を生かして、新しい手法やデータをつけ加えて、先達の業績をリニューアルする必要があります。

 

これは、パースが、進化論を元に考えた、真理は常に更新し続けられるものという科学観とも一致します。

 

そう考えると丸山真男以降の社会科学は、エビデンス革命に対応してリニューアルできているかが、課題になります。

 

2)「エビデンスに基づく政策決定」の現状

 

エビデンスに基づく政策決定」をGoogleで検索すると、いくつか、ヒットする案件があります。

 

しかし、その内容を見るとめまいを覚えます。

 

1959年に、スノーは、「二つの文化と科学革命(The Two Cultures and Scientific Revolution)」の中で次の様に言いました。

 

現代の物理学の偉大な体系は進んでいて、西欧のもっとも賢明な人びとの多くは物理学にたいして、もっと簡単な質問である「質量、あるいは加速度とは何か」にも答えられない、いわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていない。 

 

エビデンス革命は、物理学と同じように、データサイエンスの科学の用語でできています。

 

これは、「質量、あるいは加速度」と同じような専門用語です。

 

因果モデルの仮説は、エビデンスに基づいて検証されます。

 

仮説は、「原因ー>結果」の構造を持ちます。

 

検証は、次の2つを比較します。これは、コイン型命題です。

 

「with原因ー>with結果」

 

「without原因ー>without結果」

 

仮説は、あるcasual universeに対して検証されます。

 

母集団とサンプルという表現は、不正確なので、筆者は、仮説作成と検証の各々に、casual univese(インスタンスの集合)を明示すべきと考えます。

 

エビデンスがとれない場合には、エビデンス革命の手法が使えないので、従来の手法が暫定的に継続使用されます。

 

しかし、エビデンスがとれた場合には、従来の手法は否定されます。

 

エビデンスが検証した新仮説が、丸山真男が作った旧仮説を否定した場合、旧仮説は放棄されます。

 

これは、丸山真男が作った旧仮説が間違っていたか否かという意味ではありません。全ての仮説には、賞味起源があります。現在のデータ(エビデンス)が、支持する仮説は、旧仮説ではなく、新仮説であるという判断です。

 

丸山真男は、亡くなって四半世紀が過ぎました。

 

しかし、「エビデンスが検証した新仮説が、旧仮説を否定した場合、旧仮説は放棄される」というルールには、例外はありません。

 

昨年亡くなった大学者でも、現役で働いていて、論文(仮説)を2年前に提出した研究者でも、同じルールが適用されます。

 

韓国チームが月末に発表した、世界初の常温常圧超伝導体(超伝導物質)「LK-99」は、エビデンスがとれなかったので、8月16日のNatureオンライン版は「韓国の研究チームが開発したLK-99は常温常圧超伝導体ではない」と否定しています。

 

エビデンスに基づく政策決定」とは、「LK-99」と同じことが、政策決定にもおこるということです。これが、科学の手法です。

 

逆に言えば、現在では、根拠を示さずに、効果の見えない政策が継続されますので、意図的に、エビデンスデータをとらないことも含めて、科学を無視していることは明白です。

 

この先は、何を書いても愚痴になるので、中止します。

 

また、何を書いても、データサイエンスの科学的文化を理解していない人が、理解できるとは思えません。

 

最後に、筆者の学習経験を書いておきます。

 

エビデンス革命の解説書には、内容を理解していないものが多く、そうした本は、読めば読むほど分らなくなります。

 

推薦図書は、次の3つです。

 

(1)疫学

専門知識がないと非常に読みにくいですが、「疫学」のテキストは、基本中の基本で外せません。「エビデンスに基づく政策決定」といった政策決定の専門家の著書には、間違いが余りに多いです。科学の用語理解から間違っていることもあります。最初は、「疫学」からスタートすべきです。基本的な問題点と考え方がわからくなった場合には、ここに戻れば、発見があります。

 

(2)コード付きデータサイエンスのテキスト

データサイエンスの入門書で、サンプルコード付が推奨できます。これは、疫学よりは読みやすいですが、数学的に整理されているので、見通しがよい反面、問題点に気付きにくいです。また、やっと最近になって、著名なデータサイエンスの研究者の入門書が和訳されてきたので、これもお薦めです。

 

(3)社会科学の事例

経済学を中心に、事例中心の書籍が出ています。読みやすい反面、理論的な背景は、あまり触れられていません。とりかかりには、お薦めできますが、(1)(2)と併読する必要があります。

 

注1:

 

パースの「ブリーフの固定化法」によれば、「履修主義」は、エビデンスを無視した形而上学なので、検討にすら値しません。

 

引用しなかった文献

 

内閣府におけるEBPMへの取組

https://www.cao.go.jp/others/kichou/ebpm/ebpm.html

 

ロジックモデル作成ガイド

https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2019/01/gra_pro_soc_gui_03.pdf

 

2.ロジックモデルについて

https://www.mext.go.jp/a_menu/hyouka/kekka/06032711/002.htm

 

ロジックモデルの基礎

https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001106697.pdf