レンズの価格(7)

7)キャノン EF 40mm F2.8

 

キャノンのフルサイズのEFマウントの入門用交換レンズには、50mmとパンケーキレンズがあります。

 

No.1のベストセラーは、EF 50mmF1.8 STMです。

 

パンケーキレンズは、40mm F2.8です。

 

EF50mm F1.8は、1987年3月発売の古いレンズで、1990年12月に改良されたII型になり、2015年5月に、ステッピングモーター付きのEF50mm F1.8 STMになっています。

 

一方、パンケーキレンズの40mm F2.8は、2012年 6月発売の比較的新しいレンズです。

 

APS-Cのミラーレス用のパンケーキレンスEF-M 20mm F2.0が、2012年9月に、APS-CのEF-S24mm F2.8 STMが、2014年11月に出ています。

 

この3つのパンケーキレンズは、兄弟レンズで、よく似た設計になっています。F2.8レンズは、F2.8から高い解像度があります。

 

EF-M 22mm F2.0だけ、絞りが明るいのですが、F2.0では、レンズの周辺の解像度が落ちてしまいます。F2.8に絞るとレンズの周辺の解像度がでますので、その点でも、似ているレンズです。

 

APS-Cの22㎜は換算35㎜、APS-Cの24㎜は換算38㎜になります。

 

さて、EF-M 22mm F2.0は使っていますが、EF40mm F2.8の解像度の評価がとても高かったので、解像度のレファレンス用に、EF40mm F2.8の中古を購入してみました。

 

EF-Mマウントでは、換算64mmになります。

 

64mmのレンズはあまり見かけませんが、トリミングすれば、80mmになるので、ストリートフォトの撮影に適した画角と考えられます。

 

F2.8の解像度は、EF-M 22mm F2.0をF2.8に絞った場合より高い気がします。

 

高い解像度と使えば、主題の存在感は表現しやすいと思いました。

 

ただし、EF-Mマウントのレンズでは、MTFを見る限り、シグマのレンズの方が解像度が高い気がします。もっとも、価格は、パンケーキが定価でも半額以下ですから、当然とも言えます。EF-Mマウントにつけるには、マウントアダプターを使うので、パンケーキにはなりませんが、50mmのレンズ程度の大きさに収まるので、気になる大きさではありません。

 

キャノンのレンズの絵作りは、線が硬いです。このレンズは、特に線が硬くなります。

 

さて、その先のまとめ方で足踏み状態になっています。

今回は、線が硬い実例として、EF40㎜F2.8とニコンAPS-Cの換算50mmになる35㎜F1.8の写真をのせておきます。

 

写真1 EF 40㎜F2.8



写真2 ニコンDX 35㎜F1.8




 



 

今、日本で起こっていること(1)

(日本のブードゥー経済学について説明します)

 

1)現状認識とルート検索

 

山に登るときには、現在位置を確認できなければ、迷子になります。

 

現在位置と山頂の位置関係から、最短ルートや、最適ルートを検索して、登山計画を立てる必要があります。恐らく、これが、ベストな戦略です。

 

次善の策として、現在位置が不明の場合には、ひたすら上に向かって歩く方法があります。この方法では、山頂とは異なった丘に到達するリスクがあります。それでも、山頂とは異なった丘に到達した時点で、現在位置の確認ができますので、ルート検索の手順に取り掛かることができます。

 

最悪の策は、ランダムウォークで、ひたすら動き回る方法です。この方法でも、山の高さが低く、ルートが単純な場合には、山頂に到達できる可能性はゼロではありません。しかし、可能性がゼロではないからとりあえずやってみるという戦略は、多くの場合には、生還できませんので、お薦めできません。

 

最近は、GPSで位置が簡単に確認できますので、山で道に迷って遭難することは少なくなりましたが、1990年頃までは、上記の判断は生命に係る重要なものでした。

 

2)生産性の罠

 

IMFによる2022年10月時点の推計によれば、2022年の1人あたりGDPは、アメリカが、75,179.59ドルで、日本が、34,357.86ドルです。

 

以下では、日本とアメリカの1人当たりGDPを例に、山登りルートの検索を検討します。

 

以下では、1人当たりGDP労働生産性と見なします。これは、とても乱暴で、労働生産性を考えるに、部門毎に分けて検討する必要があります。

 

また、検討は、この世界は、日本とアメリカだけで構成されているという極端に単純なモデルです。実際には、中国、韓国など、日本の産業と競合する国との比較を考える必要があります。

 

とはいえ、検討の論理展開は、以下と同様に進められると思います。

 

以下は、山登りルートの検索の検討事例として、読んでください。

 

2022年の1人あたりGDPは、アメリカが、75,179.59ドルで、日本が、34,357.86ドルです。

 

これが、現在位置になります。アメリカは山頂に向かって日本よりかなり高い位置にいます。

 

潜在成長率は設備などの資本、労働力、生産性の供給サイドの3要素から算定されます。日本は少子化と高齢化で、今後の労働力の増加は見込めません。資本と生産性の区分は経済学の計算の便宜上生まれたもので、独立性は低いと考えます。

 

ロボットを導入して、人が減れば、生産性はあがります。この効果は、ストック評価としては、資本になります。ロボットをつくって、人間の代わりをすれば、生産性はあがります。一方、ソフトウェアの開発言語を変更したり、クラウドを使うことでも生産性があがります。

エンジニアの視点では、生産性の向上は簡単に計測できる分かり易い概念ですが、資本や資本の減価償却は、とても分かりにくいです。特に、ソフトウェア中心の経済では、難しくなります。

 

発展途上国のように、資本が圧倒的に不足している場合には、資本を投入するれば、潜在成長率は上がります。そのステージでは、かつての日本や中国のように、経済成長が年率10%を越えることもあります。しかし、先進国になれば、資本を拡大することでは、経済成長しなくなります。実際に、日銀の金融緩和は、企業の内部留保を増やしただけで、資本への設備投資には繋がっていません。日本は人口が減って、消費が減少していますから、設備投資による過剰生産は回避されます。設備投資が拡大するのは輸出競争力のある場合だけです。輸出競争力は、同じ製品をより安く供給することで実現されますので、賃金を下げるか、生産性を向上させるしかありません。過去20年の日本は、前者を選択して貧しくなりました。これは、先進国を脱落する選択になります。

 

経済学は、生産性を与件の変数と考えるだけで、生産性をあげるツールを提供するわけではありません。

 

エンジニアは、生産性をあげるツールを考えます。

 

スノーは、「二つの文化と科学革命」のなかで、人文的文化と科学的文化があるが、その間には解消できないギャップがあるので、科学的文化に基づくエンジニア教育を拡充しなければ、英国の経済は停滞すると言いました。

 

