悪法も又法なり

(法律をどこまで守るのかというボーダーラインを考えます)

 

1)パーティ券問題の構造

 

パーティ券問題の議論は、法律を守ったか否かに集中しています。

 

法律に問題があり、改正すべきであるという話はでてきません。

 

ともかく、法律を守れば、それ以外は、関係がないというスタンスです。

 

法治国家が正常に機能するためには、次の2条件が必要です。

 

(S1)国民が法律を順守すること

 

(S2)法律が、人権を守り、かつ合理的できていること

 

「悪法も又法なり」は、(S1)を述べていますが、(S2)を無視しています。

 

つまり、パーティ券問題と同じ構造があります。

 

2)ウィキペディア

 

長くなりますが、ウィキペディア日本語版の「悪法も又法なり」を引用します。

 

悪法も又法なり(あくほうもまたほうなり)は、古代ギリシャからの言葉。ソクラテスの残した言葉と伝えられる。

 

概要

 

世に存在する法律は、それが例え悪い法律であっても法律は法律であるため、それが廃止されない限りは守らなければならないということを意味する[1]。

歴史

ギリシャ

 

ソクラテスは、道行く人たちと熱く議論をしていた。自らは物を知らないというスタイルで知識人たちを論破していった。このような斬新なスタイルから若者たちから広く支持されることになった。ソクラテスにやり込められて恥をかかされた者はたまったものではないため、ソクラテスは若者たちを堕落させていると言いがかりをつけられて告訴される。裁判にかけられてもソクラテスは自らの罪を認めないで、陪審員からの印象が悪くなるような発言をしていたために、死刑という最悪の判決をされることとなった。もともと陪審員には国外追放でよいという考えがあった。ソクラテスが幽閉されてから支持者たちはソクラテスを国外に脱出させるための計画を立てたもののソクラテスはこれを拒否する。逃げられたにもかかわらず死刑になるということを選んだ。そして悪法もまた法なりという言葉を残して死刑になったと伝えられる[2]。

 

ドイツ

 

ナチス・ドイツにおいて行われていた人道に反する行為の大半は合法的なものであった。この行為よりも前に定められていた法律や命令が人道に反するというものであったためである。これは悪法もまた法であるために従わなければならないという考えから来ている。ジュネーブ宣言では歴史のこのことを踏まえて、医師に対して人道に反することを求めるような法律には従わないということが宣誓された[3]。

 

日本

 

大日本帝国憲法の時代の日本の法律は多数決の原理で定められていた。これは国民投票や国会の議決で多数決で可決された法律はどんな法律でも定めるというものであった。この考えで推し進めれば、多数決で定められた法律はどんな法律でも全てが正しいということになってしまい、実質的に見て明らかにおかしいような法律でも正しいということになり、悪法もまた法なりという状態であった。後の世から歴史を振り返ってみれば、このようにして定められた法律が正しいということになるのは明らかに不当である。歴史においてのこの事柄を踏まえて、日本国憲法では人権を尊重して、人道に反するような憲法改正や法律は無効とすることとなっている[4]。(注1) 

 

脚注

 

1. デジタル大辞泉. “悪法も又法なり(アクホウモマタホウナリ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月26日閲覧。

 2. “古代ギリシャの偉大な哲学者「ソクラテス」が死刑になった残念すぎるワケとは?”. ダイヤモンド・オンライン (2022年12月11日). 2023年10月26日閲覧。

 3. “Vol.496 日本医師会は「医の倫理」を法律家(弁護士)に任せてはいけない(その1/2) | MRIC by 医療ガバナンス学会”. medg.jp. 2023年10月26日閲覧。

4. “【法務情報】憲法ってなんのためにあるの? - 法務情報 │ 新潟の弁護士による法律相談|弁護士法人一新総合法律事務所”. 2023年10月26日閲覧。

 

