ミームの研究(1)教育とミーム

(教育におけるミームを分析します)

 

1)思想教育

 

中国は、毛沢東時代に、毛沢東語録を暗記することを学習と呼んでいました。

 

戦前の日本では、天皇制が教育の大きな柱でした。

 

君が代天皇制を指します)の国家に対する反論は、思想教育の再現ではないかというものです。

 

中国は、南京虐殺などの例をあげて、太平洋戦争中の日本軍の行動を批判する思想教育をしています。

 

太平洋戦争中の日本軍の行動が、どれだけ、非人道的であったかについては議論がありますが、大躍進、文化大化革命の飢餓など、中国政府や共産党軍の行動も、非人道的でした。

 

都合の良いデータを取り上げて、都合の悪いデータを除去する方法は、統計学では、サンプリングバイアスと呼ばれます。

 

統計学リテラシーのない人を洗脳するには、サンプリングバイアスは常套手段になっています。



中国は、共産党政権で、現在も思想教育を続けています。

 

現在の日本でも、思想教育は続けられています。

 

以前にも紹介した森永卓郎氏の体験を再度引用します。

 

森永卓郎氏は、「学校一年生のときはアメリカの公立小学校に通っていました。四年生時にはオーストリアのウィーン、五年生のときはスイスのジュネーヴで過ごしました」といいます。

 

そして、受けた教育について、次のように述べています。

欧米の学校って、黙って聞いているだけの人間には存在価値を認めてくれないんです。先生が言ったことに反論しないとダメ。だから授業が常にディベートみたいになるんですよ。

 

一方、日本人は言われたことに口答えすると叱られる。なんでもはいはい聞く子どもがいい子とされやすい。

<< 引用文献

自民党政権を倒すための番組を作るぞ!」森永卓郎さんが聞いた「テレビ朝日」プロデューサーのまさかの「衝撃発言」2024/03/18 現代ビジネス 鈴木 宣弘 森永 卓郎

https://gendai.media/articles/-/126543

>>

 

ここでは、日本でも、全然と同じ法度制度の教育が継続されていることを示しています。

 

読者は、「なんでもはいはい聞く子どもがいい子」という教育は、戦前の天皇制の思想教育とはことなると考えるかも知れません。

 

この点を考えてみます。



2)科学とミーム

 

思想教育が、用いられる理由は、人間は、洗脳され、洗脳によって、判断が変化するからです。

 

その極端な場合は、カルトになります。天国にいけるので、自爆テロをする人もいます。

 

思想教育は、カルトほど極端ではありませんが、人間の判断を変えて、行動を変化させます。

思想教育は、ミームの特殊な例になります。

 

表現の分かり易さは、「カルト>思想教育>ミーム」の順になります。

 

ミームは、表現が分かり易くないので、直接識別することが難しくなります。

 

そこで、アブダクションをつかって、行動の結果から、行動の原因となるミームを推定してみます。

 

パースは、ブリーフの固定化法で、固執の方法、牽引の方法、形而上学、科学の方法があると主張しました。この4つの推論の方法は異なります。その原因を対応するミームに求めることができます。

 

マイクロソフトのグレイ氏は、第4のパラダイムで、経験科学、理論科学、計算科学、データサイエンスに科学のパラダイムが分かれると主張しました。

 

グレイ氏のパラダイムは、科学の方法論を指しています。経験科学は、科学哲学などでは、科学として扱われていませんので、科学と呼べるかは、不明です。とはいえ、実際には、経験科学しか解決手段のない分野もありますので、グレイ氏は、現在用いられている推論の方法の1つとして、経験科学をリストアップしたと筆者は考えます。

 

推論をするためには、対応するミームが必要です。

 

計算機科学の推論をするためには、数学、数値計算の理論、プログラミングの計算科学のミームが必要です。温暖化予測は、計算科学の成果です。温暖化モデルを自分で動かしてみれば、推論の理解は深まりますが、通常は、計算機資源を大量消費しますので、困難です。

 

一方、パソコンがあれば、簡単な微分方程式の数近解を自分で求めることができます。

 

この2つのモデルの規模は大きく異なりますが、計算科学の推論の方法は同一です。

 

パソコンの普及で、計算科学のミームの習得は容易になりました。

 

この事情は、データサイエンスでも、共通しています。

 

「生成AIが何ができるか」という問題は、データサイエンスの方法論で何ができるかという問題の一部です。

 

データサイエンスのミームなしに、「生成AIが何ができるか」という問題を考えることは不可能です。

 

SF作家としても著名なアシモフ氏は、科学啓蒙書も出版しました。

 