日本では、「二つの文化と科学革命」は、曲解されて、「二つの文化の間のギャップの解消の重要性を指摘した」と理解されています。この曲解は、STEAM教育では「文系・理系といった枠にとらわれず」といった表現になり、科学技術基本法の改定では「人文科学のみに係る科学技術」が書き込まれます。

 

スノーの「二つの文化と科学革命」を、「生産性」をキーワードに読み解けば、「生産性」を上げられる科学的文化の教育を加速して、「生産性」を上げられない人文的文化の教育を減速しなさいということです。「生産性」にブレーキを踏まないで、アクセルをふかしなさいということです。

 

出生率の低い先進国では、潜在経済成長率は、資本、労働力ではなく、生産性だけで決まります。

 

科学技術が、経済成長に効果があるのは、科学技術が生産性の向上に寄与するからです。

 

生産性向上に寄与しない「人文科学のみに係る科学技術」に予算をつけることは、「二つの文化と科学革命」に反します。

 

筆者は、個人的には、禅が好きです。知り合いに禅宗の僧侶もいます。精神的な安定を得るには、副作用のある投薬よりも、座禅の方が効果があると思います。

 

しかし、禅は世界を変えずに、世界の見方を変える世界です。禅を極めても、飢え死にしそうな人に一粒の麦も与えることはできません。禅は、生産性には寄与しないのです。

 

筆者は、人文科学を否定しませんが、人文科学が「生産性」向上に寄与できるという意見には賛成できません。

 

マルクスは、分配の問題を取り上げました。しかし、マルクスを参考にしても、そこには、生産性を上げる方法が書かれている訳ではありません。資本論を読んでも、設計図が引けるようにはなりません。

 

シュンペーターは、イノベーションの重要性を指摘しました。その指摘は重要です。しかし、シュンペーターの本を読んでも、やはり設計図が引けるようにはなりません。

 

スノーが、「二つの文化と科学革命」のなかで、人文的文化と科学的文化があるが、その間には解消できないギャップがあるといい、エンジニアを育成すべきだといった指摘は以上の点を考えれば、妥当です。

 

まして、人文的文化が、科学的文化と対等であって、代替性がある(ギャップが埋められる)というのは、シャーマニズムでしかありません。そこには、ブードゥー経済学があります。

 

日本を発展途上国から、先進国にふたたび引き戻すことができるとすれば、それは、生産性の改善以外のルートはありません。

 

生産性は、数字ですから、数字をチェックすれば、進捗状況がわかります。

 

政府の経済対策には、生産性の数字が出てきません。

 

生産性の数字を4半期ごとに、チェックして、常に、改善を行えば、経済は発展します。

 

2023年1月に、アメリカのビックテックは、大幅なレイオフを行いました。これは、売り上げが伸びない場合には、生産性を確保するために、余剰人材を吐き出しています。

 

2023年1月に、日本企業は、春闘の賃上げするといっています。

 

春闘をいくら上げたら、もっとも生産性があがるのでしょうか。

 

筆者には、春闘の賃上げ幅の最適解はなく、日本企業の経営者は生産性を見ていないとしか思えません。

 

ビッグテックはレイオフする一方で、高度人材の給与を上げて、人材確保にはしっています。

 

これは、生産性を最大化する資金配分を計算して行っています。

 

次回は数字のチェックから始めます。

レンズの価格(6)

6)デジタル補正と非球面レンズ

 

6-1)デジタルカメラの設計

 

レンズの収差は、色収差とザイデルの5収差(単色収差)に分かれます。

 

色収差は、プリズムの色分解作用で起こりますが、デジタルカメラでは、RGBのピクセルのずれなので、デジタル補正で簡単に補正できます。

 

ザイデルの5収差(球面収差、コマ収差、非点収差、像面湾曲、歪曲収差)は「レンズで光を屈折させたため理想的な像を描かない」、つまりレンズの形のせいで発生する収差なので、フィルム時代には、複数枚数のレンズを組み合わせることで補正してきましたが、最近は、非球面レンズを使って効率的に補正しています。このうち、歪曲収差はデジタル補正が容易です。

 

ザイデルの5収差はトレードオフになりやすいので、歪曲収差はデジタル補正に任せて、残りの4収差をレンズで解消します。

 

かつて、非球面レンズは高精度な研削、研磨技術が必要な高価なレンズでした。現在は、金型を使ったモールド成形で量産化され、一番安価な交換レンズにも使われています。

 

非球面レンズの技術も進歩して、レンズの枚数を減らすことも可能になっています。

 

高価な交換レンズには、色収差を補正するED(特殊低分散) レンズが使われていますが、EDレンズがなくとも、色収差はデジタル補正で取り除けます。

 

つまり、色収差とザイデルの5収差の少ないレンズは、極めて安価に作れます。

 

高価なオールドレンズのレンズ収差は、デジタル補正した安価なデジタルカメラの入門レンズに勝てません。

 

ここまでは、レンズの収差を減らして、解像度をあげる方法の話です。

 

カメラメーカーや、レンズメーカーは、フィルム時代と同じように、ED(特殊低分散) レンズをふんだんに使った高価なレンズを発売しています。

 

フィルム時代には、交換レンズはカメラとちがって、資産価値があると言われてきました。しかし、非球面レンズが量産化された現在では、交換レンズは、消耗品です。

 

シグマや、パナソニック、中国のレンズメーカーのように、一番安い価格帯のレンズにも、EDレンズが投入されている例もあります。交換レンズの価格があまり上昇しないのであれば、EDレンズを使ってもよいと思います。

 

しかし、色収差は、デジタル補正できますので、交換レンズの価格を大きく上昇させてまで、EDレンズを投入することは馬鹿げています。

 

EDレンズを大量に投入すれば、デジタル補正なしでも、交換レンズの色収差は亡くなりますが、その代償として、大きくて重いレンズを高いお金をかけて、購入することになります。

高価なレンズは、ボケが綺麗だといいますが、これは、レンズ収差を残していることを意味します。

 

高価なレンズは、レンズ収差からすれば、性能の悪いレンズになります。

 

つまり、ボケの見栄えの問題を度外視して、レンズ収差からすれば、安価なレンズで十分と思われます。

 

6-2)実例

 

実例をあげてみます。

 

MFTの標準画角(換算50mm)の交換レンズには、次の4種類があります。

 

(1)LUMIX G 25mm / F1.7 ASPH  22千円

 

(2)M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8  33千円

 

(3)LEICA DG SUMMILUX 25mm / F1.4 II ASPH 55千円

 

(4)M.ZUIKO DIGITAL ED 25mm F1.2 PRO   158千円

 

メーカーはレンズ性能のMTF曲線を公開していますが、通常は絞り開放だけです。

 

(4)については、絞り開放(F1.2)とF2.8のMTF曲線が公開されています。

 

