アベノミクスの総括(6)

7)経済学のメンタルモデル

 

リフレ派と「異次元緩和の罪と罰」のような財政規律派の間では、メンタルモデルの共有ができていません。

 

筆者は、にわか経済学者のレベルの知識しかありませんが、メンタルモデルの共有がどこでできていないかを考えるのであれば、原則だけわかれば良いはずなので、検討してみます。

 

7-1)経済学の前提

 

経済学が成り立つ(経済学の微分方程式が成り立つ)ための条件を考えます。

 

・モデル(経済学)は、ストックとフローの関係をしめす微分方程式です。

 

・連続条件が成り立つと仮定します。

 

・・ストックが無視できるほど小さい時には、連続条件は、フローだけで記述できるので単純です。

 

・・ストックが変化するときに、フローだけに注目すると短期的には、連続条件が無視できるように見えることがあります。しかし、これは、みかけの間違いです。

 

・・ストックの変化は、中期的には、中立(ゼロ)になります。

 

・・フローだけに注目する場合には、この点に注意が必要になります。

 

・・これは、統計にあらわれない裏経済は無視できるほど小さいという前提になります。

 

・市場均衡が原則として成り立つと仮定します。

 

・・市場均衡は、資源配分の最適解であり、同じ資源量をつかって最も効率的な経済を実現する方法です。つまり、この解が、経済成長を最大化します。

 

・市場がない公共財については、費用対便益分析を使った疑似市場が成立していると仮定します。

 

・生産性を与える生産関数は、外生変数であり、ストックとフローの関係とは独立です。

 

・市場均衡は、中期的には成り立ちますが、短期的には、実際の経済は、市場均衡の周辺で変動します。

 

7-2)リフレ派の問題点

 

リフレ派が、以上の経済学のメンタルモデルを共有していると仮定します。

 

この場合、リフレ派は、経済学の前提条件が成り立っている場合を前提にして、議論をすすめていることになります。

 

繰り返せば、重要な前提は以下です。

 

・連続条件が成り立つと仮定します。

 

・市場均衡が原則として成り立つと仮定します。

 

この条件下で、次に注目します。

 

・市場均衡は、中期的には成り立ちますが、短期的には、実際の経済は、市場均衡の周辺で変動します。

 

・・ストックが変化するときに、フローだけに注目すると短期的には、連続条件が無視できるように見えることがあります。

 

この場合、短期的には、フローが増えるようにみえる条件を作ることができる可能性があります。

 

山本謙三氏は、リフレ派には、クルーグマン教授が支援したといっています。(p.43)

 

しかし、筆者は、クルーグマン教授は、「連続条件」と「市場均衡が原則」という前提で推論していると考えます。

 

クルーグマン教授は、ノーベル経済学賞を受賞していますが、権威の方法で、推論をすすめれば、コミュニケーションが成立せず、議論になりません。

 

メンタルモデルの共有ができている場合には、意見(仮説)が異なる原因は、どこにあるのかを点検します。こうすると、一部で異なった前提を設けていることがわかります。次に、異なった前提のどちらが妥当であるか、データを収集して、検証します。こうすれば、若干の時間がかかりますが、意見(仮説)の一致をみることができます。これが、科学の方法の基本になります。

 

小林 慶一郎氏は、2009年に、シカゴ大学のコクラン氏のクルーグマン教授の活動に関する見解を紹介しています。

 第一に、「金融危機の原因や対策について、クルーグマン氏は何の考えももっていない」とコクラン氏は反論する。クルーグマン氏やその他のケインジアン的な傾向の経済学者が主張していることは、「現代マクロ経済学金融危機の原因や処方箋を示せなかったから間違っている」「国債発行による財政出動というケインズ政策は有効だ」という議論である。クルーグマン氏達自身が、金融危機の原因や有効な対策について何かしっかりした分析を示しているわけではない。また、クルーグマン氏が財政出動の需要刺激効果を主張しても、(一時的な痛み止めの効果はあるかもしれないが)それが金融危機の原因を解決し、経済を完全に回復させる決定打になるとは示されていない。

 

 第二に、これはより本質的に重要な反論だが、「クルーグマン氏は、財政出動への国民の支持を取り付けたいという政治的な目的のために、財政出動に疑問を唱える現代の経済学と経済学者の権威を傷つけ、『彼らは信用できない』という印象を一般国民に植え付けようとしている。そのために、学問的に間違った議論を、わかったうえであえて書いている」というのである。クルーグマン氏は経済学者をやめて政治家になった、とコクラン氏はいう。

 