アシモフ氏の解説は、インプットとアウトプットを並べて、何ができるかを例示する方法です。そこには、パラダイム固有の方法論がありません。

 

アシモフ氏が啓蒙書を書いた時代には、計算科学も、データサイエンスも、パソコンもありませんでしたので、この解説方法にも合理性がありました。

 

とはいえ、グレイ氏が整理したように科学の方法を他の手法と区別しているのは、推論の方法論の違いですから、推論の方法論を習得しなければ、科学が理解できたとは言えません。

 

計算科学とデータサイエンスの推論は、人間の脳だけでは完結しません。この2つのパラダイムでは、推論の一部は、コンピュータとの共同作業になります。ですから、パソコンを使って、共同作業を実際にしてみないと計算科学とデータサイエンスのミームの習得は困難です。

 

毛沢東は、毛沢東語録を暗記することで共産主義ミームを学習することを期待しました。

 

共産主義ミームを学習すると共産主義の推論方法がマスターできます。

 

同様に、科学の方法のミームを習得すれば、科学的な推論の方法がマスターできます。

 

3)パーンマッチング推論

 

該当する科学のミームのない場合には、科学的な理解をすることは不可能です。

 

しかし、世の中には、給与をもらっていると、わからないと言えない場合もあります。

 

大学の生物学の教員で、移動で、学生指導部に務めている人の話を聞いたことがあります。その人は、学生指導を、過去の生物学の研究パターンに当てはめて、類似のパターンを探していました。

 

あるいは、作物の栽培が専門の人で、農林水産省の行政の幹部になった人の話を聞いたことがあります。この人も、自分の過去の経験をつかって、現状の問題に似たパターンを検索して、何が問題かを理解しようとしていました。

 

これらは、前例主義です。

 

現状の問題を因果モデルに転写できない場合に、行われる便法であった、科学的にまちがった推論です。

 

前例主義のパターンマッチング推論で、問題が解決できるのであれば、科学は不要で、科学の発達はなかったはずです。

 

OJTのジョブ型雇用では、前例主義や成功例のコピーが氾濫しています。

 

これは、OJTでは、科学のミームの習得ができないことを示しています。

 

筆者は、大学で、経営に必要な経済学のミームのない生物学や作物学の専門家が、組織経営をする幹部になるべきではないといっている訳ではありません。

 

アメリカの大学では、副専攻制をとっていますので、生物学専攻の卒業生でも、経済学のミームを習得した人がいます。

 

あるいは、大学の社会人コースなどを使えば、組織経営に必要な最低限の経済学の知識を習得するには、3か月あれば、十分であると考えます。

 

問題は、科学のミームを習得しないで、パーンマッチング推論を行なうことです。

 

「一芸に秀でる者は、多芸に通ず」という言葉は、一つの道を究めた人はほかの多くの事柄も身につけることがたやすい、という意味です。

 

これは、パーンマッチング推論を推奨している訳ではありません。

 

4)科学のミームの構成

 

科学のミームについて考えます。

 

科学のミームとは、新しい科学のモデルや理論を構築するための推論を習得することです。

 

マイクロソフトのグレイ氏は、第4のパラダイムで、経験科学、理論科学、計算科学、データサイエンスに科学のパラダイムが分かれると主張しました。

 

このパラダイムは、科学的推論と検証方法を扱っています。

 

科学の理論やモデルは、理論やモデルをつくる部分と理論やモデルを使う部分から構成されます。

 

物理学の法則は、盤石で、理論を作り直すケースはまれです。

 

一方、モデルが、前提条件に依存する場合には、モデルには賞味期限があります。

 

マックス・ヴェーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、資本主義には、プロテスタンティズムミームが影響してきたと主張しました。

 

このモデルは、プロテスタントを信仰する人がいないと成立しません。プロテスタントミームが後退してしまい、別のミームが拡大すれば、異なったモデルが必要になります。

 

多くの分野では、物理法則のように、半永久的に使える法則は期待できず、有効期限付きのモデルを作りなおしていく必要があります。つまり、理論やモデルをつくる部分が重要です。

 

一方、理論やモデルを使う部分は、人間の手を煩わせる必要がなくなりつつあります。ボットに公式をいれておけば、条件を見て、自動的にモデルを使うこともできます。

 

つまり、科学のミームでは、理論やモデルを作る部分が重要であって、理論やモデルを使う部分の重要性は低いのです。

 

ここで、教育における科学のミームが問題になります。

 

ゆとり教育が検討された時期に、今後の日本は、欧米のコピー商品を安価で、高品質に販売するというビジネスは時間の問題で、できなくなると予想されていました。日本が、安価で、高品質なコピー商品によって、欧米に追いついたように、途上国に追いつかれるだろうと予測していました。