以下のMTF曲線はメーカーのHPのものです。

 

写真1に(4)のMTF曲線を示します。

 

F1.2の60本の線は、左端で、70以下の小さな値になっています。つまり、解像度は低く、この部分は、ボケを重視しています。

 

60本の線の左端は、F2.8 まで絞ると、80まで改善します。

 

つまり、このレンズは、解像度が必要な場合には、F2.8 まで、絞って使う必要があります。

 

写真2に、(1)の絞り開放(F1.7)のMTF曲線を示します。

 

60本の線は左端で、80を越えています。

 

(4)のF1.7のMTF曲線はわかりませんが、写真1のF1.2とF2.8の間にあると思われます。

 

そうすると、(4)のレンズをF1.7まで絞っても、60本の解像度は、(1)には及ばないことがわかります。

同様に、20本の線をチェックします。

 

(1)の20本は、左端で92です。

(4)の20本は、左端で、F1.2で88、F2.8で94です。

(4)のF1.7の値が、この間にあるとすれば、F1.7の20本は、(2)とほぼ同じです。

 

まとめれば、F1.7の20本では、(1)と(4)は同等、60本では、(1)が優ることになります。

 

価格差は、7倍あります。

 

この比較は、どちらがよいという訳ではなく、そのように設計されているという事実です。

 

とはいえ、安価なレンズでも十分な解像度を実現できますので、フィルム時代の常識は通用しません。

 

(4)は、F1.2と明るいレンズですが、F1.2で使う場合には、解像度は高くありません。

 

フィルム時代のレンズを考えれば、88%は十分に良い数字なので、十分と考えるか、ちょっと残念と考えるかは判断が分かれます。

 

高価なレンズはF値が小さく、きれいにボケますが、解像度が高い訳ではありません。解像度をあげるには、絞ることになるので、その場合には、小さなF値のメリットはなくなります。







写真1 ED 25mm F1.2 のMTF曲線



写真2 LUMIX G 25mm / F1.7 ASPH 




6-3)ボケの考え方

 

以上のように考えると、綺麗なボケと明るいF値が必要でなければ、高価なレンズに価値を見出すことは困難です。ISOをあげれば、暗いレンズでも露光不足になる問題はありません。

 

色収差は、デジタル補正で調整できました。

 

同様に、デジタル補正でボケがどこまで作れるかが課題になります。

 

デジタル補正によるボケ(デジタルボケ)が簡単に綺麗に作れれば、高価で重いレンズを使うことは不合理です。

 

カメラメーカーは、デジタルボケの性能が良くなると、レンズが売れなくなるので、カメラ内現像や、添付のRAW現像ソフトにデジタルボケの機能を搭載してくるとは思えません。

 

一方、スマホメーカーは、交換レンズでビジネスをしていませんので、高度なデジタルボケを掲載しています。

 

darktableのような、カメラやレンズメーカーと利害関係のないソフトも、今後は、高度なデジタルボケを搭載してくると思われます。現在のdarktableの「defuse or sharpen」モジュールでもある程度の処理ができます。このモジュール処理の画像劣化の少なさは、異次元と言えるほどで、一度これを使うと、画像劣化の大きなヘイズ処理が怖くなってしまいます。

 

最近のデジカメは、連続画像をつかったフォーカス合成や被写深度合成ができます。このような焦点距離の異なる連続画像があれば、ボケを作ることは容易です。

 

6-4)まとめ

 

現時点では、EDレンズを満載した高価でボケの綺麗なレンズが多数あります。

 

こうしたレンズは、それこそ、シャッターを押すだけで、ボケの綺麗な写真が魔法のように撮影できます。

 

それは、それで、楽しいのですが、こうした状態が、あと3年、5年と続くとは思えません。そんなことをしたら、ミラーレスカメラは、スマホに完敗してしまいます。

 

そうなる前に、どこかのカメラメーカーが、高級デジタルボケを搭載してくると思います。

 

そう考えると、EDレンズや高価な交換レンズには目もくれないで、解像度の高い安価なレンズで撮影を楽しむ選択肢もあると考えるようになりました。

 

もちろん、撮影した写真は、ボケの硬いガチガチの写真になりがちで、そのままでは、鑑賞に耐えません。しかし、デジタル現像を工夫することで、クリアできる点も多いと思います。

 

高級レンズは、シャッターを押すだけで、失敗のない写真が撮れますので、失敗の許されない場合には、必須で、街のカメラやさんの御用達です。最近の高級レンズは、絞らなくとも解像度が十分な場合もあります。

 

逆に言えば、工夫のし甲斐はありません。

 

キヤノンのベストセラーのEF50mm F1.8 STM(16千円)のような安価なレンズは、絞らないと周辺の解像度は上がりません。工夫しないと上手く撮影できないレンズを面倒だと感じるか、工夫のし甲斐があって面白いと感じるかは、撮影する人の判断です。

 

なお、今回は、非球面レンズとデジタル補正を使うことで、安価なレンズの画質が劇的に向上したという背景で話をすすめています。

 

キヤノンのEF50mm F1.8 STMは安価ですが、非球面レンズは使っていません。

 

他のメーカーのフルサイズの安価な50mmF1.8のレンズ、たとえば、SONY FE 50mm F1.8(30千円)、ニコン AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G(25千円)は、非球面レンズを使っています。

 

最近、キャノンは、ミラーレスのRFマウント用にRF50mm F1.8 STM(29千円)を発売しました。RF50mm F1.8 STMには、非球面レンズが使われています。

 

キヤノンは「『RFマウント』ならではの大口径・ショートバックフォーカスを生かした『EF50mm F1.8 STM』と同等の高画質、携帯性を実現しつつ近接撮影機能が向上」といっています。

 

EF50mm F1.8 STMの最短撮影距離は、 0.35mで、最大撮影倍率は、 0.21倍です。 

 

RF50mm F1.8 STMの最短撮影距離は、 0.30mで、最大撮影倍率は、0.25倍です。

 

非球面レンズの効果は、最短撮影距離の5㎝の差にも影響していると思われますが、写真3に見るようにMFT曲線も改善しています。

 

非球面レンズを使わない古いレンズのMTF曲線は、EF50mm F1.8 STMのように波打っていることが多いですが、最近のレンズは、なめらかになっています。




写真3 50mmレンズの比較





 

 

6-5)補足

 

dxomarkに、LEICA DG SUMMILUX 25mm / F1.4 II ASPH(55千円)とLUMIX G 20mm / F1.7II(27千円)の比較が載っています。

 

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より明るいSUMMILUX 25mm / F1.4 IIに対して、LUMIX G 20mm / F17 II は全体的に同様のレベルのシャープネスを持っていますが、絞ったときにそのレンズの一貫したエッジからエッジまでのシャープネスに欠けています。

