君たちはどう生きるか(4)

7)アルゼンチンの教訓

 

以上で、検討準備が整いましたので、これから、日本経済の将来を考えます。

 

経済学者のサイモン・クズネッツ氏は、「世界には4種類の国がある。先進国と発展途上国と⽇本とアルゼンチンだ」といいました。

 

「これは、先進国と発展途上国は固定化しやすい。先進国から発展途上国に変化した例外には、アルゼンチンがあり、発展途上国から先進国に変化した例外には日本である」という整理です、

 

日本が先進国の仲間入りした時点は、高度経済成長期の末期で、1960年代末のことです。

 

つまり、この分類は、1970年の安定経済成長期以降の日本を対象にしていません。

 

発展途上国は、外資の投資があれば、中進国までレベルアップはできますが、その先は困難になります。

 

アルゼンチンが、先進国から発展途上国に変化した原因は、農業から工業への産業構造のレジーム・シフトに失敗したことです。

 

日本が、発展途上国から先進国に変化した原因は、農業から工業への産業構造のレジーム・シストに成功したことです。

 

このレジーム・シフトは、1972年からの安定経済成長期には失われています。

 

問題が発生した時期は、バブル崩壊以降ではありません。

 

田中内閣の日本列島改造は、非効率な地方への公共投資を増やし、都市圏の過密問題解消のための公共投資を減らしました。その結果、地方から、都市圏への人口移動が止まります。工業と農業の労働生産性は大きく異なるので、農業から工業への労働移動が起これば、その分だけ、労働生産性があがり、経済成長が実現します。これが失われて、高度経済成長が終了して、安定経済成長期に移行しました。

 

カッツ氏は、次のように整理しています。

日本経済は、1950年代後半から1970年代前半の高度成長期には、シュンペーターが「創造的破壊」と呼んだ、古い企業が革新的な新しい成長企業に道を譲るダイナミズムを持っていました。しかし、1970年代の石油ショック後、日本の指導者たちは社会の安定を優先し、創造的破壊を減速させました。

 

カッツ氏の主張では、「日本経済には、失われた30年があるのではなく、失われた50年がある」ということになります。これは、シュンペーターの「創造的破壊」のメンタルモデルで日本経済をみれば、このようにみえるという主張です。

 

さて、「日本は、アルゼンチンのように、先進国から、発展途上国に逆戻りするか」という課題を考えます。

 

世界では、1990年以降、工業社会から、デジタル社会へのレジームシフトが起こっています。

 

「創造的破壊」のメンタルモデルでみれば、日本が、工業から、情報産業へのレジーム・シフトに失敗すれば、アルゼンチンの場合と同じように、発展途上国に逆戻りすることになります。

 

「創造的破壊」の因果推論モデルは次になります。

 

「工業から、情報産業へのレジーム・シフトに失敗」(原因)=>「アルゼンチンのように、先進国から、発展途上国に逆戻り」(結果)

 

この因果推論には、金融緩和も、株価も、円ドルレートも関係がありません。

 

点検すべきポイントは、「工業から、情報産業へのレジーム・シフト」になります。

 

そして、農業から工業への産業のレジーム・シフトの場合と同じように、「工業から、情報産業へのレジーム・シフト」が起これば、生産性の劇的な上昇がみられ、所得が、数倍になるはずです。これは、GAFAMで実際に起こっている現象です。

 

逆に、「工業から、情報産業へのレジーム・シフト」が起こっていないという傍証もあります。

 

それが、デジタル競争力の低下や、デジタル貿易赤字になります。

 

マイナンバーカードが、エストニアのシステムにくらべて、情報産業へのレジーム・シフトで競争優位でなければ、発展途上国への逆戻りがおこります。

 

問題は、DXを導入することではなく、DXによって、競争優位な生産性の向上を実現することにあります。

 

以上のメンタルモデルを元に、日本のアルゼンチン化の議論を眺めてみます。

 

論点は、日銀の低金利政策と、それが引き起こす円安に集中しています。

 