「悪法も又法なりは、ソクラテスの残した言葉と伝えられる」と書かれています。

 

しかし、レファレンス・共同データベースの回答は以下です。

 

    「悪法も法なり」は誰の言葉か。

回答

    資料①『故事・俗信ことわざ大辞典』に「悪法も亦法なり」の項目(p14)があり、「俗にソクラテスの言葉として知られている」と説明がある。他の辞典類には言葉の説明はあるが、誰の言葉かの説明はない。

<< 引用文献

 「悪法も法なり」は誰の言葉か。 レファレンス・共同データベース

https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000203671

>>

 

ウィキペディア日本語版の「そして悪法もまた法なりという言葉を残して死刑になったと伝えられる[2]」の出典である真山知幸氏の解説は以下です。

 

名言「悪法もまた法なり」の真実

 

 なぜ、ソクラテスは死刑を受け入れたのでしょうか。その答えとして、しばしば使われる言葉があります。

 

「悪法もまた法なり」

 

 たとえ納得がいかない不十分な法律でも、法律は法律で守るべきである――。ソクラテスはそんな言葉とともに、死を選んだといわれています。

 

 しかし、実のところ、有名なこの言葉は、プラトンの著作には出てきません。ソクラテスの裁判資料を精査した加来彰俊氏も『ソクラテスはなぜ死んだのか』(岩波書店)で「<悪法もまた法である>と彼が言った証拠はどこにもない」と断じています。

 

 確かにソクラテスの生き方を見ても、この言葉は違和感をぬぐえません。ソクラテスアテナイの国法に従って人生を送ってきたものの、法の欠点もきちんと指摘してきました。

 

「悪法も法である」とソクラテスが言ったという逸話は、為政者の都合のよい論理として、流布されていたものと考えるのが自然でしょう。

 

 この言葉の本当の原典は定かではありませんが、ラテン語に"Dura lex, sed lex"(英語では"The law is harsh, but it is the law." )ということわざがあります。この翻訳が「悪法も法である」として広まったのではないか、ともいわれています(正確な訳は「法は過酷であるが、それも法である」)。

 

 もしかしたら、ことわざの実例として、ソクラテス裁判が多く用いられて、彼自身の言葉として流布されたのかもしれません。

<< 引用文献

古代ギリシャの偉大な哲学者「ソクラテス」が死刑になった残念すぎるワケとは? 2022/12/11 DIAMOND 真山知幸

https://diamond.jp/articles/-/314004

>>

 

真山知幸氏は、次のようにいっています。

「悪法も法である」とソクラテスが言ったという逸話は、為政者の都合のよい論理として、流布されていたものと考えるのが自然でしょう。

これに対するウィキペディア日本語版の引用は以下でした。

 

「そして悪法もまた法なりという言葉を残して死刑になったと伝えられる」

 

つまり、ウィキペディア日本語版は、為政者の都合のよい論理の流布になっていることがわかります。

 

注1:

日本国憲法では人権を尊重して、人道に反するような憲法改正や法律は無効とすることとなっている」という部分には問題があります。これは、意図(建前)を示しています。しかし、意図がどこまで実現されているか(本音)と、意図は区別すべきです。改正がまだ済んでいないので、人道に反する明治憲法を引き継いだ法律があります。

 

3)Dura lex、sed lex

 

ウィキペディア日本語版の「悪法も法である」に対応する英語版はありません。

 

ウィキペディア日本語版で事例が紹介されているギリシアとドイツの言語版もありません。

 

リンクがあるウィキペディアスペイン語版は、真山知幸氏が、翻訳が「悪法も法である」として広まったのではないかともいわれているという「Dura lex、sed lex 」になっています。

 

ウィキペディア日本語版は、「悪法も法である」を、「世に存在する法律は、それが例え悪い法律であっても法律は法律であるため、それが廃止されない限りは守らなければならないということを意味する」と書いていますが、「Dura lex、sed lex」の意味は違います。