 

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写真4のMTF曲線を見ると、LUMIX G 25mm / F1.7 ASPHとM.ZUIKO DIGITAL ED 25mm F1.2 PROの比較と同じ傾向が見られます。

 

今回の価格差は2倍です。dxomarkの言うように、高価なレンズの方が、万能で安定した性能があります。

 

とはいえ、非球面レンズの採用によって、安価なレンズの性能はフィルム時代とは比べものになりません。また、被写体がのっぺりしたものでなければ、表現の不均一性は目につきません。

 

筆者は、LEICA DG SUMMILUX 25mm / F1.4 の旧型は持っていて、よく使っています。オリンパスのボディにつけて、AF-Sにすると、トンデモなく大きな音がするので、AF-Sでしか使えませんが、その他には、大きな不満はなく、よくできたレンズだと思います。とくに、ボケは綺麗です。何もしなくても、それらしい写真になるので、1種の魔法があると思います。

 

しかし、dxomarkのいうように均一性に問題があるにしても、半額以下のLUMIX G 25mm / F1.7(22千円)が、解像度で負けていないことは、驚くべきことです。

 

LUMIX G 25mm / F1.7はとても安価ですが、レンズ構成は、 UHRレンズ(Ultra High Refractive Index Lens)1枚と非球面レンズ2枚を含む7群8枚を採用しています。

 

非球面レンズは必須と思いますが、UHRレンズはなくとも、デジタル補正で対応可能です。

 

22千円の交換レンズにも、UHRレンズがついているので、UHRレンズの原価も下がってると思われます。そう考えると、高いレンズの原価も、販売価格差ほどの違いはないと思われます。

 

写真4 Lumix G 20mm F1.7





引用文献

 

Panasonic LUMIX G 20mm f1.7 and 20mm f1.7 II ASPH lens reviews: Has Panasonic improved its classic standard prime?

 

https://www.dxomark.com/panasonic-lumix-g-20mm-f1-7-and-20mm-f1-7-ii-asph-lens-reviews-has-panasonic-improved-its-classic-standard-prime/

 

収差ってなに?収差の種類と3つの解決方法!!

https://logcamera.com/shusa/

 

株式会社レンズ設計支援

https://www.lenses-ds.co.jp/myweb11_29.html

 

像面湾曲  ウィキペディア

 

像面湾曲があるとピントが悪くなる

http://www.meirin.org/snoopy/culture/hearts/lenswork/c19.html

 

ミラーレスカメラのデジタル補正と像面湾曲補正の関係 

https://hinden563.exblog.jp/29294892/

 

LUMIX G 25mm / F1.7 dxomark

https://www.dxomark.com/panasonic-lumix-g-25mm-f1-7-asph-micro-four-thirds-mount-lens-review-attractive-option/

 

古い平和と新しい戦前

(新しい戦争のリスクは上がっています)

 

1)新しい戦前

 

2022年最後のテレビ朝日の「徹子の部屋」で、ゲストのタモリさんが2023年は「誰も予測できない、新しい戦前になるんじゃないですかね」と答えました。

 

それから、「新しい戦前」という言葉が、あちこちで取り上げられるようになっています。

 

2)古い平和

 

新しい戦前は、古い平和の終わりを意味します。

 

次に、戦争が起こるか否かはわかりませんが、その前に、今までの平和を維持してきたシステムが、レジームシフトして、不安定になります。その後で、新しいレジームに平和裏に移行(シフト)できれば、戦争は起こりませんが、レジームシフトに失敗すれば、戦争が起こるリスクは高くなります。

 

古い平和のレジームの幾つかは明らかに崩壊しつつあります。

 

幾つか例を上げます。

 

2-1)パックスアメリカーナの終焉

 

アメリカが絶対的な軍事強者であるというレジームが崩壊しつつあります。

 

軍事力は、経済力の裏づけがなければ維持できません。

 

世界経済におけるアメリカや欧州のシェアは下がりつつあります。

 

経済のシェアが完全に下がってしまえば、軍事大国から、軍事小国に没落します。

 

そのまえに、軍事力によって、経済の優位性を維持しようとすれば、好戦的になります。

 

ただし、好戦的な外交に経済の活性効果があるかは不明です。

 

これは、内政ですが、中国政府が、アリババなどの企業の経済活動に、軍事・警察力を背景に政治的に介入しました。しかし、そのことが、企業の経済活動には、マイナスになると予想する人が多いです。

 

外交についても、同様の問題があります。

 

特に、高度人材を中心とした労働者の国境を越えた移動ができる場合には、好戦的な外交は経済活動にとってマイナスになると思われます。

 

日本は、まだ、経済的には、大国で、ある程度の軍事費を負担できるかもしれません。しかし、北欧の国のように、人口が1000万人未満の国も多数あります。

 

こうした小国は、大国と戦争した場合に、軍事力で勝てることはありません。つまり、軍隊を持つ意義は、戦争に勝つことではなく、戦争を仕掛けた場合には、経済的なダメージが大きく、経済的には見合わないと思わせる効果しかありません。

 

とはいえ、ウクライナとロシアの場合には、この「経済的には見合わない」という予防効果は、機能しませんでした。開戦から、もうすぐ、1年になりますが、終戦が見えないのは、終戦になる条件が不明のためです。

 

冷静に考えれば、経済的に不合理な戦争にメリットはありません。しかし、開戦派が、経済合理性以外を政策の判断基準にとった場合には、戦争が起ってしまいます。

 

軍事費は、GDPの何パーセントという数字には意味はありません。日本は、経済大国ですが、より経済規模が大きく、軍事力の大きな、アメリカか中国と戦争しても、勝てる可能性は低いです。そうなると、何の効果を期待して軍事力を整備するのか、目的を明確にする必要があります。

 

第2次世界大戦(太平洋戦争)のときには、軍事力の差が大きく、冷静に考えれば勝ち目のない戦争に、突入しました。その時の日本は、今のロシアと同じように、経済的合理性の論理は通用しなくなっていました。

 

2-2)日本の工業社会の終焉

 

平和には、コストがかかります。経済的に豊であれば、戦争を起こす可能性は低くなります。

 

1990年頃、日本は一億総中流社会と呼ばれていました。

 

それが可能であった原因は、国際貿易に中国が参入する前の日本の製造業の輸出競争力にありました。膨大な貿易黒字があり、農業など労働生産性が低い国内の赤字部門に所得移転をする余裕があったからです。

 

恐ろしいことに、1990年頃までにできた、赤字分門は補助金など所得移転を受けることが当然であるというルールは1人歩きしています。

 

現在の日本では、家電製品は、輸出競争力がなくなり、世界市場を失いました。

 

自動車はかろうじて黒字ですが、EV化に伴い、今後の推移には、不安材料が残ります。

 