7-1)野口悠紀雄氏の場合

 

野口悠紀雄氏は、2022年3月に、「日本が先進国から脱落する日 “円安という麻薬"が日本を貧しくした‼」(プレジデント社)という本を書いています。この本は、日本経済の20年後を展望しています。



野口悠紀雄氏は、2023年11月に、「どうすれば日本経済は復活できるのか」(SB新書)を出版しています。



ここでは、最初に、2022年5月のFlashの記事を引用します。記事の狙いは以下です。

 

 2022年4月28日、1ドル=130円台と20年ぶりの円安水準を記録。長年のデフレ下で円高は敵視されてきたが、今度は「悪い円安」ともいわれている。

 

 結局、円安は日本にとって“天国”か“地獄”か。 今回、本誌は“地獄派”を掲げる気鋭のエコノミスト野口悠紀雄氏、加谷珪一氏、唐鎌大輔氏)に尋ねた。

<< 引用文献

「今の日本人の生活は1970年代並み…」「アルゼンチン・ペソと同程度」エコノミスト3人が記録的円安を断罪する! 2022/05/20 Flash

https://news.line.me/detail/oa-flash/8dfiblgfcd8s?mediadetail=1

>>

加谷珪一氏と唐鎌大輔氏の発言は後で、引用しますが、まず。野口悠紀雄氏の主張です、(筆者要約)

日銀は中央銀行の責務を放棄した

 

物価は上がるが、賃金が上がらず、労働者の生活が非常に厳しくなる状態が、20年間続いている。

 

春闘で平均賃上げ率がおよそ2.1%。これまでも、ほぼ同じ状態だった。今までも実質賃金は下がってきましたが、その傾向は円安でさらに強まるでしょう。

 

私がいちばん恐れているのは医療や介護の分野です。外国のほうが賃金が高いから、外国から介護人材を日本に呼ぶことができなくなる。さらに、日本の人材も外国に出ていってしまうでしょう。今後は、十分な医療や介護を受けられない時代になります。

 

20年間円安政策を続けて、結局日本が弱ってしまった。円安は輸入原価を引き上げるが、企業はその値上がり分を製品価格に転嫁します。しかし、賃金をあげない。だから利益が出る。

 

つまり、消費者と労働者に負担を強いることにより、企業の利益は増えるのです。安易に儲けられるから、事業の見直しや技術開発を怠ってきた。そして競争力を失ってしまった。

 

円安を食い止めるには、日銀が金融緩和政策から脱却して、通貨価値を安定させるしかない。それが中央銀行のもっとも重要な責務です。世界の中央銀行は一生懸命利上げをおこなっているのに、日銀だけがその責任を放棄しているのです。

 

野口氏の因果モデルは次になります。

 

日銀の低金利=>円安=>賃金(内需)の縮小と容易な企業利益確保=>事業の見直しと技術開発を放棄

 

日銀が低金利をやめれば、「賃金(内需)の縮小と容易な企業利益確保」が出来なくなります。

 

しかし、それが、「事業の見直しと技術開発」を生み出すかは、不明です。

 

政府に「円安」を要求して、「賃金(内需)の縮小と容易な企業利益確保」をして、経営が、前例主義のメンタルモデルで行なわれている場合には、「事業の見直しと技術開発」は起こりません。

 

野口 悠紀雄氏は、「どうすれば日本経済は復活できるのか」で、この点にも触れています。

 

野口 悠紀雄氏は、「経済政策を大転換して、新しい技術を取り入れる」ことが必要である、「国民が現状を許さない」ことが必要であるといいます。

 

また、日本人のPISAの成績は優秀なので、日本人は、新しい技術を受け入れられるといいます。

 

レジーム・シフトのデッドラインについては、「経常収支が赤字になるのは10年先のことかもしれないが、それを予測して、いま金融市場でキャピタルフライト(資本投資)が生じてもおかしくない」といいます。

 

野口 悠紀雄氏は、2024年5月に、「新NISAが円安の元凶だ」という説に対して、「新NISAによる対外投資の増加は、為替レートに影響するような規模のものではない。まだキャピタルフライトは起こっていない」と反論しています。