 

「Dura lex、sed lex」には、「悪い法律」も、「(法律を)守らなければならない」も出てきません。

 

ウィキペディアスペイン語の一部を引用します。

 

Dura lex、sed lex は、ローマ法に由来する法の一般原則であり、「法律は厳しいが、それは法律である」と翻訳できます。これは、法律の適用は必須であり、すべての人々に対して適用されなければならないという事実をほのめかしています。これは法の支配の基本原則です。より直訳すると、法は過酷であるが、それも法であることになります。

 

歴史

 

このブロカードの歴史的起源は、古代ローマで成文法が導入された結果として誕生しました。その目的は、司法による代替手段がなかった口頭法から成文法への移行の効果的な意味を確立することでした。成文法により、行為者の裁量で法を適用することはもはや不可能でした。成文法の存在は、すべての人にとって避けられない平等な法を通じて、あらゆる恣意的な可能性を払拭しました。

 

しかし、ローマで「十二表法」が起草された後、貴族たちは同じ法律によって与えられた特権を利用して権力を乱用し続けました。結局のところ、十二表は支配階級である貴族によって書かれ、公布されたのです。したがって、律法の行動は、教皇たちと最初のローマの判事らの気まぐれな裁量によって行われ、彼らは彼らの前で行われた行動が適切かどうかを判断しました。

 

このスペイン語版の内容は驚くべきものです。

 

Dura lex、sed lex は、すべての人にとって避けられない平等な法を通じて、あらゆる恣意的な可能性を払拭するための成文法の成立に対応しています。成文法は、行為者の裁量で法を適用することはもはや不可能にするためにつくられています。

 

成文法(Dura lex、sed lex)は、行為者(裁判官)の裁量で法を適用することを不可能にするためにつくられました。

 

つまり、2024年の現在に置き換えれば、行為者(裁判官)の裁量で法を適用することを不可能にするためにAIによる裁判を可能にしたことに対応します。(注1)

 

Dura lex、sed lexは、AIによる裁判の長所と短所を述べた言葉になります。

 

Dura lex、sed lexは、十二表(法律)が支配階級である貴族によって書かれ、公布されたため、実効があがりませんでした。

 

これは、政治資金規正法と同じ構造です。

 

Dura lex, sed lexは、ウィキペディア英語版では、Brocard (law)の中に引用されています。

 

Brocard (law)ブロカード(法律)

 

Dura lex, sed lex

"The law [is] harsh, but [it is] the law." It follows from the principle of the rule of law that even draconian laws must be followed and enforced; if one disagrees with the result, one must seek to change the law.

 

デュラレックス、セドレックス

「法律は厳しいが、それは法律である」 法の支配の原則から、たとえ厳格な法律であっても遵守され、執行されなければならないということになります。 その結果に同意できない場合は、法律の変更を求めなければなりません。

 

「その結果に同意できない場合は、法律の変更を求めなければなりません」は、(S2)条件ですので、極めて合理的な説明になっています。

 

Dura lex, sed lexは、為政者が、法律を遵守、執行することに関して書かれています。

 

国民が、法律に従えといっている訳ではありません。国民が、法律に従えない(その結果に同意できない場合)「悪い法律」は、従う対象ではなく、改訂する対象です。

 

パーティ券問題は、憲法違反の法律の改正問題ですが、法律の順守という為政者の都合のよい論理にすり替えられています。

 

そもそも、遵守のチェックが困難な法律は、欠陥のある法律です。

 

人権を維持するためには、国民が、法律を改正する開かれた透明な手続きが必要ですが、法度制度のミームが、それを阻止しています。

 

注1:

 

この問題は、別途論じますが、数学的には、正義空間における判別関数の問題になります。

 

判別関数には、データサイエンスの手法が流用できます。

 

一方、正義空間の定義は、法学の問題ですが、この問題はほとんど検討されていません。