財務省が公表した2022年の貿易収支(輸出額から輸入額を引いた額)は19兆9718億円の赤字となりました。 赤字幅は14年の12兆8161億円を大きく上回り、比較可能な1979年以降で過去最大です。

 

つまり、日本には、貿易黒字を生み出す製造業はなくなりました。

 

1990年頃には、労働生産性が低く、所得移転がなければ立ち行かないゾンビ産業は農林水産業でした。それが、現在は、ほぼ全業種に広がっています。その補助金は、税収ではまかなえず国債の発行で調達しています。

 

補助金がなくなると政治家と官僚の利権がなくなります。このため、貿易赤字で財源がないにもかかわらず、補助金は減りません。

 

補助金は、工業社会のソンビ企業を延命するので、労働生産性はあがらず、賃金はあがりません。

 

官僚の給与は、民間に比べて安すぎるのかも知れませんが、その補填を補助金を通じた天下りで補填するシステムは破綻しています。公務員のなり手が減っていることは、現在のシステムが持続可能と思われていないことを意味しています。しかし、あたらしいシステムは提案されていません。

 

2-3)平和の終焉

 

岸田首相は、2023年1月23日に、施政方針演説を行いました。キーワードは、「成長なき対策に限界」があるというものですが、内容は、少子化対策にしても、補助金の増額で、そのための財源探しです。

 

マクロ経済で見れば、貿易収支が赤字ですから、それに見合って、補助金を減額して、ソンビ企業を淘汰する必要があります。

 

アメリカのビッグテックは、コロナウイルスの終焉に伴う売り上げの減少に伴い大規模なレイオフをしています。これは、労働生産性と株価を維持する健全な経営です。

 

日本でも、コロナウイルスの終焉に伴う売り上げの減少があるはずですが、レイオフの話は、聞きませんので、労働生産性は落ちているいるはずです。現在の政策は、「マイナス成長を促進する対策」になっています。

 

春闘で、名目賃金はあがるかも知れませんは、売り上げが減って、労働生産性が低下して行きますから、賃金は必ず下がります。

 

日本は人口が減っていますから、少子化対策に成功しても、その経済効果が出るのは、20年以上先です。少子化対策は重要ですが、当面は経済効果はありません。

 

そうなると、期待できるのはロボットの利用になります。ロボットの利用は、デジタル社会の基幹技術になりますが、補助金漬けで、ゾンビ企業を残した結果、家電と同じように、既に、中国に勝てなくなっています。(注1)

施政方針演説に補助金のばら撒きと増税を入れても、誰も効果を期待しません。重要なことは、問題解決のロードマップを提示することです。

 

狛江を中心に、強盗事件が多発しています。補助金をばら撒いて、労働生産性を下げ続け、「マイナス成長を促進」する政策は、犯罪を増加させます。

 

その先に、新しい戦争が起こっても不思議はありません。

 

注1:

 

政府はIC工場に巨額の補助金を出していますが、成功しないと思います。

 

その理由は、人にあります。日本の企業のICの世界の生産シェアが低下した時に、対抗策を講ずる人材はありませんでした。これは、予測ですが、ほぼ、間違いないと考えます。というのは、同じパターンが、家電でも、ロボットでも繰り返されているからです。つまり、失敗の原因は、経営の意思決定や、技術者の処遇にあった可能性が高いです。

英雄のトランペット

(データサイエンスの仮説について説明します)

 

1)英雄のコーダのトランペット

 

ベートーベンの第3交響曲「英雄」の第1楽章のコーダに出て来るトランペットは、指揮者を悩ませる部分です。

 

コーダの最後に、トランペットが、第1主題を盛大に奏で始めます。

 

次第に、盛り上がっていく途中で、ベートーヴェンは旋律をトランペットから木管に切り替え、トランペットを、急に伴奏にまわしています。

 

ベートーヴェンは旋律を途中で止めさせた高音の部分(実音の高いB♭)は、当時のバルブのないナチュラルホルンでは、安定した音を出すには、高度な技術が必要でした。初演の団体のトランペットの技術レベルでは、安定した高音は期待できなかったと予想されています。

 

現代のバルブ付きトランペットでは、安定した高音は簡単に出せます。

 

そこで、ワインガルトナーは、第1楽章コーダで、トランペットのテーマがと高らかに演奏されるのが「英雄」らしいと考え、楽譜を改訂しています。

 

1960年頃までは、「英雄」の演奏では、ワインガルトナー改訂版の方式が普及していました。

 

「第1楽章コーダを楽譜どおりに吹かせた先駆者はシェルヒェン(ウィーン国立歌劇場管弦楽団ウェストミンスター、1958年)、モントゥー(コンセルトヘボウ、PHILIPS,1962年)あたりからです。

 

現代オーケストラの弦楽器の音量は古楽器より大きくなっているので、原典通りに第1主題の旋律をトランペットから、音量の少ない木管に切り替えると、第1主題が聞き取りにくくなります。

 

1960年以降、古楽器をつかった原典に忠実な演奏が普及しました。

 

古楽器の弦楽器の音は小さいので、木管に切り替えても、第1主題が聞き取りにくくなることはありません。

 

モダンオーケストラでも、古楽器を参考に、楽器の音量のバランスに注意すれば、原典通りの演奏でも、第1主題がが聞き取りにくくならない工夫はできます。

 

指揮者アーノンクールは「1楽章のトランペットは英雄が撃たれて死んだ事を示し、それは2楽章の葬送行進曲に続く」と述べています。

 

つまり、ベートーベンは、トランペットの第1主題は、途中で消すように作曲していたと考えています。

 

こうなると、ワインガルトナーの改訂は要らぬおせっかいであった可能性が高くなります。

 

2)理解すること

 

英雄のトランペットの事例を取り上げた理由は、そこに、理解することの本質があると考えるからです。

 

1960年から1990年頃まで、クラシック音楽の世界では、古楽器による原典主義とモダン楽器による演奏の対立がありました。

 

1950年から1980年頃までは、多くの演奏家は出来るだけ楽譜に忠実に演奏することがよいと考えました。これは美術運動の新即物主義にそった演奏ともいえます。音楽では楽譜にない細かな表情をつける必要がありますが、それは、目だたないように、必要最小限にすべきであるという考えです。

 

音楽は、楽譜に書かれているので、楽譜を尊重せよという考えです。

 

古楽器演奏が盛んになり、古い原典の楽譜が研究された結果、「音楽は、楽譜に書かれている」とは単純に言えないことがわかってきます。同じ楽譜の記号でも、意味するところは、地域と年代で異なります。楽譜は、演奏のための資料であって、演奏家には、楽譜にない音を加えることが求められている場合もあります。

 

例えば、モーツアルトは、ピアノ協奏曲で、演奏者がアドリブで装飾音を付けることを前提に作曲していました。

 