 

キャピタルフライトによって円安がさらに進行すれば、輸入物価が高騰して、激しいインフレが発生する。ドル建て資産に転換した人々は購買力を維持できるが、円建ての資産を保有し続けていた人々の購買力は低下し、生活は困窮する。これは、開発途上国では現実に生じていることである」と補足しています。

 

<< 引用文献

新NISAが円安の元凶だというのか? まだキャピタルフライトは起こっていないが 2024/05/19 現代ビジネス 野口 悠紀雄

https://gendai.media/articles/-/130031

>>



野口 悠紀雄氏は、自民党総裁選で候補者たちに、財源問題の政策を明示すべきであると要求しています。

 

<< 引用文献

防衛費増税、裏金問題…自民党総裁選で候補者たちが明言しない「巨大な魔物」ともいうべき「大問題」を敢えて質す 2024/08/28 現代ビジネス 野口 悠紀雄

https://gendai.media/articles/-/136097

>>

 

これは、正論ですが、政治家のメンタルモデルを考えれば、コミュニケ―ションがなりたたないことは自明にみえます。

 

野口悠紀雄氏は、アベノミクスのスタート時点から、経済政策の問題点を指摘してきました。メンタルモデルの違いを考えなければ、これは正論ですが、メンタルモデルの違いを考えれば、正論では、コミュニケーションが成立しないので、問題解決には至らないと推論できます。

 

筆者には、野口悠紀雄氏の活動が、「シーシュポスの神話」に重なって見えてしまいます。

 

野口悠紀雄氏は、「日本人のPISAの成績は優秀なので、日本人は、新しい技術を受け入れられる」と主張しますが、文系の教育では、統計学のメンタルモデルができません。PISAは15歳児を対象にしています。つまり、PISAには、文系の弊害が反映されていません。筆者は、文系の人は、メンタルモデルの共有ができないので、新しい技術を受け入れができないと考えます。もちろん、文系の人も、統計学のメンタルモデルの習得ができれば、次のステップである新しい技術を受け入れるメンタルモデルに進むことができます。しかし、数学(統計学)は、暗記では習得できません。PISAのように、正解のパターンを暗記する方法は通用しません。文系の教育は、日本にしかありません。したがって、ハードルは非常に高いと考えます。

 

簡単に言えば、文系のコースを破棄するしか方法はありません。レジーム・シフトがおこれば、メンタルモデルの違いは、面接で簡単に判別できるので、文系の卒業証書の価値はなくなります。これは、文系の卒業生を差別しているわけではありません。文系・理系の区別の区別に関係なく、統計学などの科学のメンタルモデルの共有ができない人の就職が困難になるだろうという主張です。

 

7-2)加谷珪一氏の場合



かつて日本は輸出主導経済だったので、円安はメリットが大きかったが、今は消費主導経済となり、海外からモノを買う国になったので、通貨安はデメリットしかありません。

 

消費主導に経済構造が変わった結果、円安は国民の生活水準を下げる。原油などの資源価格高騰と円安がダブルパンチとなる。しかも給料が上がらないまま、出費だけが増える。景気がよくならずに物価だけが上がる、スタグフレーションに入ったといえると思います」

 

円安が進めば、原材料の輸入価格が上がってコスト増になる。コストが上がったぶんを製品価格に転嫁できる競争力のある企業は別として、それができない中小企業は利益が減り、株価も下がります。

 

価格転嫁以外に、企業がコストの増加分を吸収するために、従業員の賃金を下げるか、下請けなど取引先の価格を値引きさせます。いずれも従業員の生活水準や取引先の業績を悪化させ、日本経済に負の循環をもたらします。円安はデメリットで、メリットはありません。

 

今の日本人の生活は、1970年代後半ぐらいのレベルに落ちています。当時は1ドル=360円から240円という時代でした。

 

給料の上昇は物価上昇よりも遅くなることが多い。

 

