「橋の哲学」と経済学がイデオロギーだった時代(1)

1)プラグマティズムの時代

 

一橋大学の元学長で経済学者の都留重人氏は、1912年生まれで、名古屋の旧制第八高等学校時代、日本の中国政策に反対する学生運動に加わり検挙され学校を除名されました。父親の計らいで、ウィスコンシン州のローレンスカレッジで2年間学び、1933年ハーバード大学に入学します。ハーバード大学では、シュンペーター、サムエルソン、ガルブレイスなどと学究生活を送り、助手を経て1940年講師となります。1941年12月8日、太平洋戦争が起こります。日本の敗戦を確信していた都留氏は敗戦後の日本のために働きたいと1942年に交換船で帰国し、1943年に東京商科大学東亜経済研究所(現一橋大学経済研究所)嘱託研究員になります。終戦後、都留氏は、GHQの関係で来日した多数の米国の友人(Norman、 Paul Baran、 Galbraith 他)と再会しています。1946年に、連合国最高司令部経済科学局調査統計課(ESS)に勤務します。1947年に片山内閣のもと、経済安定本部部員に任命され、第一回経済白書を執筆しています。

 

都留氏は、経済学者の立場から、終戦直後の経済的混乱の建て直し。高度成長時代の公害問題。そして冷戦時代の平和運動など、積極的に発言し続けた。

 

都留氏は、1975年に一橋大学学長を退任しています。

 

都留氏の活躍した時代(1947年から1975年)は、高度経済成長期にほぼ、重なります。

 

都留氏は、「経済学は現実に足を踏み出し、現実によって試されねばならない」と述べています。

 

都留氏は、ハーバード大学で、プラグマティズムの教育を受けていますので、この発言は、プラグマティズムとしての経済学を示しています。

 

プラグマティズムは、形而上学の哲学ではなく、人間の意思決定に、科学の方法を取り入れる試みです。したがって、「現実に足を踏み出し、現実によって試されねばならない」は、プラグマティズムの立場を示しています。

<< 引用文献

都留重人 あの人に会いたいFile No. 412 NHK

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250412_00000

都留重人先生略歴 一橋大学

https://www.ier.hit-u.ac.jp/library/Japanese/exhibition/Tsuru-Shigeto10.html

>>

 

「もはや戦後ではない( The post-war is already ove)は、後藤譽之助氏によって執筆された1956年7月に発表された経済白書の序文の言葉で、流行語です。

 

後藤氏は、1941年12月に、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業後、電気庁、大東亜省につとめます。戦後、経済安定本部・経済審議庁経済企画庁において、第二次大戦後の日本の経済復興政策立案及び景気循環分析にかかわっています。

 

後藤氏は、アナリストですが、経済学のイデオロギーとは無縁です。

 

つまり、1956年には、プラグマティズムの経済政策が進められていました。

 

なお、「もはや戦後ではない)は、文藝春秋1956年2月号に中野好夫によって寄稿された評論文のタイトルで、後藤氏は、経済白書の執筆において、タイトルを借用しています。

 

ハーバード大学で学んだ都留氏や、電気工学科で学んだ後藤氏は、イデオロギー形而上学)とは無縁です。経済政策は、景気循環をモニタリングして、循環効率が最大になる政策を選択します。

 

ここに、日本経済号、アメリカ経済号、中国経済号の自動車があり、レースをおこなうとします。この場合、自動車の性能がよく、ドライバーの腕がよい自動車が優勝します。

 

自動車経済号の性能とは、生産性が高いことです。

 

ドライバーは、生産性の向上を常に目標にする必要があります。

 

ドライバー(政治家)のイデオロギーは、レースの結果には、影響しません。

 

1971年7月に中国共産党中央は香港に隣接する広東省の深圳をはじめとする経済特区を設置しました。このとき、鄧小平氏は、「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」(中: 不管黑猫白猫,捉到老鼠就是好猫)という「白猫黒猫論」のプラグマティズムを明確にしています。この外資導入による輸出志向型工業化政策はその後極めて大きな成果を収めています。