依然として、楽譜は演奏のための主な読解の手引きではありますが、全てではありません。

 

音楽は、音(素材、データ)と音を組み立てるルール(アルゴリズム)から、構成されます。

 

ワインガルトナーは、トランペットの音は、ナチュラルトランペットからバルブ付きトランペットに変化したので、それに、併せて、アルゴリズムの一部である楽譜を改訂しました。

 

ここで、筆者が、問題にしたいことは、ワインガルトナーの改訂の是非ではありません。

 

ワインガルトナーは、英雄を深く理解していたという事実です。

 

古楽器で、出来るだけ初演当時の演奏を再現することはできます。

 

しかし、その演奏で感動するとは限りません。

 

トマス・ビクトリアのようなルネッサンスの宗教音楽は大変美しいです。

 

当時の人はその音楽に感動したと思われます。

 

しかし、ロックやポップのリズムに慣れた多くの現代人が、ビクトリアの音楽を聞いても、どれも、リズムが曖昧な眠くなる音楽だと感じます。

 

現代人も、トレーニングを積めば、ビクトリアの音楽に感動することができます。しかし、トレーニングを経ても、ルネッサンス時代の人と同じように、ビクトリアの音楽を聴けているかと聞かれれば、疑問は残ります。

 

筆者は、音楽を理解することは、ワイイガルトナーが行ったように、音楽を「音(素材、データ)と音を組み立てるルール(アルゴリズム)」に分解して、再構築(ここでは、トランペットの楽譜を書き換える)することだと考えます。

 

指揮者アーノンクールは、原典通りの楽譜で演奏していますが、木管が第1主題を演奏する部分で、モダンオーケストラのバランス(アルゴリズム)を大きく変更しています。つまり、音楽を「音(素材、データ)と音を組み立てるルール(アルゴリズム)」に分解して、再構築しています。



3)仮説を立てること

 

アメリカの生物学の教科書では、一番最初に科学とは何かという説明が出てきます。

 

そこでは、科学は仮説をつくって、検証する手順を踏み、検証を通りぬけた仮説が、学説になると説明されます。

 

これは、科学的方法論の説明です。

 

問題は、仮説をどうして作るかという点にあります。

 

残念ながら、系統的な仮説の作成方法はありません。

 

教科書に書かれている方法は次のようなものです。(注1)

 

(1)何ごとにも、疑問と興味を持ちなさい

 

(2)自然を観察して、観察の中から、仮説を見つけなさい。

 

仮説を生みだす原動力としては、観察研究の重要性が説かれます。

 

なお、これは、生物学の教科書です。物理学や化学では、観察で新しい仮説を見つけることが困難です。新しい仮説は、不合理な実験結果の分析から、生まれる場合の方が多いと思います。

 

いずれにしても、科学は仮説が、学説になったものであるというパラダイムが共有されています。

 

仮説や学説は、アルゴリズムの一種ですから、「科学はアルゴリズムに宿る」というパラダイムになります。

 

クラシックの演奏で言えば、英雄の楽譜を使って演奏すれば、その音楽は、ベートーベンの英雄になるという解釈です。

 

第4のパラダイムのデータサイエンスでは、科学は、「データとアルゴリズム」から構成されます。

 

統計学の法則は、常に、ある母集団に対してのみ有効です。

 

物理学の法則のように、万物に当てはまる万有引力のような便利な法則はありません。

 

データサイエンスの仮説は、「データとアルゴリズム」から構成されます。

 

クラシックの演奏で言えば、英雄の演奏とは、音楽を「音(素材、データ)と音を組み立てるルール(アルゴリズム)」に分解して、再構築する行為になります。



「データとアルゴリズム」から構成されるデータサイエンスの仮説は、非常に、強力なツールで、理論科学や計算科学が利用できない分野で活躍し、経験科学を圧倒しています。

 

英雄のトランペットで取り上げたようにデータサイエンスの仮説は、芸術との共通点が多くあります。

 

それは、どちらも、「対象(オブジェクト)をデータとアルゴリズムに分解して再構築する」からです。

 

STEM教育( Science、 Technology、 Engineering、Mathematics)に、Artsを加えて、

STEAM教育にするメリットはここにあると考えます。(注2)

 

スノーの「二つの文化と科学革命」は、日本では人文的文化に都合の良いように勝手に改竄されて解釈されています。

 

グレイの第4のパラダイムは、新たに、データサイエンスのパラダイムが出現したことを主張しています。

 

データサイエンスのパラダイムの出現とは、仮説と検証のパラダイムが入れ替わったことを指しています。

 

経験科学のパラダイムでは、理解することは過去の事例を記憶していて、いつでも引き出せることでした。

 

理論科学のパラダイムでは、理解することは、仮説(アルゴリズム)は理解でき、式の変形が出来て、簡単な場合には、数値解を求めることでした。

 

計算科学のパラダイムでは、理解することは、実測値に合う数値計算モデルを作成して、モデルを使って、条件の異なる場合の予測を行うことでした。

 

データサイエンスのパラダイムでは、理解することは、オブジェクトをデータとアルゴリズムに分解して、再構築することです。



データサイエンスのパラダイムの理解を取り扱った本は殆どありません。

 

この本では、読者とパラダイムの理解への旅に出かけて見たいと思います。



注1:

 

仮説の作成は、探求学習に相当します。

つまり、現在のカリキュラムの改訂には、「データとアルゴリズム」の視点は含まれておらず、データサイエンティストが参画していないことがわかります。

 

注2:

 

文部科学省のSTEAM教育の説明は以下です。

 

人文的文化で、科学的文化が理解できるという誤り(文系・理系といった枠にとらわれず)は修正されていません。また、第4のパラダイム(データサイエンス)も出てきません。検証を行わない文系というシャーマン教育を行っている国は、世界でも日本だけです。

 

「AIやIoTなどの急速な技術の進展により社会が激しく変化し、多様な課題が生じている今日、文系・理系といった枠にとらわれず、各教科等の学びを基盤としつつ、様々な情報を活用しながらそれを統合し、課題の発見・解決や社会的な価値の創造に結び付けていく資質・能力の育成が求められています」

 

引用文献

 

STEAM教育等の各教科等横断的な学習の推進

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/mext_01592.html

無駄な人材を省く

(所得向上の基本はレイオフです)

 

1)高度人材募集

 

政府は、高度人材の就職活動期間を90日から、2年に延長するようです。

 

しかし、政府のこの政策は、効果がないと思われます。

 

その理由は次の2点です。

 

(1)海外との比較

 

香港、シンガポールなどと比べて、競争優位な条件になっているのかという説明がありません。後追いで、同じレベルに揃えているだけのように見えます。

 

(2)因果モデルが無い

 

