「テクノリバタリアン」を読む(5)トロッコ問題バージョン3

(トロッコの問題の派生形を考えます)

 

ロッコ問題のバージョン2(p.148)は以下です。

 

猛スピードで線路を走っているトロッコが制御不能になり、このままでは作業中の5人が轢き殺されてしまう。

 

このときたまたま、あなたは線路の上の歩道橋におり、横に太った男がいた。その男を線路に突き落せばトロッコは止まり、5人の作業員は助かる。このときあなたは、太った男を犠牲にして5人を救うべきか。

 

ロッコ問題のバージョン3を定義します。

 

猛スピードで線路を走っているトロッコが制御不能になり、このままでは作業中の5人が轢き殺されてしまう。

 

線路の直線方向に5人が、切り替え方向には誰もいません。何もしなければ、5人が死亡し、ポイントの切り替えをすれば、誰も死にません。

 

目の前に、このポイントの切り替えスイッチを操作するオペレーターがいます。

 

あなたは、このオペレーターに、ポイントの切り替えをするように説得を試みました。

 

しかし、オペレーターは頭が悪くて(数学ができないので)、ポイントの切り替えを拒んでいます。

 

このままでは、5人が死んでしまいます。

 

あなたは、この状況を放置すべきでしょうか。

 

それとも、オペレーター1人をなぐって殺して、ポイントを切り替えて5人の命を助けるべきでしょうか。

 

人を殺せば、殺人罪になります。

 

第1に、数学問題としては、死亡する人の数の問題です。

 

この数量化されたモデルでは、バージョンの違いはモデルに反映されません。

 

ただし、死亡する人の数以外を取り扱う数学があります。

 

これは、統計的因果モデルに重要になる介入の概念です。

 

観測されたデータの値が同じであっても、そのデータの属性値に、介入のありと、介入のなしのフラグを付けて、データを区別すべきであるというアイデアです。

 

この場合には、1人の死亡データは介入ありの属性が、5人の死亡データには介入なしの属性がつきます。

 

殺人罪は、介入ありのデータに対して成立します。

 

死亡する人数のデータに、介入属性がついた場合、功利主義では、この属性の処理が問題になります。

 

2024年時点では、この属性に関する問題は、功利主義では、まだ、未解決です。

 

頭が悪いオペレーターが為政者で、死亡する5人が貧困者であれば、これは、革命や、アナキズムを認めるかという問題になります。ポイントの切り替えは、統治システムの変更に相当します。

 

テクノリバタリアンは、トロッコ問題は、アナキズム問題に繋がっていることを知っています。

 

過去の歴史を振り返れば、アナキズムは、大きな問題を生み出しました。

 

アナキズムを受け入れる社会はないと思われます。

 

テクノリバタリアンは、アナキズムを回避した功利主義を目指します。

 

これが、テクノリバタリアンが、国家を越えたスケールで問題解決を試みる理由と思われます。

 

なお、バージョン3で「オペレーター1人をなぐって」ても、オペレータは死なないこともあります。その場合には、犠牲者は、ゼロになります。

 

バージョン2で「横に太った男を線路に突き落し」ても、トロッコは止まらず、合計6人が犠牲になる可能性があります。

 

バージョン1では、あなたは、ポイントの切り替えを操作しますが、ポイントの切り替え器が故障して、ポイントが切り替わらない故障確率もあります。

 

確率モデルを使えば、文章では曖昧なこの部分を正確に表現できます。

 

また、トロッコ問題では、あなたが、「猛スピードで線路を走っているトロッコが制御不能」という情報をどのように入手して、その情報の信頼性はどの程度かという観測の問題が無視されています。

 

アパートの隣の部屋で、殺人事件があっても、あなたは殺人罪に問われることはありません。

 

しかし、ヒッチコックの裏窓のように、殺人を見てしまった場合には、あなたと殺人事件の間には、関係が生まれます。

 

あなたが、警察か救急に通報すれば、被害者が死亡しない確率が高くなるので、あなたには道義的な責任が生じます。

 

ロッコ問題で問われているのは、道義的な責任の範囲であると考えれば、全く違った数学モデルができます。

 

いずれにしても、テクノリバタリアンは、曖昧な文章で考えることに、うんざりしていると思います。