プラグマティズムは、イデオロギー形而上学)を否定します。

 

ホンダやソニーといった前後の日本企業の多くは、プラグマティズムの時代に誕生しています。

 

日本の文系の大学教育は、法度制度のミームにあり、プラグマティズムを期待することは、難しいと思われます。

 

国と国の間の経済競争では、勝った国が輸出をして、負けた国が輸入する構造になります。競争は、分野ごとに行なわれますが、トータルで輸入超過になると、外貨が不足して、資材を輸入できなくなります。

 

2)イデオロギーの時代

 

1990年まで経済学は、イデオロギーでした。大学の経済学の講座は、近代経済学マルクス経済学に分かれていました。

 

美濃部亮吉氏は、東京帝国大学経済学部で、マルクス経済学者の大内兵衛に師事し、後期資本主義の危機的状況の諸現象、特にインフレーションについて研究しました。美濃部氏は、助手になりますが、挨拶に行った態度が反マルクス派の河合栄治郎の怒りを買い、母校の経済学部に講師として残ることが不可能になります。そのため法政大学経済学部に転出します。美濃部氏は、内閣総理大臣池田勇人(1960年から1964年)のブレーンの一人でした。

 

河合栄治郎の怒りを買い、母校の経済学部に講師として残ることが不可能」ということは、この頃の経済学部では、法度制度が生きていたことを示しています。

 

美濃部氏は、1950年に、経済安定本部参与に就任しています。

 

美濃部氏は、1967年から1979年に、東京都知事を3期務めています。

 

ウィキペディアで、美濃部都政の一部を引用します。

 

革新都政下での高福祉・公共サービス無料化、公営ギャンブル廃止といった政策は都民から支持を集めたものの、高度経済成長が次第に鈍化し、税収低下により財政赤字をもたらしました。 

 

老人医療無料化

 

1969年(昭和44年)、東京都では高齢者の医療費の健康保険個人負担分を都が肩代わりする政策を全国に先駆けて打ち出し、都民から大きな支持を得た。

これを受けた田中角栄首相(兼自民党総裁)が、財源無しに無償福祉は不可能だと反対する官庁を抑えて1972年に老人福祉法を改定した。 

 

道路・空港整備反対

 

東京外環自動車道(外環道)や首都高速中央環状線での道路建設工事について、フランツ・ファノンの「ひとつの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されぬがよい、市民は従前どおり、泳ぐか渡し船に乗るかして、川を渡っていればよい。橋は空から降って湧くものであってはならない、社会の全景にデウス・エクス・マキーナ〔救いの神〕によって押しつけられるものであってはならない。そうではなくて、市民の筋肉と頭脳とから生まれるべきものだ」を引用し、社会的少数派を極端に重視する姿勢から「一人でも反対があったら橋を架けない」という「橋の哲学」に基づき、道路工事反対の住民運動の側に立ち、道路建設を軒並み凍結します。東京都は、東京湾横断道路の建設を目指していた1都2県で構成される東京湾総合開発協議会からも脱退します。協議会は、活動停止に追い込まれました。また、成田新幹線整備や東京国際空港羽田空港)拡張にも反対を唱えました。

 

留意点は、2つあります。

 

第1に、田中内閣の福祉政策のルーツは、美濃部都政にあります。美濃部都政の福祉政策は、高度経済成長の税収を前提としていました。高度経済成長が、安定経済成長期に移行して、税収が減った結果、東京都は1977と1978年には、財政赤字自治体になりました。これは、美濃部都政の転換の原因になっています。

 

田中内閣の福祉政策も、高度経済成長の税収を前提としていました。しかし、田中内閣の時代は、既に、安定経済成長期に入っていました。政府は、何もしなければ、福祉政策により財政赤字になる状態でした。政府は、財政赤字を先送りするために、国債の発行と社会保険料を通じた世代間の所得移転によって、財政赤字問題を先送りしました。