今、年金の減額が始まっているので、高齢者の生活は本当に大変なことになる。日本はこれから非常事態に入っていくという感覚で備えておかないと、人生100年時代を生き残れないかもしれません。

 

ここで、加谷珪一氏は、輸出主導経済が、消費主導経済に、産業構造が変わったといっていますが、情報産業へのレジーム・シフトについては述べていません。

 

ここでは、「創造的破壊」のメンタルモデルは検討対象ではなく、あくまで、円安の波及効果について説明しています。

 

加谷珪一氏は、2018年に、「創造的破壊」のメンタルモデルについて述べています。

これからの10年が今後100年の日本を決める

 

アルゼンチンが没落した最大の要因は、戦後の工業化に対応できなかったからです。農業など同国の主力産業が既得権益化したことで改革が進まず、産業構造を変えることができませんでした。

 

日本は戦後の工業化にうまく対応し、鉄鋼、造船、自動車、エレクトロニクスなど、技術の進化に合わせて、次々と付加価値の高い産業を生み出すことに成功しました。これは高く評価してよい歴史ですが、一つ注意する必要があるのは、日本は太平洋戦争で一度、壊滅状態になったという事実です。

 

終戦は従来型の多くの体制を破壊しましたから、終戦後の日本には既得権益はある意味で存在していませんでした。このため、多くのイノベーションを受け入れることができたわけです。

 

しかし今の日本はどうでしょうか。世界の主要産業はエレクトロニクスからソフトウェア産業に、そしてAIへとめまぐるしく変わっていますが、日本社会は年々保守的になっており、こうした変化を嫌うようになっています。

 

アルゼンチンの人たちも、変化に対応しなければいけないことは重々承知していたはずですが、既得権益とのせめぎ合いの中でそうした決断を下すことができなかったわけです。

 

今の日本には、敗戦という過去との断絶はありませんから、社会全体として改革の痛みを共有しながら、新しい産業へのシフトを進めなければなりません。その点からすると、今の日本はかつてのアルゼンチンのように見えてきます。

 

現在、国内の資金需要は国内の資金でカバーできていますが、今後は高齢化の進展で貯蓄率の低下が予想されます。そうなってくると、経済運営に必要な資金の一部は海外に依存することになり、その時には、今と同じ水準の政府債務や低金利は到底許容されないでしょう。

 

まだギリギリの余裕があるうちに、産業構造の転換を進めると同時に、グローバルな資金調達に対応できる成熟した資本市場を整備しておく必要があります。悲観的な識者の中からは「日本の改革はもう無理」との声も聞こえてきますが、筆者はまだチャンスがあると思っています。これからの10年は日本にとって本当の意味で正念場となりそうです。

 << 引用文献

日本がアルゼンチンから学ぶことは多い 後編 2018/05/18 経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

https://k-kaya.com/archives/5799

>>

 

この主張は、カッツ氏と同じです。「創造的破壊」のメンタルモデルで、日本経済をみれば、メンタルモデルの共有ができることを示しています。

 

ベイズ統計モデルで考えれば、事前情報がなければ、確率は、50%です。2018年に、アルゼンチン化の確率が50%であり、10年後、つまり、2028年までに改革が進まない場合アルゼンチン化の確率を100%であると考えれば、2024年現在のアルゼンチン化確率は、80%近いと思われます。

 

2022年にも、加谷氏は、アルゼンチン化の問題を論じています。(筆者要約)

2022年時点におけるアルゼンチンの1人当たりGDP国内総生産)は約1万ドルで、日本の4分の1である。東南アジアの新興国としては比較的豊かな部類に入るタイは約7800ドル、マレーシアは1万1000ドルなので、アルゼンチン経済は豊かな新興国と同水準と考えれば分かりやすい。(日本がアルゼンチン化すれば、タイやマレーシアのような国になる。筆者注)

 

アルゼンチンと日本の衰退のプロセスはよく似ている。

 

1990年代以降、日本の輸出競争力は急激に衰えた。世界全体の輸出に占める日本のシェアは1980年代には8%とドイツに並ぶ水準だったが、2022年現在ではわずか3%台である。

