1)橋の哲学
現在の日本の政治の基礎を作ったのは田中角栄氏です。
田中氏は、日本列島改造を主張して、新潟の寒村にトンネルを建設しました。
「効率重視よりも、弱者救済を優先する」(経済学の経済発展の科学よりも利権誘導の政治主導を優先する)という政治のパターンをつくり、選挙に圧勝します。
これ以降、政治献金を行い、投票をすれば、補助金のキャッシュバックがあることが政治の基本(選挙に当選する方法)になりました。
野党は、社会主義を標榜していましたので、日本には、リバタリアンの政治家はいなくなりました。
利権誘導(中抜きの経済学)でない政治をイメージできる政治家はいなくなりました。
「効率重視よりも、弱者救済を優先する」は、多数決原理に反する社会主義で、民主主義ではありません。
「効率重視よりも、弱者救済を優先する」政治は、美濃部東京都知事が始めた政治です。
美濃部氏は、橋をかけるとき、一人でも反対者がいれば、橋の建設を行なわない「橋の哲学」で、政治を行いました。
環状8号線は、「橋の哲学」の結果、一部区間の工事が進まず、完成までに50年を要しました。
50年前の日本は、人口増加で、交通量増加の時代でしたが、50年後には、人口は減り、個通量も減っています。
50年前に建設が完了していれば、得られたはずの環状8号線の経済的利益は永久に失われました。
「効率重視よりも、弱者救済を優先」すれば、経済は回わらなくなります。
美濃部都政の末期には、東京都は財政赤字を抱えて、美濃部氏は、退場します。
美濃部氏は「橋の哲学」の出典に、フランツ・ファノンの著書をあげています。
アルジェリア独立の旗振りであったファノンは経済学者ではありませんが、経済思想は、レーニン主義であったと言われています。
計画経済では、経済効率の改善が行なわれませんので、経済は崩壊します。
宇宙開発のような一部の技術開発に、資金を偏重して配分すれば、その分野だけに限れば、技術レベルをあげることはできますが、国全体の経済が破綻します。
ソ連は崩壊しましたが、宇宙開発の高い技術をもっていました。
北朝鮮の経済は崩壊していますが、ミサイル技術のレベルは高いです。
東京都は、財政破綻の直前に、美濃部氏が退場して、破綻を逃れます。
東京都の財政赤字の原因には、「橋の哲学」(レーニン主義)の経済学がありました。
つまり、この2つの現象には、レーニン主義の経済学という共通のルーツがあります。
2)弱者の変容
田中角栄氏は、国政レベルの「効率重視よりも、弱者救済を優先」(橋の哲学)を、選挙に当選するツールとして完成させました。
日本政府には、日本中の寒村にトンネルを建設する財力はありません。
つまり、正確に言えば、「橋の哲学」は、「効率重視よりも、一部の弱者救済を優先し、他の弱者を切り捨てる」政策になります。
もちろん、選挙に当選するためには、「他の弱者を切り捨てる」は伏字になっています。
リバタリアンが、「効率重視よりも、弱者救済を優先」に反対する理由は、「他の弱者を切り捨てる」が解消できないためです。
さて、問題は、「救済される一部の弱者(エリート弱者)」と「切り捨てられるその他の弱者(リアルな弱者)」の違いです。
エリート弱者とリアルな弱者の区分は、政治献金と選挙への貢献でなされます。
美濃部氏は「橋の哲学」で、「弱者」は、経済的弱者を想定していたと思われますが、国政レベルの「橋の哲学」では、「弱者」は、経済的弱者を意味しません。
日本の社会では、年功型雇用が維持され、法度制度が生きています。
法度制度では、法度制度のシステムを維持するために村八分が頻発します。
最近でも、新人が挨拶するかしないかは、個人の自由であるという発言が炎上しています。
これは、新人が挨拶しないと、法度制度が崩壊するので、村八分が起こっているためです。
リアルな弱者になることは、村八分の対象になることです。
村八分は、法度制度のミームの世界では、非常に危険な行動なので、避けるべきです。
「橋の哲学」のミームの世界では、弱者でないと社会的に抹殺されます。
日本では、自分は、社会的強者(富裕層)であると主張している人は、前澤友作氏など少数です。
法度制度のミームでは、村八分の対象になることを避けるべきであるという判断が働きます。その結果、企業は、膨大な政治献金をします。万博のような公共事業にもお付き合いで協賛して、資金を出します。こうした資金提供は、費用対効果を考えているというよりも、村八分になった場合のリスクを回避する保険料のように扱われています。
企業は、弱者であると主張して法人税の減税を得ました。
ラピダスは、世界の半導体製造の弱者であると主張して、膨大な補助金を得ています。
防衛省は日本の防衛力は、弱者であると主張して、防衛費の増額を実現しました。
しかし、防衛費で何を守るべきかという優先順位の議論はなされていません。
円安で、防衛費の増額は、ほぼチャラになったにもかかわらずです。
アメリカ人のアメリカンドリームは、社会的強者になることです。
日本人のジャパニーズドリームは、エリート弱者になり、補助金のピンはねや天下りポストを獲得することです。