小林 慶一郎氏は、コクラン氏の意見に対して次のようにコメントしています。

コクラン氏の財政政策無効論も、細かくみると賛成しかねる点もあるので、「コクランが正しくクルーグマンが間違っている」とはいいきれないが、クルーグマン氏の経済学批判に政治的な動機が隠れているという洞察は、正しいように思われる。重要な点は、財政拡大というクルーグマン氏の政治的目標が、世界経済と経済学を正しい方向に導くとは思われないことである。

<< 引用文献

第八回「経済学は有益か(その一)―クルーグマンの挑発」『週刊金融財政事情』 2009年10月5日号 小林 慶一郎

https://cigs.canon/article/20091016_194.html

>>

 

いずれにしても、権威を鵜呑みにするのではなく、「金融危機の原因や有効な対策についてのしっかりした分析」の確認が必要でした。

 

7-3)ストックとフローの課題

 

微分方程式のメンタルモデルで考えれば、経済成長するときには、マネーのフローの流量(円/日)が大きくなるはずです。

 

ガソリン車には、燃料タンクにガソリンが入っています。アクセルをふかせば、タンクから、エンジンにガソリンが流れ込みます。エンジンの出力は、燃料効率の変化を無視できるとすれば、1秒当たりのガソリンの燃焼量(消費量)に比例します。

 

同じ形の微分方程式をつかって経済モデルを作ったと仮定します。

 

経済を加速するには、マネーのフローの流量(円/日)を大きくすればよいことになります。

 

自動車の燃料パイプの流れの流速は、圧力差とパイプの抵抗で決まります。

 

筆者には、マネーのフローの抵抗に相当するものが正確にはイメージできません。とはいえ、電子決済をすれば、紙幣の実体を受け渡すよりも、マネーのフローは早くなりそうで

す。DXが進めば、マネーのフローの抵抗は小さくなると思われます。

 

ガソリンは燃焼すると気体になってしまいますが、マネーのフローは、気体になってなくなることはないので保存則が有効です。

 

貨幣数量説の説明は、以下です。

 

貨幣数量説

 

一般物価(一般的な物価水準)は貨幣供給量(マネーサプライ)と生産量との相対的な大きさによって決まるとする考え方。

 

貨幣数量方程式「貨幣供給量×貨幣流通速度=一般物価×生産量」で説明される。取引のために必要とされる貨幣の量は、事後的には発行されている貨幣供給量にその回転率(貨幣流通速度)を掛けたものに等しくなるとされる。

 

貨幣流通速度がほぼ一定であると仮定すれば、貨幣供給量は名目の生産額に比例する。もとは古典派経済学の考え方で、生産能力の拡大がない状態で貨幣供給量を増やすと、その分一般物価が上昇しインフレを招くことを説いている。

<< 引用文献

貨幣数量説 野村證券

https://www.nomura.co.jp/terms/japan/ka/A01925.html

>>

 

貨幣供給量が、ガソリンタンクを出て、燃焼システムの中をまわっているガソリンの量に相当します。

 

ガソリンエンジンの場合、アクセルをふかすと、燃焼室への燃料の流入速度が増加します。

 

それから、考えると「貨幣流通速度がほぼ一定であるという仮定」は、随分乱暴に見えます。

 

貨幣数量方程式は、フラックス(単位時間毎の検査面通過量)をあらわしています。

 

検査面の面積が、貨幣供給量で、流速が貨幣流通速度になります。

 

右辺の生産量は、単位時間毎の生産量になります。

 

ガソリンエンジンの燃料系では、燃料パイプの太さは変わりませんが、貨幣数量方程式では、燃料パイプの太さに相当する変数が、貨幣供給量になります。

 

ガソリンエンジンの燃料系では、燃料パイプの太さは変わりませんので、フラックスの変化は、全て流速によります。

 

貨幣数量方程式で、貨幣流通速度がほぼ一定であると仮定する場合、フラックスの変化は、全て(パイプの断面積に相当する)貨幣供給量によります。

 

これから、フラックスの量だけを問題にするのであれば、貨幣供給量を、ガソリン車の燃料形の流速に相当すると解釈しても問題がないことがわかります。

 

自動車のガソリンタンクにガソリンを沢山いれても、自動車が加速することはありません。

 

それは、燃料パイプの中のガソリンの流速は、燃料ポンプによって制御されているので、燃料タンクのガソリンの量の影響を受けないからです。

 

穴の開いたバケツにガソリンを入れる場合、ガソリンの量が多くなれば、穴から流出するガソリンの量は増えます。

 

以上のことから、燃料タンクのガソリンの量と燃料パイプの中のガソリンの流速の関係を表わす2つのモデルが考えられることがわかります。

 

第1は、燃料ポンプモデルです。このモデルでは、燃料パイプの中のガソリンの流速は、燃料タンクの中のガソリンの量の影響を受けません。

 