 

日本の製造業が凋落した原因は、産業のパラダイムシフトに乗り遅れたことである。1990年代以降、ITが急激に進歩し、世界の主力産業は製造業から知識産業に移行したが、日本はハード偏重の従来型ビジネスに固執した。

 

OECD経済協力開発機構)の調査によると、日本におけるIT投資水準は横ばいで推移する一方、米国やフランスは投資額を約4倍に増やしている。IT化に必要な日本企業における人的投資の水準は先進諸外国の10分の1しかない。

 

 豊かになった国民が社会保障の維持を強く求めていることや、競争力の低下に伴う国産化(工場の国内回帰)への過度な期待、ナショナリズムの勃興など、アルゼンチンと日本の共通点は多い。

 

アルゼンチンの場合、非正規労働者や自営業の比率が高く、こうした人たちは社会保障の枠組みに入っていない可能性が高い。日本においても同様に、時代に合わない年金制度や非正規社員の増加、貧困化の進展や格差拡大などが問題視されている。これらを放置すれば、日本はよりアルゼンチンに近づく。

<< 引用文献

日本が「先進国脱落」の危機にある理由、衰退国家アルゼンチンの二の舞いに? 2022/02/07 Diamond 加谷珪一

https://diamond.jp/articles/-/295119

>>

 

7-3)唐鎌大輔氏の場合

 

唐鎌大輔氏は、みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミストです。

下落率はアルゼンチン・ペソと同程度

円安のメリットを享受するのは、基本的にグローバルな輸出製造業です。外国に対して安くモノを売れるし、売り上げもかさ上げされる。海外への投資の利益も円建てでたくさん入ってくるわけです。一方、円安のデメリットを被るのは、内需依存型の中小企業と、物価上昇の影響が直撃する家計です。

さらに、日本では長らく給料が上がっていないので、実質賃金は下がっていく。このまま円安が続けば、富める者とそうでない者の二極化が進みます。

今回、1ドル=110円台から130円台になるまで3カ月もかかっていません。企業は円高にしても円安にしても、常に為替予約をしてリスクヘッジしていますが、今回のような急激な変動ではヘッジが効かない。

すると当然、経営計画はブレる。その意味では、企業にとっても“悪い円安”です。日銀自身も急な変動はよくないと言っています。

現在の円安は、日米の 金利差だけが原因なら、ほかの通貨も円と同じくらい下がっていなければならないわけですが、円だけが突出して弱いのです。2021年初めから足元までの通貨の下落率を見ると、円はアルゼンチン・ペソと同じくらい下落しています。それより下がっているのは、トルコ・リラくらいです。

先進国である日本の円がここまで安くなった原因には、 「日本売り」の要素もあると解釈しなければ説明がつきません。日本は貿易赤字が拡大して、回復する目途が立っていない状況で、成長率を見ても、先進国の中で、日本だけがコロナ前の水準に戻っていない。そんな日本経済は評価できないと、海外は見ている。つまり「日本(企業)は買えない」のです。

 

唐鎌大輔氏は、「日本(企業)は買えない」といいます。これは、「創造的破壊」のメンタルモデルで、みれば、レジーム・シフトに失敗しているので、株価が上がると考える理由がないという説明です。

 

2024年12月27日に142円だった円ドルレートは、2024年7月1日には、160円になりました。

 

7か月で、20円の円安でしたので、2022年の方が変動幅が大きかったと言えます。

 

この原稿を書いている8月末の円ドルレートは144円で、ほぼ1月の水準に戻りました。

 

野口悠紀雄氏は、無理な金融政策をやめれば、円ドルレートは、購買力価平均の「1ドル100円程度」が長期の均衡値に近づくといいます。

<< 引用文献

「1ドル100円程度」が長期の均衡値、金融政策と投機が異常な円安を生んだ 2024/08/29 DIAMOND 野口悠紀雄

https://diamond.jp/articles/-/349500

>>

 

