(日本には、中世が蔓延していて、科学がありません)
1)中世の終わり
近代の学問は、マキャヴェッリに始まります。
まずは、マキャヴェッリを復習します。
脇田晴子氏と水林章氏は、日本人は、中世の文化的思考から抜け出せていないといいます。
この指摘が正しければ、日本の西洋の学問の受容は、中世の文化的思考のメガネを通じて、解釈されている可能性が高くなります。
つまり、大きなバイアスのかかった解釈が流布していることになります。
それでも、実験を伴う検証の可能な、自然科学の場合には、実験を通じて、バイアスが補正されますが、実験のできない人文科学、社会科学、生態学などの場合には、バイアスの補正手段がないので、バイアスを疑う必要があります。
以下では、英語版のウィキペディアが、バイアスのない学問の理解、日本語版のウィキペディアが、バイアスのある日本流の学問の理解であると仮定しています。
英語版のウィキペディアでは、マキャヴェッリは次のように書かれています。
以下の内容は、日本語版にはありません。
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経験主義と現実主義対理想主義
マキャヴェッリは、経験と歴史的事実から一般化を構築し、想像力で理論化することの無益さを強調する、現代の実証科学者の原型とみなされることもあります。
彼は政治を神学(theology)や道徳哲学(moral philosophy)から解放しました。彼は支配者が実際に何をしたかを簡潔に説明しようと努め、それによって(先入観を伴う価値判断である;筆者注)善悪の問題を無視して、観察者が実際に起こったことだけを発見しようとする後に科学的精神と呼ばれるものを予期( anticipated )しました。
— ジョシュア・カプラン、2005
現代唯物論哲学は、マキャヴェッリの後の世代から始まり、16 世紀、17 世紀、18 世紀に発展しました。この哲学は共和主義的な傾向があったが、カトリックの作家と同様に、戦争や派閥間の暴力を強調するよりも、マキャヴェッリのリアリズムと革新を利用して自分の運命をコントロールしようとする奨励の方が受け入れられました。革新的な経済学や政治だけでなく、現代科学もその成果であり、一部の評論家は、18世紀の啓蒙主義にはマキャヴェッリズムの「人道的(humanitarian)」緩和が含まれていたと述べています。
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英語版のウィキペディアでは、「君主論」は次のように書かれています。
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「君主論」は、抽象的な理想よりも実践的な効果が重要視される現代哲学、特に現代政治哲学の最初の著作の一つであると主張されることもあります。その世界観は、当時支配的であったカトリックおよびスコラの教義、特に政治と倫理に関する教義と真っ向から対立しました。
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これから、マキャヴェッリを読むためには、自然科学のリテラシーが必要なことがわかります。
2)ダイハツの不正問題
ダイハツの不正問題に対する第三者委員会による調査報告書について、加谷珪一氏は、次のように指摘しています。
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不祥事の原因としてさまざまな理由が指摘されており、その中の1つがダイハツの社風とされる。第三者委員会による調査報告書では「自分や自工程さえよければよく、他人がどうであっても構わない」という自己中心的な風潮があり、これが認証試験のブラックボックス化を招いたと指摘している。こうした情緒的な表現はメディアも取り上げやすく、関連した報道が多数、見受けられる。
(中略)
全ては経営の問題であり、一連の不正行為は、長年にわたってガバナンスが機能していなかった現実を露呈したにすぎない。報告書では最終責任は経営陣にあると指摘しているものの「経営幹部のリスク感度を高めるための取り組み」など甘い言葉が並ぶ。
上場企業の経営者というのは、場合によっては刑事告発や巨額の賠償責任を負う立場であり、そうであればこそ高い社会的地位が与えられる。
リスク感度が低い人材が経営者になることなど、そもそもあってはならない。本当に幹部のリスク感度が低かったのであれば、経営陣を全交代させるくらいの改革を行わなければ、信頼回復など不可能だろう。
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<< 引用文献
ダイハツ不正問題、「社風のせい」は大間違い...「現代社会では当たり前のこと」ができていなかった 2024/01/17 Newsweek 加谷珪一
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2024/01/post-263.php
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第三者委員会は、<「自分や自工程さえよければよく、他人がどうであっても構わない」という自己中心的な風潮>を取り上げています。
これは、マキャヴェッリの<経営者(支配者)が実際に何をしたかを簡潔に説明しようと努め、それによって後に善悪の問題が無視され、観察者が実際に起こったことだけを発見しようとする科学的精神>に反しています。
第三者委員会は、問題を「風潮」という道徳哲学にすり替えています。
ダイハツの不正は、検査担当職員が引き起こしました。
ここで、因果モデルをアブダクションで考えれば、検査担当職員が、不正をしない人であれば、不正行為は起こりませんでした。
経営者は、検査担当職員の人事権をもっています。
つまり、因果モデルで考えれば、経営者が、適切な人事管理をしていれば、不正は起こらなかったことになります。
加谷珪一氏は、<「現代社会では当たり前のこと」ができていなかった >と言っていますが、脇田晴子氏と水林章氏の説明では、「日本は、中世社会なので、現代社会のルールは通用にしていない」という理解になります。
3)パーティ券問題
東京地検は、安倍派幹部7人を不起訴にしました。起訴されるのは、会計責任者だけです。
理由は「共謀が認められない」という説明です。
しかし、共謀は、「実際に何をしたか」ではありません。観測不可能です。
共謀は、マキャヴェッリが否定した道徳哲学の範疇です。
会計責任者の人事権は、派閥の幹部にあります。
派閥の幹部が、会計責任者の人事を適切に行なっていれば、違法状態にはなりませんでした。
これは、「風潮」や「共謀」といった道徳的価値を排除する科学的な推論です。
冤罪をさける推論でもあります。
したがって、派閥の幹部に責任があることは、ダイハツの幹部に責任があることと同じ構造です。
これから、検察も、「中世社会なので、現代社会のルールは通用していない」ことがわかります。
<< 引用文献
安倍派幹部7人不起訴へ 共謀認定できず、大半議員も立件見送り方針 東京地検 2024/01/17 産経新聞
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4)リスクとリターン
加谷珪一氏は、ポストのリスクとリターンのバランスについて述べています。
これは、ジョブ型雇用の人事の基本です。
リスクがなければ、能力のない人が、高いポストにつきます。
国会議員には、不逮捕特権がありますが、収入に対して。納税の義務がなければ、ノーリスクになってしまい、人事制御が出来なくなります。
これが、現在の国会議員の現状と思われます。