誰もが、エリート弱者を希望する社会では、DXは進みませんし、労働生産性はあがりません。
政治家に、政治献金があつまる理由には、村八分の恐怖があります。
年功型雇用で、非正規雇用になることは、年功型雇用システムの村八分になることです。
村八分になると士農工商の身分のヒエラルキーの対象外になります。
人権は保証されません。
労働市場が出来て、村八分の恐怖がなくなれば、「橋の哲学」も消滅します。
オリンピックに勝てるアスリートの養成には、強者を集めて、能力を伸ばします。
Aiなどの技術開発競争に生き残るために必要な施策は、強者を集めて、能力を伸ばす事です。
スポーツ選手以外の社会的強者は、ニュースに登場しません。スポーツを除けば、エリート弱者が、社会的影響力を持っています。
その結果、技術開発と経済発展は停滞します。
3)レーニン主義の限界
「橋の哲学」の経済学は、レーニン主義です。
税収の多かった東京都は10年程で、財政赤字になりました。
「橋の哲学」(レーニン主義)を実施するためには、財源の捻出が必要になります。
政府は、その財源を赤字国債と若年層から高齢者への所得移転で実現してきました。
3-1)若年層から高齢者への所得移転
加谷珪一氏は、若年層から高齢者への年金の所得移転は、今後減らされ年金は2割減少すると予測しています。
加谷珪一氏は、政府の年金制度改革の背景にある隠れたメッセージを次のように集約しています。
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1.「年金財政を安定させ、若者世代の負担を抑えるため、高齢者の年金は今後、順次減らしていきます」
2.「年金が減ると、多くの人が年金だけでは生活できなくなり、生活保護申請の増加が予想されます」
3.「しかしながら、日本の世論は生活保護に厳しく、生活保護拡充は困難です」
4.「したがって、基本的には一生、働き続けてください」
5.「一連の措置を続ければ、現在の若者が高齢者になる頃には年金制度は安定します」
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<< 引用文献
年金制度、いちばん苦しくなるのは「今の若者世代」ではなかった…!【衝撃】2024/06/26 現代ビジネス 加谷珪一
https://gendai.media/articles/-/132512
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現実の問題は、円安による年金の目減りです。上記の困難な生活保護の拡充が不可欠な状況に突入しています。
3-2)赤字国債
加谷珪一氏の解説では、自民党内に積極財政派と財政再建派の対立があり、このことがプライマリーバランスの回復政策の遅れの原因になっています。
加谷珪一氏は、インフレ時には、プライマリーバランスより、より強い歳出制限が必要であるといいます。
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利払い費を除いた収支がいくら黒字でも、金利上昇で利払い費が増加すれば、利払いのために国債を追加発行する必要に迫られる。プライマリーバランスを目標値として採用しても、意味がない。
利払いに対応するため国債を増発すればほぼ確実にインフレが進行し、国民が保有する預金の実質的な価値が減ってしまうので、預金に多額の税金をかけた(インフレ課税)になる。結局、国債の過剰発行は、大増税を課す結果になる。
大増税を望まないのなら、プライマリーバランスに代わる新しい財政収支目標が必要である。
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<< 引用文献
政府が「骨太の方針」で掲げる「プライマリーバランス黒字化」は、もはや意味を失ってしまった 2024/05/25 Newsweek 加谷珪一
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2024/06/post-284.php
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加谷珪一氏は、「プライマリーバランスに代わる新しい財政収支目標が必要」としか発言していませんが、新しい財政収支目標が、国債の追加発行を避けるものであれば、それは、劇的な歳出の減少になります。恐らく、現在アルゼンチンで行われているような歳出制限になると思われます。政治は、「橋の哲学」を放棄することになります。
未来は、不確実です。しかし、東京大学の学生で、法学部に進んで、官僚になる人は激減しています。これは、多くの学生が、「橋の哲学」の維持は不可能であると考えているためと思われます。
5)歴史は韻を踏む(トランポータビリィティ)
加谷珪一は、「自民党内に積極財政派と財政再建派の対立がある」といいます。
このことから、自民党の議員の思考形態は、経験に根ざしたものであることがわかります。
経験に基づく議論は、個人個人で経験が異なるので、意見の一致は難しいのです。