唐鎌大輔氏は、デジタル赤字の専門家で、次のように言っています。(筆者要約)

2023年時点の日本のデジタル関連収支赤字は約5.5兆円と過去最大を更新し、同じく過去最大の黒字を更新した旅行収支黒字の約3.6兆円を優に食いつぶしている。観光産業という「肉体労働で稼いだ外貨」は、今や「頭脳労働で生み出されたデジタルサービス」への支払いに消えている。

 

デジタル関連収支は米国が1114億ドル、英国が692億ドル、欧州共同体(EU、除くアイルランド)も332億ドルの黒字である。

 

EU加盟国では、フィンランドが95億ドルの黒字、ドイツ、フランス、オランダがそれぞれ102億ドル、24億ドル、48億ドルの赤字である。

 

アイルランドの通信・コンピューター・情報サービスは1940億ドルの黒字で、これは米国の12倍、英国の8倍に相当する。

 

日本のデジタル関連収支は364億ドルの赤字である。

 

ドイツも相応に大きなデジタル赤字を抱えてはいるが、同国は世界最大の貿易黒字国で、赤字を相殺している。

 

日本も大きな貿易黒字を稼いでいれば、デジタル赤字は話題にならなかったのではないかと感じる。

<< 引用文献

コラム:OECⅮで最大のデジタル赤字国・日本、欧米の背中遠く=唐鎌大輔氏 2024/04/20 ロイター

https://jp.reuters.com/opinion/forex-forum/XV2SBVGD3BPXDEHTTWHAZ33G2I-2024-04-16/

>>

 

デジタル赤字でみれば、日本がレジーム・シフトに失敗していることが明白です。

 

唐鎌大輔氏は、<観光産業という「肉体労働で稼いだ外貨」は、今や「頭脳労働で生み出されたデジタルサービス」への支払いに消えている>といい、<日本も大きな貿易黒字を稼いでいれば、デジタル赤字は話題にならなかった>といいます。

 

このメンタルモデルは、貿易収支の黒字の視点です。

 

「創造的破壊」のメンタルモデルで考えれば、赤字の大きさより、レジーム・シフトの遅れが問題になります。

 

唐鎌大輔氏は、2024年1月に、「新NISA、外貨買い誘発し『貯蓄から逃避』の契機になるのか」というコラムを寄稿しています。これは、新NISAは、キャピタルフライトの契機になりうるという指摘です。

 

唐鎌大輔氏は、2024年7月に、「家計部門の円売り」の最新動向を示す数字として、6月末に日銀が発表した2024年1から3月期の資金循環統計をもとに、まだ断言できる段階には無いものの、日本の家計部門の投資行動について「いよいよ動き出した」という感があるといいます。、新NISA稼働以前から、「貯蓄から投資」は「円から外貨」という構図で進んできたといいます。

<< 引用文献

コラム:動き出した家計金融資産、「いずれ日本に戻ってくる」の危うさ=唐鎌大輔氏 2024/07/13 ロイター

https://jp.reuters.com/opinion/forex-forum/markets/commodities/VM5KK64W2FML3ISASLUQMRVCMM-2024-07-07/

>>

 

ただし、2024年8月5日に株価の暴落と円高傾向への割り戻しがあり、2024年8月の唐鎌大輔氏の評価は変わっている可能性があります。

 

7-4)小林慶一郎氏の場合

 

デイリー新潮に、慶大教授の小林慶一郎氏は、次のような指摘をしています。

金利をめぐる二つのシナリオがあると思います。

 

一つはこれから長期金利が上がり、国債の利払い費や残高が増加していくパターンです。すると今後、大きな財政出動があれば、その分、それとともに、政治家や官僚が財政規律を重視していくようになる“揺り戻し”が起きるのではないか、と思います。そうなれば、10年後、15年後、金利が正常化され、財政健全化を見通せるような状況ができる可能性があります。

 

もう一つのシナリオは最悪のパターンです。

 

