山口周氏の上記のタイトルの本を半年以上前に読みました。
このブログでは、本に関する記載は今までしていなかったのですが、思うところがあって、今後書いていこうと思います。
この本は「理系の論理で解決できる問題は努力すれば誰でもできる。今後大切なのは感性であり、文系の知識である」という主張です。筆者は慶応大学の哲学科を卒業して、コンサルタントで働いた経歴に持ち主で、本書は経営コンサルタントの視点で書かれています。
指摘しておきたいことは、ご本人も理解して記述していることです。
要するに、著者も述べているように、新しい経営計画をどうすべきかは「論理的な理科系の範囲で問題解決できないのであるから(ここまでは正しいと思います)、直感で問題解決できるように直感を磨くべきだ。(ここは論理が飛躍して破綻しています。)」
人文科学では、学問の正当性が、古くからのその時代の代表的な知性によって扱われてきたとする主張がよくあります。しかし、これは、自然科学が発生した400年前から、次第に否定されてきている方法論です。その根拠は、エビデンスが昔の知識人に勝るということにつきます。もちろん、その時代のトップの知識人が関与した課題については、目の付け方や、論理の展開について、非常に参考になる点は多々あり、これは参考にすべきです。しかし、結論は、エビデンスに合わなけれは価値はありません。
その典型は、アリストテレスの論理学にあります。いくつかの本やWEBでは、アリストテレスが三段論法を開発したとかかれていますが、それは、正しくありません。2000年の歴史を経て、フレーゲが解決しました。これについては、以下をご覧ください。
石本新「ラッセルの論理学」 『理想』1962年2月号、pp.30-37.
https://russell-j.com/cool/ISHI5.HTM
フレーゲも問題を解決するには、記号を用いています。複雑な問題を検討するには、言語では無理で、記号や、図形を使う必要があります。これは、パールが指摘していることであり、その通りだと思います。このブログでも、アダムスのゾーンシステムの解説に図を使っていますが、文章だけで説明することは不可能と思われます。哲学者の中でも、論理学に近い人は、記号論理で論文を書くことがありますが、これは、例外で、現在でも、人文科学では、言語だけをつかうケースが多いと思われます。もちろん、記号や図形の意味を説明するのは言語になりますが、言語は演算にはむいていません。書評から脱線したので、この続きは、また、別の機会にしたいと思います。