 

つまり、2024年現在の福祉の財源問題のルーツは、美濃部都政にあります。

 

第2は、プラグマティズムの経済学を否定して、イデオロギーの経済学を優先したことです。

 

フランツ・ファノン氏(Frantz Fanon、1925-61)は、アルジェリアの医師でしたが、1957年に病院の職を辞し全面的にFLN(民族解放戦線)に身を投じ、FLNの機関誌「エル・ムジャヒド」に寄稿して、アルジェリア革命のスポークスマン的役割を果たしました。ファノン氏は、1961年には、「地に呪われたる者」をわずか10週間で執筆、出版しています。ファノン氏は、1961年12月6日に、白血病で亡くなっています。アルジェリアは、1962年7月5日にアルジェリア民主人民共和国として独立を達成しています。

 

「橋の哲学」は、「地に呪われたる者」を引用しているようです。

 

ファノン氏は経済学者ではありません。

 

「一人でも反対があったら橋を架けない」という「橋の哲学」は、民主主義の多数決原理の否定です。

 

橋の経済学は、費用対効果分析で行なわれます。橋をかけるという公共事業の事業効果は、投資に対するリターンで評価されます。

 

費用対効果分析を行なう理由は、財源には限りがあるので、期待される効果の大きな事業を優先しないと、公共サービスの質と量が不足するためです。

 

費用対効果分析を無視すれば、公共サービスの質と量が不足します。

 

公共サービスの質と量が不足するからといって、費用対効果分析を無視して、効率の改善をしないで、公共サービスに税金の投入を増やせば、財政赤字になり、増税が進みます。

 

3)橋の哲学

 

「橋の哲学」は、橋の経済学を否定しています。

 

ここで、哲学とは、形而上学であり、イデオロギーです。

 

美濃部氏は、マルクス経済学者でした。筆者は、イデオロギー形而上学)としてのマルクス経済学は存在しますが、プラグマティズム(科学)としてのマルクス経済学は存在しないと考えます。

 

ファノン氏の「一人でも反対があったら橋を架けない」という「橋の哲学」は、宗主国のフランスに対する独立のイデオロギーです。

 

「一人でも反対があったら橋を架けない」という「橋の哲学」は、民主主義の多数決原理の否定です。

 

多数決原理で選出された都知事が、民主主義の多数決原理を否定することは、自己矛盾です。

 

「橋の哲学」にはトリックがあります。「一人の反対者」を誰が選ぶかという問題です。為政者は、自分に都合のよい人を選ぶことができます。「一人の反対者」には、客観的な基準はありません。「一人の反対者」の正統性は、為政者によって選出されたことを根拠にしています、

 

つまり、「橋の哲学」とは、プラグマティズム(科学)としての経済学を否定して、法度制度(弱者の正統性は、為政者によって選出されたこと)を復活させたことになります。

 

美濃部氏は、法度制度のミームに支配された河合栄治郎の怒りを買い、母校の経済学部の講師になれなくなりました。

 

しかし、美濃部氏自身も、法度制度のミームに支配されていたことになります。

 

「為政者が、弱者(一人の反対者)に、自分に都合のよい人を選ぶことができる」という法度制度の政治は、田中内閣で完成されます。

 

日本列島改造は、弱者(都合のよい人)のいる場所に優先的に公共事業を配分するシステムです。

 

もちろん、そこでは、利権のキャッシュバックが生まれます。

 

「橋の哲学」を使って、公共事業を進めれば、費用対効果を無視して、着工しやすいところや、弱者(都合のよい人)のいる場所から、公共事業を進めることになります。

 

田中角栄氏は、新潟の小さな村にトンネルを建設して批判されています。しかし、「橋の哲学」が通用すれば、このような経済的に合理性のない公共支出が通ります。

 

経済的に合理性のない公共事業の費用対効果分析は不可能です。

 

仮に分析ができても、公開可能な結果は得られません。

 