若い政治家の「財政出動をし続けても問題ない」というメンタリティが変わらなければ、日銀も利上げをしづらい状況が続くことになります。すると10年後、15年後もゼロ金利が続いているということもあり得ます。成長率は鈍化し、財政規律は緩んだままです。日本経済は長期衰退の道を辿ることになります。財政赤字が拡大し、記録的なインフレ、通貨安を招いた「アルゼンチン化」とも言っていい。円安は止まらず、貧しい国になっていく可能性があり得ます。

<< 引用文献

このままでは日本の「アルゼンチン化」もあり得る…小林慶一郎・慶大教授が指摘する「金利のない世界」の甚大な副作用 2024/08/26 デイリー新潮

https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08261100/

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ゼロ金利の問題点は、10年前から、野口悠紀雄氏が指摘してきた問題なので、小林慶一郎氏が、2024年8月に、あえて問題提起をする理由がわかりません。

 

また、小林慶一郎氏の考察には、「創造的破壊」のメンタルモデルがなく、産業構造のレジーム・シフトが考慮されていません。



7-5)河野龍太郎氏の場合

 

河野龍太郎氏の解説は、2022年に行われ、次の言葉で始まっています。

近頃、話題になるのが、⽇本の経済規模が世界第3位から転落し、ドイツに劣後するのではないかという話だ

2024年8月現在では、⽇本の経済規模は、世界第3位から転落し、ドイツは3位になっています。

河野龍太郎氏の解説は以下です。(筆者要約)

第1の命題は「先進国が資本流出を気にせず、不況期に⼤規模財政を⾏えるのは、新興国の犠牲のおかげということ」である。

 

第2の命題は「新興国側から⾒ると、基軸通貨や国際通貨への強い選好が存在するため、⾃国の国債は吸収されず、危機でも積極的な財政政策は難しい」ということである。

 

ゼロ⾦利を続けさえすれば、利払い費は抑えられ、公的債務は管理可能と⾔う政治家は多い。ただ、国際通貨の地位が揺らげば、⽇本の預⾦者はゼロ⾦利の円預⾦を⼿放し、ドルや他の国際通貨を保有しようとするだろう。

 

⽇本は国際通貨・円を保有するから、財政危機を避けられるという慢⼼は禁物だ。現在のシステムが放置しても10年、20年は⼤丈夫のようにも思われるが、⾸都直下型地震南海トラフ地震、富⼠⼭噴⽕、台湾有事など、公的債務を膨らませるイベントが重なると、⼀気に持続可能性が臨界に達する可能性がある。

 

⽇本に適⽤されるのは、基軸通貨国や国際通貨保有国が、危機時に中銀ファイナンスによる⼤規模財政を⾏えるという第1の命題だけでない。国際通貨の座を失うリスクがあり、新興国向けである第2の命題も意識する必要がある。

 

財政・⾦融政策は、景気を刺激するが、資源配分や所得分配をゆがめ、潜在成⻑率や実質賃⾦を低迷させる。最近、円安の弊害が広く論じられるが、それは「痛み⽌め」のためのマクロ安定化政策が⾏き過ぎ、副作⽤が無視できなくなったことの証左である。第1の命題が当てはまる間に、マクロ安定化政策の在り⽅を再検討する必要がある。

 

⽇本がアルゼンチン同様、新興国に転落するのは、何としても避けたいところである。

<< 引用文献

 

日本がアルゼンチンタンゴを踊る日、新興国に転落するときに起きること

2022/08/17 DIAMOND 河野龍太郎:BNPパリバ証券経済調査本部長チーフエコノミスト

https://diamond.jp/articles/-/308111

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河野龍太郎氏の考察には、「創造的破壊」のメンタルモデルがなく、産業構造のレジーム・シフトが考慮されていません。

 

河野龍太郎氏は、公的債務を膨らませるイベントが重ならなければ、現在のシステム(ゼロ金利政策)を放置しても10年、20年は⼤丈夫であると考えています。

 

7-6)財務総合政策研究所

 

財務総合政策研究所は、2001年6月に、「経済の発展・衰退・再生に関する研究会」の報告書を出しています。

 