「高度人材募集」だけでなく、政府の政策の多くには、政策の根拠となる因果モデルがありません。科学的な論理に基づく政策になっていません。

 

2)高度人材が求められない理由

 

いままで、並みの人材10人に、100単位ずつ賃金を支払っていた仕事を、1人でこなす高度人材が現れたとします。この高度人材に、1000単位の賃金を支払ってもトントンです。800単位の賃金に止めれば、200単位だけ利益が増えます。しかし、そうなるのは、並みの人材10人をレイオフした場合だけです。

 

並みの人材10人を雇い続ければ、800単位の賃金を払って高度人材を雇えません。無理をして雇えば、赤字が拡大するだけです。



失業した場合に、職安に行くことがあります。

 

海外であれば、年収4000万円以上は稼げる行動人材が、日本の職安に行けばどうなるでしょうか。

 

日本の職安で聞かれることは、資格をもっていますかという話であって、これでは、非正規の仕事しか見つけることができません。

 

高度人材の就職活動は、主に、ネットを使って行われます。

 

高度人材が集まるネットの活動グループに参加して、実力が認められれば、そこから、話が始まります。

 

「就職活動期間を90日から、2年に延長する」意味は不明です。

 

問題は、高収入のポストがないこと、雇用する側が、高度人材の能力評価が出来ないことです。

 

「就職活動期間を90日から、2年に延長する」ことに意味がある場合は、

 

「日本に高度人材が寄り付かない原因は、就職活動期間が短いことに原因がある」、あるいは、「就職活動期間が長ければ、日本に高度人材が寄り付く」という仮説が正しい場合だけです。

この仮説が正しいと考えるエビデンスを明示する必要があります。

 

科学的な根拠に基づかない間違った政策は、効果をあげることはできません。

 

当たり前ですが、高度人材は、科学教育を受けています。科学的文化で物事を考えます。

 

日本では、科学的文化に基づいた意思決定がなされていないと判断すれば、それだけで、高度人材は、日本には寄り付かなくなります。なぜなら、科学的文化に基づく、まともな給与交渉が出来ないのあれば、危なくて、転職できないことになるからです。

 

3)中国と日本

 

3-1)給与格差

 

2023年1月23日のNewsweekで、周 来友氏は次のようにいっています。(筆者要約)

 

<==

1987年頃、日本で3日働けば、中国の1カ月分の収入が稼げると言われていた。35年がたち、両国の経済規模は逆転した。

 

大手企業の給与に限って言えば、中国のほうが高いケースさえある。

 

日本の低賃金は日本人にとって切実な問題だが、それだけではない。専門職など「高度人材」の外国人もいなくなり、外国から日本に来るのは観光客と投資家だけになるかもしれない。

 

==>

 

周 来友氏の話は、給与格差です。

 

3-2)製品価格格差

 

次のステップの問題は、製品価格の逆転だと思います。

 

今までは、給与格差と同じように、次の図式がなりたっていました。

 

中国製 安価 性能はほどほど

日本製 高価 性能が良い

 

「大手企業の給与に限って言えば、中国のほうが高い」と同様に、次の図式に変化しつつあります。

 

日本製 安価 性能はほどほど

中国製 高価 性能が良い

 

これは、既に、スマホについては、完全に成立しています。

 

筆者は、ブログに写真をのせていますので、カメラを趣味にしています。

1年半ほど前に、カメラのストロボを購入しました。

 

その時、中国製のストロボの中型が9千円、大型が16千円でした。

 

そのときは、大は小を兼ねると考えて、大型のストロボを購入しました。

 

しかし、大型ストロボは、重くてかさばるので、あまり使っていません。

 

その結果、夜景の写真に失敗が増えたので、最近、今度は、中型の9千円のストロボを購入しうと考えました。

 

円安にもなったので、9千円よりは、値上がりしていると思いました。

 

読者は、9千円がいくらになったと思いますか。

 

東電は電気代を3割上げます。3割程度は、覚悟していました。

 

実際には、価格は27千円で、3倍になっていました。

 

1年半で3倍ですから、ムーアの法則より、大きな加速度です。

 

今後は、スマホと同じように、中国製(高価で高性能)、日本製(安価で低性能)になる製品が続出すると思われます。

 

中国は、香港と同じレベルトと考えると、高度人材には、4000万円以上の給与をはらっています。

 

それが、「大手企業の給与に限って言えば、中国のほうが高い」という話です。

 

もちろん、高度人材に高い給与を支払えるのは、並みの人材をレイオフをするからです。

 

「ロボット指数」では、2021年時点では、まだ、日本の方が中国より高いですが、ロボットの絶対数は、日本の10倍以上あります。

 

ロボット指数や、「高価で、性能が良い」製品の割合を考える場合には、絶対するよりも、増加率(時間微分)の方がはるかに重要です。

 

時間微分で見る限り、日本は、中国の高所得グループにかないません。

 

2022年には、日本の1人あたり、GDPは、台湾、韓国と並びました。

 

時間微分でみれば、2023年には逆転します。(注1)

 

スノーの言い方を踏襲すれば、人文的文化は、雨ごいと同じレベルで、検証がなされません。人文的文化の仮説の半分以上(恐らく8割以上)は、科学的文化の検証をへれば、誤りです。

 

マスコミに出てくる人文的文化の有識者の発言は、次の特徴をもっています。

 

(1)エビデンスを示さない。検証しない。

 

(2)99%はあり得ない1原因1結果モデルを主張している。

 

つまり、人文的文化の有識者の発言は、有識者のポストの権威にのっているだけで、科学的文化からみれば、概ね間違いです。

 

政府の高度人材募集は、検証された、因果モデルはなく、雨ごいと同じレベルの論理です。

 

筆者の「売り上げが減少する状態では、レイオフしないで、労働生産性を上げられない」という主張は、仮説です。エビデンスに基づいて検証されていません。

 

しかし、仮説はレイオフできる特区などを設けて、ABテスト(比較試験)をすれば、検証可能です。

 

同様に、政府の政策は、実施前にABテストをすれば、誤りの確率を劇的に減らすことができます。

 

科学的文化に基づかない、雨ごい政策を繰り返せば、発展途上国からもとに戻れる可能性はありません。

 

注1:

 

数学の理解できない人に数学の有益性を説明することはできません。

 

微分積分の概念なしに、時間変動する量を認識することは不可能です。

 

これが、スノーの二つの文化のギャップの意味です。

 

引用文献

 

賃上げできない日本からは、外国人も減っていく 2023/01/23 Newsweek 周 来友

https://www.newsweekjapan.jp/tokyoeye/2023/01/post-142.php

 

darktableの色収差補正の留意事項

1)darktableの色収差の基本知識

 