つまり、政策の効果の検証は行なわれません。

 

現状では、政策の効果は、アンケートをして、事業があってよかったかという質問をするだけです。

 

公共事業には、事業を通じた所得移転の効果がありますので、質問は、補助金をもらって満足していますかという意味に他なりません。

 

美濃部都政が終っても、「橋の哲学」は生き続けています。

 

東京オリンピックの費用対効果分析はなされませんでした。

 

政策効果の検証がなされない理由は、東京オリンピックが、「橋の哲学」に基づいて開催されたことを示しています。

 

東京オリンピックの費用対効果分析は、怖くてできなかったと思われます。

 

高等学校の授業料の無償化も、「橋の哲学」に基づいています。履修主義で高等学校に出席することは手段であって目的ではありません。習得主義で、卒業できる場合には、社会的なリターンがあるので、授業料を無償化したり、貸与の奨学金をだすべきです。習得できない場合には、授業料の無償化の補助金の効果はほとんど期待できません。こうした点を無視して、履修主義の高等学校に、財政支出を拡大すれば、東京都は、近い将来に、美濃部都政の末期のように、財政赤字自治体になります。

 

田中角栄氏は、「橋の哲学」こそが政治であるというミームを政治家に植えつけました。

 

このミームは、政治資金規正法を破壊しています。

 

「橋の哲学」は、プラグマティズム(科学)としての経済学を否定しています。

 

しかし、「橋の哲学」は、イデオロギー形而上学)なので、必ず破綻します。

 

「橋の哲学」は、数学的には、ねずみ講と同じシステムです。

 

アメリカでは、プラグマティズム(科学)としての経済学を主張するリバタリアンが主流です。

 

「橋の哲学」のミームは、日本のマスコミを支配しています。

 

マスコミは、政治家に都合のよい弱者を選んで、報道しています。

 

マスコミを見ることで、視聴者は、「橋の哲学」のミームに支配されるようになります。

 

その結果、リバタリアンがいる国では、考えられないことですが、政策に反対する人は少なく、非効率な公共支出が野放しにされて、増税が進んでいます。

 

4)リバタリアンの世界

 

「橋の哲学」の反対がリバタリアンの世界です。

 

リバタリアンの世界は、費用対効果分析を使い、多数決原理を採用する民主主義の標準になっています。

 

マスコミには、リバタリアンの世界はでてきませんが、WEBで検索すれば、見つかります。

 

例を示します。

 

Windows95の開発にかかわったことで知られる中島聡氏は次のようにいっています。

中島:ソフトウエア業界に限らず、仕事ができる人ってどこの会社にいても5人に1人くらいじゃないですか? 要はトップ2割の人が会社を引っ張っているんですよ。それは日本もアメリカも同じです。

 

でも、シリコンバレーとか、アメリカの会社はそのトップ2割の人をものすごく大切にしますね。もちろん、給料も待遇もすごく良くする。周囲の人と差があって当然という考え方です。

 

日本では「出る杭は打たれがち」なので、優秀な2割の人は居心地が良くないかもしれません。それで、8割の人はぬるま湯につかって年功序列で給料さえもらえればいいと思っている。

 

でも、それは果たして幸せな人生なのかな? と僕は思ってしまいますね。それなら、自分が2割に入れる会社を探した方がいいと思います。

 

(中略)

 

新型コロナの影響で、アメリカIT企業の多くがリモートワーク前提の働き方にシフトしました。これはすごいことですよ。英語さえ話せれば、日本に住みながらビザの問題もなくシリコンバレーの会社で直に働ける時代が来たんですから!