この中で、新潟大学経済学部教授の佐野誠氏が、アルゼンチンの分析をしています。

 

日本のアルゼンチン化リスクに関する最も早い文献です。

 

ただし、筆者は、この分析が引用された例を知りません。

 

ここでは、メンタルモデルの共有ができなかったと思われます。

 

<< 引用文献

「経済の発展・衰退・再生に関する研究会」報告書 2001年6月 財務省財務総合政策研究所

https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/zk051/zk051a.htm

 

第7章 アルゼンチン 新潟大学経済学部教授 佐野 誠

https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/zk051/zk051h.pdf

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7-7)まとめ

 

河野龍太郎氏、唐鎌大輔氏、加谷珪一氏は、資産運用が目的のビジネスをしていますので、日本経済がアルゼンチン化しないためには、何をすべきかという直接的なモチベーションはありません。

 

野口悠紀雄氏と小林慶一郎氏は経済学の研究者です。

 

経済学の目的は、経済法則を見つけることかも知れません。

 

しかし、「Science for People」の視点でみれば、日本のアルゼンチン化を阻止できなければ、「何のための経済学なのか」、つまり、「何のために生きるのか」という問題が残ります。

 

カッツ氏は、「何のための経済学なのか」という問いに対して、「日本経済の未来を賭けた戦い:起業家対大企業」という解決策を提案しています。

 

野口悠紀雄氏の解決策の具体的な提案は、新技術を導入することです。新技術が導入できれば、レジーム・シフトがおこるので。この提案は、トートロジーに見える側面があります。ようするに、もう少し、具体的なヒントが欲しくなります。

 

要点を並べます。

 

以下のギリギリの余裕の残り時間(デッドラインの数字)は、比較しやすくするために、本文から筆者の判断で要約したものです。

 

野口 悠紀雄氏は、「経済政策を大転換して、新しい技術を取り入れる」ことが必要である、「国民が現状を許さない」ことが必要であるといいます。また、キャピタルフライトは何時おきても不思議ではないといいます。

 

加谷珪一氏は、まだギリギリの余裕があるうちに、産業構造の転換を進めると同時に、グローバルな資金調達に対応できる成熟した資本市場を整備しておく必要があるといいます。

 

今後は高齢化の進展で貯蓄率の低下が予想され、経済運営に必要な資金の一部は海外に依存することになり、今と同じ水準の政府債務や低金利はできなくなるといいます。

 

このギリギリの余裕の残り時間は、4年程度です。

 

唐鎌大輔氏は、デジタル赤字の拡大の統計を算出して、日本企業が、デジタル化のレジーム・シフトに乗り遅れている状態を明確にしています。また、キャピタルフライトのリスクは拡大しているといいます。

 

林慶一郎氏は、若い政治家の「財政出動をし続けても問題ない」というメンタリティが変わらなければ、財政赤字が拡大し、記録的なインフレ、通貨安を招いた「アルゼンチン化」が起こるといいます。小林慶一郎氏は、問題解決には、若い政治家のメンタリティの変容が必要で、それは、若い政治家が、国債の信用リスクなどマーケットからの手痛いしっぺ返しを経験することで、実現できると考えています。

 

林慶一郎氏の主張は、問題が自然に解決する可能性をあてにしており、他の専門家に比べると受動的です。また、産業構造のレジーム・シフトを前提にしていません。残された時間は、5年から10年程度と思われます。

 

河野龍太郎氏は、2022年時点で、大きな公的債務を膨らませるイベントが重ならなければ、最短で、現在のシステムは、10年は問題ないと言います。逆に言えば、大きな公的債務を膨らませるイベントが発生すれは、5年程度で、現在のシステムが崩壊して、「新興国になって、基軸通貨や国際通貨への強い選好が存在するため、⾃国の国債は吸収されず、危機でも積極的な財政政策は難しく」なる(アルゼンチン化する)という主張です。

 

河野龍太郎氏も、産業構造のレジーム・シフトを前提にしていません。