年金の負担問題は、1973年(福祉元年)の制度設計の間違いに起因していますが、現職の政治家で、1973年から議員をしてきた人は誰もいません。
財源問題を論じるには、経験主義を捨てる必要があります。
ドイツの鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 と言いました。
この「歴史を学ぶ」意味は、過去の歴史のデータが将来の意思決定に役に立つからです。
ジム・ロジャーズ氏は、マーク・トウェインの言葉を引用して次のように述べています。
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重要なのは、「歴史は韻を踏む」ということである。これは作家マーク・トウェインの言葉だ。世界の出来事のほとんどは、以前にも起きている。まったく同じ出来事が起きるわけではないが、何かしら似た形の出来事が、何度も繰り返されている。戦争、飢餓、不況、外国人迫害、貿易戦争、移民問題──。これらの問題は、形を変えて何度も起きているのだ。
現在と類似した問題が以前どのようにして起きたのかを理解すれば、現状がある程度把握できる。それがどのような結末になるかもわかる。よく「歴史は繰り返す」と言うが、まったく同じことを繰り返すのではない。韻を踏むように、少しずつ形を変えながら反復をし続けるのだ。
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<< 引用文献
ジム・ロジャーズ「30年後の日本大変なことに」 2019/02/21 東洋経済 ジム・ロジャーズ
https://toyokeizai.net/articles/-/266214?display=b
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IMFのクリスティーヌ・ラガルド氏は、次のように言っています。
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1918 年(の第1次大戦の戦後処理)について言えたことは、今についても変わらず言えます。諸国が平和に共存できるか、何百万もの人々が経済的に豊かな暮らしをおくれるかは、共通の歴史が踏む韻を見つける私たちの能力に大きくかかっているのです。
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<< 引用文献
歴史が韻を踏むとき 2018/11/05 IMF クリスティーヌ・ラガルド
https://www.imf.org/external/japanese/np/blog/2018/110518j.pdf
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「歴史が韻を踏む」とは、過去のデータから一般化された法則が、将来も通用する(トランポータビリティ)か否かの問題です。
有効な一般化(韻を踏む歴史)と意味のない一般化(員を踏まない歴史)を区別する基準が不可欠になります。
2015年に、ジョディア・パール氏とエリアス・バレンボイム氏は、「因果ダイアグラムを使って2つの環境についての前提条件を表現できれば、どういうときに研究成果(歴史の韻)が移植可能か(トランスポータビリティ)を判別する完璧な基準を設定することに成功」しています。(「因果推論の科学」p.366、p.524)
つまり、どのような条件であれば、歴史が韻を踏むかは、数学の証明問題として、2015年に解決済みです。
つまり、ラガルド氏の「共通の歴史が踏む韻を見つける私たちの能力」は、「因果推論の科学」によって、劇的に向上しています。
従来どおり、経験主義と「橋の哲学」を続けるか、科学的な政策を進めるかは、選択の問題ですが、選択の結果によっては、国の未来は大きく異なります。
5)新しい段階
政府は、2024年6月に、5月使用分で終了した電気・ガス代の負担軽減策を、冷房需要が高まる8月から10月までの3か月間再開する方針を固めた、と報じています。
これ以外に政府は、ガソリン代補助も年内をめどに当面継続させるほか、年金生活者や低所得者を対象とした給付金も検討するとされています。
税金で徴収した歳入を、生活のための補助金で還元する政策は、究極のばら撒き政策で、経済が破綻した国で行なわれる政策です。
この政策は、中抜き経済があるので、減税に比べて、非効率で、生産性を引き下げて、経済成長を阻害します。
生活のために補助金を還元する政策は、所得移転効果がある場合に限り、合理性があります。
これは主に、富裕層から貧困層への所得移転を目的とした政策です。
「橋の経済学」(レーン主義の計画経済)は、ソ連の崩壊や、美濃部都政の行き詰りと同じフェーズに達したようにみえます。
「歴史が韻を踏む」のであれば、今後の展開は、ゴルバチョフ改革のように、時間切れで、経済が崩壊するか、美濃部都政のように、主役の入れ替わりで、経済が辛うじて崩壊を免れるかの何れかの分岐点に達したように見えます。