アベノミクスの総括(7)

8)WHO&WHEN

 

日銀は、2013年4月から大規模な金融緩和政策を始めました。

 

野口悠紀雄氏は、2013年7月末に、東洋経済に、「異次元緩和は空回り、日銀は政策変更を」  という主張を掲載しています。

 

2013年7月には、大規模な金融緩和政策の間違いは、明白でした。

 

つまり、2013年8月には、大規模な金融緩和政策を中止すべきでした。

 

「異次元緩和の罪と罰」は、2016年または、2018年に、日銀は、異次元緩和の見直しをすべきであったといいます。

 

「異次元緩和の罪と罰」(p.199)は、2013年8月に、日銀は、異次元緩和の見直しをすべきであったとは言いません。

 

その理由は、「異次元緩和の罪と罰」(p.195)が、日銀の大規模金融緩和が、「理論先行の実験」であるといったことでわかります。

 

2013年7月末に、野口悠紀雄氏は、大規模金融緩和政策の理論が間違っている(なりたたない微分方程式を使った計算間違い)であると主張しました。

 

山本謙三氏は、「理論先行の実験」であるといって、理論(数式)では論争をしません。この方法では、結果が出るまで、論争ができません。つまり、この方法では、かならす手遅れになります。



医師が患者に薬を処方する場合、結果が出るまでまっていれば、間違った薬を処方した場合には、手遅れになります。ベストな薬を選択して、処方に間違いがないかを論ずる検討は、患者が薬を飲む前に行なう必要があります。

 

問題を解決する上では、「WHO&WHEN」の設定が重要になります。

 

「異次元緩和の罪と罰」は、黒田日銀の政策は間違いであったといいます。

 

「異次元緩和の罪と罰」は、これから(WHEN)、植田日銀(WHO)が、間違いを直すことを期待しています。(p.283.)

 

「WHO&WHEN」は、これでよいのでしょうか。

 

この方法では、時計の針を2013年に戻しても、黒田日銀の政策は変わらないことになります。

 

山本謙三氏は、2022年に、村山晴彦氏は、2018年に、大規模金融緩和政策は間違っているといいました。その時の日銀の総裁は、黒田氏で、大規模金融緩和政策は変わりませんでした。

<< 引用文献

異次元緩和の問題点 2018/08 京都銀行 村山晴彦

https://www.kyotobank.co.jp/houjin/financial_forum/pdf/201808_02.pdf

 

異次元緩和とは何だったのか 2022/11 京都銀行 山本謙三

https://www.kyotobank.co.jp/houjin/financial_forum/pdf/202211_02.pdf

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「理論先行の実験」という表現は、反事実思考を拒否していますので、結局は、現状追認になってしまいます。

 

8-1)パーティ券問題

 

話題を変えます。

 

パーティ券の問題があります。

 

利権の政治が動いています。

 

有権者は、国会議員が、利権の政治をしないことを期待していないでしょうか。

 

利権の政治という問題の解決は、「WHO&WHEN」の設定問題にすれば、議員に問題解決を期待するのは、無理があります。

 

日銀の大規模金融緩和政策も、パーティ券の問題も、有権者が動くべきではあります。

 

しかし、有権者は、経済学や政治学のメンタルモデルがないので、後押しはできますが、先頭にたって問題解決をすることはできません。

 

8-2)アカデミズムの課題

 

科学の基本は、理論であり、数式です。

 

数学のない学問はありません。

 

理論が数式であれば、政策を実施する前に、間違いを点検することができます。

 

クルーグマン教授が、リフレ派を支援しても、統計学のメンタルモデルがあれば、その発言は、労働市場といった交絡因子を無視していますので間違いです。科学は、権威に優ります。

 

交絡因子の違いを点検して、その違いを扱う数学モデルを使えば、クルーグマン教授の発言の適合度が点検できます。

 

アメリカで使われている学説が、日本で使えるか否かは、トランスポータビリィティの問題であり、理論的には解析が進んでいます。

 

しかし、それ以前に、野口悠紀雄氏が指摘しているように、日本の大規模金融緩和は、微分方程式のストックとフローの項を間違って理解していますので、基本的な計算間違いに過ぎません。

 

クルーグマン教授が、ストックとフローの取り違えをしているとは思えません。

 

大規模緩和の間違いは、誰が、いつ、訂正すべきであったでしょうか。

 

筆者は、2013年8月に、経済学の関連学会が問題解決を提案すべきであったと考えます。

 

パーティ券の問題のルーツは、1973年の日本列島改造に遡ります。

 

筆者は、1973年に、政治学の関連学会が問題解決を提案すべきであったと考えます。

 

大学には、膨大な税金が投入されていますので。研究者には、社会的責任があります。

 

これは決して、夢物語ではありません。

 

大規模緩和の間違いも、パーティ券の問題も、費用対便益(効果)分析で解決できます。

 

ウィキペディアの費用対便益(効果)分析の日本語版と英語版をみれば、日本にかけているものがわかります。

 

英語版の費用対便益(効果)分析(Cost–benefit analysis)の関連項目には次が引用されています。

See also

Balance sheet

Business case – Document providing reasoning for a project

Calculus of negligence – United States legal term

Downside risk – Risk of the actual return being below the expected return

Economic forecasting – Process of making predictions about the economy

Efficient contract theory – Hypothesis that if a contract continues to exist it must be efficient due to survivorship bias

Guns versus butter model – Macroeconomic relationship between defense spending and civilian welfare

Have one's cake and eat it too – English idiomatic proverb

Law and economics – Application of economic theory to analysis of legal systems

Opportunity cost – Benefit lost by a choice between options

Return on time invested

Scarcity – Concept in economics

Shadow price – Term in economics

Social impact assessment – Reviews infrastructure and development

Statistical murder

Tax choice – Concept that taxpayers should be able to choose what their taxes are used for

There ain't no such thing as a free lunch – Adage of the impossibility of getting something for nothing

Trade-off – Situational decision

Triple bottom line cost–benefit analysis

True cost accounting

Uncertainty quantification – Characterization and reduction of uncertainties in both computational and real world applications

 

大規模緩和の間違いや、パーティ券の問題が起きないために、膨大な量の理論が構築されています。

 

あまりの学問レベルの差に、言葉がありません。

 

これらの理論の多くは数学、特に、統計学の知識を必要とします。

 

文系の教育では、歯が立ちません。

 

費用対便益(効果)分析でも、最大エントロピー原理が必須になります。

 

英語版のウィキペディアによると、ハーバード大学のジョン・グラハム教授は次のように述べています。

健全な科学とは、限られた予算で最大限の人命を救い、最大限の環境保護を達成することである。健全な科学がなければ、我々は一種の「統計的殺人Statistical murder」に従事していることになる。つまり、現実のリスクによって家族が危険にさらされ続けているのに、架空のリスクに資源を浪費しているのだ。

 

グラハム教授の見解では、パーティ券の問題は、「統計的殺人」に該当します。

 

日本には、グラハム教授のような発言をする人はいません。