第2は、穴開きバケツモデルです。このモデルでは、燃料パイプの中のガソリンの流速は、燃料タンクの中のガソリンの量の影響を受けます。

 

整理します。次の対応があります。

 

ガソリン車     経済

 

ガソリンの流速   貨幣供給量(マネーストック

燃料タンクのガソリンの量 マネタリーベース

 

以上の整理は比喩ではありません。

 

2つの現象が、微分方程式で表わすことができる場合には、2つの現象の間には、相似関係が成り立ちます。

 

これは、エンジニアの基本的なメンタルモデルです。



7-4)野口悠紀雄氏の説明

 

野口悠紀雄氏は次のように、説明しています。

 

金融緩和の目的は、マネーストックを増加させることである。

 

金融緩和に関する教科書的な説明だと、マネタリーベースが増加すると、信用創造カニズムが生じ、マネタリーベース増加の数倍規模のマネーストック増加が起こるはずだ。

 

マネタリーベースの増加率に比べて、マネーストックの増加率は無視しうるほど小さい。

つまり、教科書的な効果が生じていない。

 

マネタリーベースを増やしても、借り入れ需要がない経済では、マネーストックは増えない。つまり、「糸で引くことはできても、押すことはできない」。このことは、日本における量的緩和政策の結果として、はっきり分かっていたことだ。

<< 引用文献

異次元緩和は空回り、日銀は政策変更を  2013/07/29 東洋経済 野口悠紀雄

https://toyokeizai.net/articles/-/16044

>>

 

本来は、マネタリーベース増加額の数倍の規模でマネーストックが増加しなければならないにもかかわらず、実際のマネーストックの増加額は、マネタリーべースの増加額に及んでいない。

 

このことは、日銀当座預金と銀行貸出の推移で確認できる。

 

以上の結果は、あらかじめ予測されていたことだ。日本では2001年から量的緩和政策が実行されており、十分なデータが蓄積されている。そのデータは、量的緩和政策が実体経済に影響しないことを、はっきりと示している。具体的には次の通りだ。

 

2001年3月から2006年3月まで、「量的緩和政策」が実施された。この間に、マネタリーベースは、65.7兆円から109.2兆円と43.5兆円増えた(率では66.2%)。ところがマネーストック(M2)は、636.5兆円から706.1兆円へと69.6兆円増えたにすぎなかった(率では10.9%。なお、マネーストック統計は、08年3月以前は存在しないので、旧マネーサプライ統計から作成)。つまり、マネタリーベースの増加額の1.6倍ほど増えたにすぎなかったのだ。そして、この政策は経済成長にも物価動向にも影響を与えることができなかった。

 

こうなったのは、日銀当座預金が増えたにもかかわらず、貸出が減ったからである。つまり、信用創造とはまったく逆の現象が起きたのである。これは、ITバブル崩壊で、世界的に景気が悪化していたからだ。

 

量的緩和措置が2006年に停止されたとき、日銀当座預金残高は顕著に減少した。しかし、この時期に、貸出は逆に増加した。アメリカで消費ブームが起こり、日本からの輸出が増加したからだ。これは、政策当局がマネーストックを政策的に動かし、それによって経済活動が変化するのではなく、逆に、実体経済が輸出の動向等によって決まり、マネーストックがそれに受動的に対応していることを示している。

<< 引用文献

日銀の金融緩和政策は、機能していない  2013/08/05 東洋経済 野口悠紀雄

https://toyokeizai.net/articles/-/16673

>>

 

以上の説明から、穴開きバケツモデルはあてはまらないことになります。

 

燃料ポンプモデルのポンプ制御は、アクセルを踏めば、フラックスが増加します。

 

マネーストックも、、実体経済の影響をうけています。

 

穴開きバケツモデルか、燃料ポンプモデルか、という2者択一であれば、現象を説明できるのは、燃料ポンプモデルになります。

 

野口悠紀雄氏は次のようにも、言っています。

 

  「フェイクニュース」の典型が、「2013年からの異次元金融緩和策によって、市中に流通するマネーがじゃぶじゃぶに増えた」との説明だ。

 

 この説明は、金融緩和についての記事で、決まり文句のように出てくる。

 しかし、これは全くの誤報である。

 

 異次元金融緩和政策によって増えたのは、「マネタリーベース」である。マネタリーベースの対前年比は、2013年の秋から2914 年の春まで、50%を超えた。

 

 「マネタリーベース」とは、具体的には、日銀当座預金と日銀券の和である。これは、「マネーのモト」である。この大部分を占める日銀当座預金は、民間主体が支払いに使えるマネーではない。

 

 市中に流通するおカネの残高は、「マネーストック」と呼ばれる。これは、預金と日銀券の和である。

 

