推論の問題

現在の教育では、自分で考えることが大切であると言われます。

 

この考えることは、一般には、「推論」になります。

 

そこで、正しい推論の仕方を教育しているかが問題になります。

 

推論には、検証は含まれません。

 

つまり、正しい推論とは、推論の内容が正しい推論にはなりません。

 

しかし、推論が正しいためには、推論が検証可能である必要があります。

 

つまり、大前提としての正しい推論とは、検証可能な命題で構成されていることが必要です。

 

検証に使うデータは、観測値(エビデンス)です。

 

日本の教育では、正しい推論が、教育されているかを考えます。



推論(日本語版のウィキペディア)の説明は以下です。

 

 

推論(すいろん、英語: inference)とは、既知の事柄を元にして未知の事柄について予想し、論じる事である。 

 

推論の正しさを妥当性という。あらゆる事柄は言語において表現されるのであるから、妥当な推論には、その推論が指し示す事柄が妥当であること(意味論)、その推論が行われた状況において妥当であること(語用論)、その推論の構文が妥当であること(構文論)、が考えられる。 

 

命題には、その内容と独立に常に真であるような命題が存在し、これをトートロジー(恒真式)という。このトートロジーを推論に利用すれば、妥当な推論であるといえることになる。トートロジーを利用した推論のなかでよく使われるものには名前がつけられていて、古典論理の公理系内の演繹の推論規則として利用されている。 

 

 

この記述は、スコラ哲学のように見えます。

 

「既知の事柄を元にして未知の事柄について予想」は無理筋です。

 

事柄は、インスタンスです。推論は、インスタンスではなく、オブジェクトを使って行われます。帰納法の推論では、観測値(インスタンス)から、オブジェクト表現のルール(命題)を作ります。推論をするときの論理操作は、オブジェクトであって、命題を作成するときに、未知の事柄(インタンス)を意識することはありません。

 

「推論の正しさを妥当性という」という表記には、観測値がでてきませんので、形而上学です。この表示はサイエンスとは相容れません。

 

数学の証明では、トートロジーは、証明の失敗を意味します。

 

一般に、トートロジーとは、役にたたない無駄な推論、ラベルの貼替だけで、中身を伴わないものを指します。

 

トートロジーを推論に利用すれば、妥当な推論」という表記は、科学的にはあり得ません。



推論(Inference英語版のウィキペディア)の記載は以下です。

 

 

推論は理論的には伝統的に演繹と帰納に分類されており、ヨーロッパではこの区別は少なくともアリストテレス(紀元前 300 年代) まで遡ります。演繹とは、正しいとわかっている、または真実であると仮定されている前提から論理的な結論を導き出す 推論であり、論理学で有効な推論の法則が研究されています。帰納法は、特定の証拠から普遍的な結論に至る推論です。3 番目のタイプの推論は、特にチャールズ・サンダース・パースによって区別されることがあり、アブダプションと帰納を対比させます。



複数の観察から結論を推測するプロセスは、帰納的推論と呼ばれます。結論は正しい場合もあれば、間違っている場合もあり、一定の精度内で正しい場合もあれば、特定の状況では正しい場合もあります。複数の観察から推論された結論は、追加の観察によってテストされる場合があります。

 

この定義は、明確さが欠けているため、議論の余地があります。

 

「推論」の定義としては次の 2 つが考えられます。

 

(1)証拠と推論に基づいて到達した結論。

(2)そんな結論に至るまでの過程。

 

 

「推論は、追加の観察(エビデンス)によってテストされる」ことが、科学に対応した推論の表記です。

 

筆者は、パーシアンなので、帰納法よりは、アブダプションを使うべきと主張します。

 

なので、英語版のウィキペディアの内容が妥当であるとは考えませんが、少なくとも、英語版のウィキペディアであれば、書かれている内容を理解できます。

 

一方、日本語版のウィキペディアの内容は理解できません。

 

結論は、正しい推論の仕方が、教育されていない可能性が高いことになります。



補足:

 

英語版のウィキペディアの次の表記は不適切だと考えます。

複数の観察から結論を推測するプロセスは、帰納的推論と呼ばれます。結論は正しい場合もあれば、間違っている場合もあり、一定の精度内で正しい場合もあれば、特定の状況では正しい場合もあります。複数の観察から推論された結論は、追加の観察によってテストされる場合があります。

ここには、推論によって、結論(命題)をつくるプロセスと命題を検証するプロセスが混在しています。

 

機能は推論であって、検証法ではありません。



最初に、「帰納的推論と呼ばれます。結論は正しい場合もあれば」と書かれているのは、歴史的には、「帰納的推論による推論で得られた結論は、ほぼ正しい」と信じられてきたという事実を反映しています。この部分は、経験科学に相当します。

 

データサイエンスでは、検証は、RCTを使うべきであり、帰納的推論(経験科学)には、検証能力はないと考えます。

 

機能に、検証能力がない場合、推論の自由度の低い帰納法をつかうメリットはないので、アブダプションを使うべきです。

 

これが、データサイエンス以降のパーシアンの立場になります。