 

この予測は、中国の製造業が日本に追いつき追い越していくことで実現しています。

 

さて、ゆとり教育の時代の議論は、途上国に追いつかれた場合の対策としては、独創性のある真似のできない製品を開発することであると考えられました。

 

そして、従来の中心の教育では、独創性が育たない、暗記する時間を減らして、考える時間を作るべきであるという主張になります。

 

その結果、ゆとり教育では、暗記内容を減らすことに、重点が置かれました。

 

その時の議論では、独創性とは何か、独創性を育てるには、どうすべきかという視点がありませんでした。

 

つまり、ゆとり教育のカリキュラム変更には、独創性を育てる(結果)に対応した原因を作るという因果モデルがありませんでした。

 

結局、ゆとり教育は、学習目標レベルを低下させただけで、独創性を育てることが出来ませんでした。

 

その原因の1つは、中教審の委員が、因果モデルを理解できなかったことにあります。

 

さて、ここまで書けば、読者は、筆者の主張を予測できていると思います。

 

日本の科学教育のカリキュラムは、科学の法則やモデルをつかうことに重点がおかれ、科学の法則やモデルを作る教育が欠如していたのです。

 

2023年の日本のデジタル赤字は、5兆円です。デジタル赤字は、ソフトウェア(モデル)の使用料に対して支払われます。

 

日本では、科学の法則やモデルを作る人材を教育してきませんでしたので、これは、必然的な結果です。

 

グレイ氏のパラダイムは、科学の理論やモデルをつくる方法論を指しています。

 

教育の中心になる科学のミームは、理論やモデルをつくる方法論の習得にあります。



グレイ氏は、科学のミームを理解しています。そして、ミームの世代交代として、4つのパラダイムを提案しています。

 

この科学のミームの理解がないと、第4のパラダイムは、スマホの4Gと5Gの違いの議論のように見えてしまいます。

 

新しいデータサイエンスという5Gのような技術をコピーして使えばよいという理解です。これは、科学は使えばよいという理解です。この方法では、新しい理論やモデルを作ることはできません。



森永卓郎氏は、「欧米の学校って、先生が言ったことに反論しないとダメ」といいました。

これは、因果モデルを作る練習です。

 

文部科学省は、欧米の前例主義で、探究の方法を導入しています。

 

そこでは、探究すればよいという理解で、因果モデルはありません。

 

欧米で、探究の方法を取り入れている人でも、科学のミームのない人もいます。

 

こうした人は、ゆとり教育の独創性と同じ間違いを犯しています。

 

探究は問題解決のために行なうべきです。目的は、検証可能な因果モデルを作ることになるはずです。なぜなら、探究の方法は、科学のミームの一部であるべきだからです。

 

イデアには、多様性が重要だと主張する人も、科学のミームのない人で、科学的な推論のできない人です。

 

検証可能な因果モデルをデザイン思考で作成する必要があります。

 

どのモデルが正しいかは、検証しなければ、わかりません。

 

なので、出来るだけ多様なモデルを準備する必要があります。

 

森永卓郎氏は、「欧米の学校って、先生が言ったことに反論しないとダメ」といいました。

 

これは、欧米の学校では、多様なモデルを作るトレーニングをしていることを意味します。

 

デザイン思考のトレーニングをしています。

 

多様性は、多様なモデルを準備するための条件に過ぎません。

 

一人の人が、どれだけ多様なモデルをつくれるかは、トレーニングによります。

 

日本のように、学校で、「なんでもはいはい聞く」トレーニングをうければ、多様性がなくなります。

 

そもそも、日本の学校では、科学の理論やモデルをつくるトレーニングをしていません。

 

デザイン思考で、多様なモデルを作るトレーニングをしていません。

 

これらの条件を無視して、見かけの多様性にこだわる人は、因果モデルの推論ができてないことになります。

 

パースは、ブリーフの固定化法で、固執の方法、牽引の方法、形而上学、科学の方法があると主張しました。この4つの推論の方法の中から、科学の方法を使うことを推奨しました。

は異なります。

 

パースの説明の表面をなぞると、誰もが、4つの方法を実行でき、その中からベストな方法を選択できるように見えます。

しかし、それは、錯覚です。4つの方法を使うためには、4つの方法のミームが習得できてないと無理です。

 

特に、今世紀に入って、科学の方法を使うためには、データサイエンスのミームが習得できていないと、スタートにすらつけなくなっています。

 

一方、日本で、現在行われている教育は、「なんでもはいはい聞く」トレーニングをして、法度制度のミームを習得して、権威の方法を確実にしています。

 

この状態を放置して、多様性を論ずるのは意味がないと思います。