 

もう、居住地で会社を選ばなくていいんです。もちろんその分、世界中の人がライバルになるわけですけど、日本のエンジニアは「日本にいながらシリコンバレー企業で働く」選択肢を、一度真剣に考えた方がいい。

<< 引用文献

Windows95の父・中島聡の仕事術「日本人はルールに縛られすぎ。もっとつくりたいものをつくればいい」【ECDWレポ】2021/05/13 エンジニアtype

https://type.jp/et/feature/16259/

>>

 

Microsoftで、コードを書いている河野氏は、次のようにいっています。

Webで動画を見ながらやろうが、同僚なんてネットでゲームしながらコード書いてますけど、アウトプットがちゃんとしていればぜんぜん構わないです。そこでの制限は何の意味もないと自分はそう思っています。

<<引用文献

Microsoftで働く日本人エンジニアが語る、“楽しく開発”するために必要なこと - Part1             

マイクロソフト本社で働くエンジニア Logmitech

https://logmi.jp/tech/articles/320413

>>

 

このような内容の報道をマスコミで見ることは稀です。

 

5)骨太の方針

 

「経済財政運営と改革の基本方針2024(案)」(骨太の方針)がでました。

 

筆者は、骨太の方針の原案を誰がつくっているのかという点には、関心がありませんでしたが、歳川 隆雄氏は、次のように説明してます。

この原案作成の実務責任者である内閣府政策統括官(経済財政運営担当)は概ね旧経済企画庁と旧通商産業省(現経済産業省)出身者がほぼ交代で任命される。世上に「官庁エコノミスト」という言葉があるが、旧経企庁出身者を指す。

 

現政策統括官から遡る。木村聡(1990年経産省入省)→村瀬佳史(同年経産)→林幸宏(88年経企)→多田明宏(86年経産)→新原浩朗(84年経産)→前川守(82年経企)→石井裕晶(80年経産)という継承になる。

 

印象論も交えて言えば、時の政権の意向が「骨太の方針」に反映するのは経産出身の政策統括官の時である。

<< 引用文献

日本経済はいつまで「コストカット」し続けるのか…岸田財政「骨太方針」の真意 2024/06/15 現代ビジネス 歳川 隆雄

https://gendai.media/articles/-/131860

>>

 

骨太の方針は、合理的期待形成理論に基づいています。

 

合理的期待形成理論は、1970年代に流行して、既にすたれているという人もいます。現在も経済学の主流であるといういう人もいます。

 

プラグマティズムは、哲学(形而上学)ではありません。

 

しかし、日本では、形而上学ではない哲学の専門家はいないので、プラグマティズムは、哲学になってしまっています。

 

同様に考えれば、プラグマティズムアメリカでつくられた、合理的期待形成理論は、イデオロギーではなく、単に手続きを示す用語と思われます。合理的期待形成理論は、モニタリングによってその効果を、修正を繰り返す手続きのはずです。筆者が、そのように推測する根拠は、そのように考えないと、合理的期待形成理論が、プラグマティズムフレームワークにおさまらないからです。

 

骨太の方針には、新しい資本主義も登場します。新しい資本主義は形而上学なので、プラグマティズムの合理的期待形成理論とは相いれません。

 

つまり、骨太の方針は、「橋の哲学」に従って構成され、合理的期待形成理論を検証不可能なイデオロギー形而上学)として引用することで成り立っていると思われます。

 

骨太の方針が、プラグマティズム(科学)としての経済学に基づいていれば、一つ前の、骨太の方針の効果を検証して、問題点を改善するプロセスが生じます。これは、プラグマティズム(科学)の基本プロセスです。

 

しかし、現状は、一つ前の、骨太の方針は無視して、ゼロクリアーで、新しい骨太の方針が設定されます。これは、骨太の方針を、官僚が、「橋の哲学」に従って作成しているためと考えられます。

 

骨太の方針が、プラグマティズム(科学)としての経済学に基づいて、一つ前の、骨太の方針の効果を検証して、問題点を改善するプロセスを含む場合、骨太の方針の作成には、膨大なバックデータが必要になり、専属のチームを必要とします。

 

現状では、専属のチームがありません。骨太の方針は、「橋の哲学」に基づく予算配分を優先する弱者を指示するイデオロギーの文書になっていることがわかります。