色収差補正については、カメラ内のRAW作成時の補正できるカメラと補正しないカメラで対応が異なります。

 

これは、darktableの問題ではないのですが、最終画像に大きく影響します。

 

この点に気付いたきっかけは、yasuo_ssi氏の記事「色収差補正 Raw現像ソフト間比較 / Nikon NX Studio, darktable, RawTherapee, Luminar3」を見たからです。

 

yasuo_ssi氏はD5500を使っています。

 

yasuo_ssi氏は、darktableを次のように評価しています。

 

<==

 

darktableでもだいぶスッキリしましたが、NX Studioのようにはっきりくっきりとまでは行きません。darktableで掛けたモジュールはchoromatic aberrations (色収差補正), lens correction (レンズ補正), defringe (にじみ削除), sharpen (シャープ化)を掛けましたが、一番効果が大きかったのは、lens correctionです。レンズのプロファイルに従って補正を掛けるというのが非常に大きいようです。

 

==>

 

最初に、混乱を避けるために、darktableのモジュールを整理しておきます。

 

darktable3.6の大きな改善点に、色収差 chromatic aberrationsがあります。

 

ここでは、古い色収差モジュールの名称変更

 

色収差chromatic aberrations=>raw色収差 raw chromatic aberrations

 

と新しい色収差 chromatic aberrationsモジュールの追加が行われています。

 

つまり、darktable3.6未満の記事と3.6以降の記事では、「色収差chromatic aberrations」モジュールは、別のモジュールを指します。

 

pixls.usによれば、「実際には、TCA オーバーライド (レンズ補正) と色収差 (補正モードの調整) が最も有用であり、通常はraw色収差 モジュールを無視します。また、デモザイキング前に動作するため、マスクはできません。また、微調整が少ない」と言われています。

 

ただし、場合によっては、raw色収差が有効です。

 

2)カメラ内色収差

 

2-1)ニコン

 

D5500は、カメラ内では、歪曲収差の補正のみで、色収差補正には対応していません。

Zマウントのカメラは、カメラ内色収差補正に対応しています。

 

2-2)キャノン

 

手持ちのKiss Mの例を載せます。

 

写真1は、マウントアダプターをつけて、1987年発売の古いEFレンズを装着しています。レンズ補正データがあり、色収差は補正されています。

 

写真2は、シグマ製のレンズです。レンズ補正データがありますので、このシグマ製レンズは、キヤノンの公認の上で発売されていることがわかります。

 

初代のEOS Mマニュアルを見ても、同等の補正機能がありました。

つまり、EF-Mマウントは最初から、レンズの光学補正をカメラで行う前提で設計されていたことがわかります。

 

後発のRFマウントでも、レンズの光学補正をカメラで行う前提で設計されていると思われます。

 

RFマウントのLレンズでは、人口蛍石は使われていません。代わりにUDレンズが使われていますが、デジタルで、色収差補正をするのであれば、UDレンズの役割は小さいはずです。



写真1 EFマウントレンズ




写真2 シグマ製レンズ 





 

 

2-3)オリンパス

 

マイクロフォーサーズ(MFT)システム採用第1号機は、2008年10月31日にパナソニックから発売されたLUMIX DMC-G1です。

 

LUMIX DMC-G1は、最初に、カメラ側で色収差補正、歪曲収差、コマ収差、非点収差、像面湾曲などをデジタル処理で補正しています。

 

当時は批判的な意見が多かったと言われていますが、2023年の状況を見れば、DMC-G1には、先見性があったと言えます。

 

パナソニックのMFTカメラは全機種に、自社だけでなく、オリンパスのレンズを含めたレンズ補正を搭載しています。

 

オリンパスの対応は遅れていて、オリンパスがレンズ補正を正式に発表したのは、2013年9月10日のE-M1のTruePicⅦからです。

 

 「TruePicの進化」は、「E-M1以降のレンズは、レンズ側に特性情報が登録されることになり、ボディー側からレンズ内の特性情報を参照するようになっている。個人的な使用感では、シグマ3兄弟(19mmF2.8DN、30mmF2.8DN、60mmF2.8DN)の特性情報もE-M1は持っているのではないか、とも思う」といいます。

 

つまり、キャノンのように、シグマのレンズにも公式に対応している可能性が高いと推測しています。

 

3)まとめ

 

なお、OMシステムの入門機のE-PL10とE-P7の画像処理エンジンは、最新のTruePicXの2世代前のTruePicⅧ(2016年9月20日のE-M1markⅡから)にとどまっています。

 

一方、パナソニックのヴィーナスエンジンは、カタログには、バージョン番号がついていないので、違を確認しづらいですが、最新機種では、初めて位相差オートフォーカスに対応していますので、新バージョンが出ているはずです。

 

カメラ内レンズ補正の性能が上がれば、センサー性能が向上しなくとも、カメラを買い替える価値があると思われます。

 

色収差補正などのレンズ補正をレンズではなく、カメラ内処理で行うと、レンズにコストをかける必要がなくなりますが、その負担は、カメラ内処理が担う訳で、カメラのソフトウェアと画僧処理プロセッサの性能がキーになります。つまり、入門機でも、カメラのソフトウェアと画僧処理プロセッサの性能が良ければ、古い高級レンズや高級カメラを凌駕することが可能になります。ソフトウェアと画僧処理プロセッサは量産効果で価格が下がりますので、数が出れば、入門機に搭載することは可能ですが、どこまでを、入門機に搭載するかは、メーカーの戦略次第です。

 

darktableは、レンズ情報をlens funのデータに依存していますので、対応していないレンズもあります。例えば、KIss M用のEF-M18-150mm F3.5-6.3のレンズ補正データはありません。レンス補正データを自作することは可能ですが、手間がかかります。この場合には、歪曲補正もカメラ内で行う設定にした方がよいと思われます。

 

引用文献



色収差補正 Raw現像ソフト間比較 / Nikon NX Studio, darktable, RawTherapee, Luminar3 2021/08/22 yasuo_ssi

https://yasuo-ssi.hatenablog.com/entry/2021/08/22/000000

 

D5500で撮影した写真を NX Studioを使って印象に近づける 2022/01/27 yasuo_ssi

https://yasuo-ssi.hatenablog.com/entry/2022/01/07/000000



darktable TCA correction raw vs not raw 

https://discuss.pixls.us/t/darktable-tca-correction-raw-vs-not-raw/29582

 

 TruePicの進化

http://okachan.blue.coocan.jp/digital/truepic/truepic.html

 

デジタルカメラの収差補正はオンオフができれば無問題  2012

https://hinden563.exblog.jp/19559111/

 

“攻め”の25万円切り、パナから新型フルサイズミラーレス2機種 冷却ファン・6K30p・初の像面位相差AF 2022/01/05 ITmedia 山川晶之

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2301/05/news122.html