 「マネタリーベース」が著しく増加した半面で、市中に流通するマネーの総額(マネーストック)は、ほとんどは増えなかった。年率2から4%で増加しているにすぎない。

 

 2015年9月を12年 9月と比べると、マネタリーベースは2.67倍になった が、M2は、11.1%増えたに過ぎない。

 

 テレビや新聞で流されているニュースや解説の大部分は、以上でマネタリーベースとマネーストックの違いを理解していない。

 

 だから、間違った報道になっているのである。

<< 引用文献

間違った報道はしないでほしい 2019/03/09 note 野口悠紀雄 

https://note.com/yukionoguchi/n/nde4fe317bd41

>>

 

ここまでの説明を整理します。

 

マネーストックは、「ストックとフロー」の分類でいえば、貨幣数量方程式で考える場合には、フラックのフローを表わしています。

 

門外漢には、「ストック」という名称が混乱のもとです。

 

微分法方程式のメンタルモデルで、相似則をつかって説明すれば、異次元金融緩和とは、ガソリン自動車の燃料タンクにガソリンを沢山入れれば、自動車は速く走るという仮説になります。

 

もちろん、そのようなことは起こりません。

 

野口悠紀雄氏は、2013年に、この問題を指摘しています。

 

つまり、「ガソリン自動車の燃料タンクにガソリンを沢山入れれば、自動車は速く走る」ことはありませんので、アベノミクスの金融緩和が成功しないことは、2013年には、自明でした。

 

「異次元緩和の罪と罰」には、マネーストックは出てきません。

 

東証の説明も、ストックとフローの区別がついていません。

<< 引用文献

マネタリーベースとは?マネーストックとの違いもわかりやすく解説 2024/05/12 東証

https://money-bu-jpx.com/news/article051421/

>>

 

このことから、アベノミクスの失敗の原因は、微分方程式のメンタルモデルが欠如した文系の教育に原因があることがわかります。

 

1959年に、スノーは、「2つの文化と科学革命」のなかで、エンジニア教育ができない国に経済は傾くと予言しました。この予言はただしかったことになります。



7-5)因果モデル

 

パール氏は、「因果推論の科学」の中で、原因をかえれば、結果はかわるが、その逆はないといいます。



パール氏は、その例として、台風などの低気圧と気圧計の目盛をとりあげています。

 

低気圧が近づけば、気圧計の目盛が下がります。

 

一方、気圧計の目盛を押し上げても、低気圧が遠方に移動することはありません。

 

このように、「因果推論の科学」では、原因と結果を間違えることは、致命的な間違いとされます。

 

筆者は、景気がよくなれば、インフレになると理解しています。

 

この場合の「原因」は「景気」で、「結果」が、「インフレ」です。

 

「気圧計の目盛を押し上げても、低気圧が遠方に移動する」ことがないように、因果推論では、「インフレ」になれば、「景気」がよくなるとは考えません。

 

しかし、今まで、誰も、この点を指摘していなかったので、筆者は、自分の因果推論に不安を抱えていました。

 

最近、野口悠紀雄氏が、この点を説明しています。

 

異次元金融緩和の検証は、徹底的に行なわれる必要がある。なぜなら、それは誤った目標を、誤った手段で実現しようとするものであり、もともと成功するはずがないものだったからだ。

 

 物価上昇率を目標としたことについて。これは、「フィリップスカーブ」と呼ばれる経験則から導き出された考えだ。高い物価上昇率と低い失業率とは正の相関があるので、物価上昇率を高めれば、経済が活性化するとされた。

 

 しかし、フィリップスカーブの関係は単なる相関関係に過ぎず、因果関係を示したものではない。だから、物価上昇率が何らかの方法で引き上げられたとしても、それによって失業率が低下することには必ずしもならない。

 

 多くの場合、因果関係は「失業率が改善すると物価が上がる」ということだろう。

<< 引用文献

石破新政権は「アベノミクスからの本格決別」果たせるのか 2024/10/10 DIAMOND 野口悠紀雄

https://diamond.jp/articles/-/351821

>>

 

どうやら、筆者の因果推論は正しかったようです。

 

<「フィリップスカーブ」と呼ばれる経験則>ではなく、微分法方程式と因果推論のメンタルモデルを共有して、検討していれば、異次元金融緩和の間違いがおこらなかったといえます。

 

「異次元緩和の罪と罰」では、FRBイールドカーブを否定した(p.118)と言います。しかし、この説明は、FRBの権威を使った権威の方法による説明になっています。

 

筆者は、アメリカには、文系教育は存在しないので、FRB微分方程式のメンタルモデルで検討が出来たということだろうと想像しています。