悪法もまた法なり

(法律改正のプロセスを考えます)



1)悪法

 

「悪法もまた法なり」は、プラトンの著書「ソクラテスの弁明」にあるソクラテスの発言と伝えられる言葉で、世に存在する法律は、それが例え悪い法律であっても法律は法律であるため、それが廃止されない限りは守らなければならないということを意味します。

 

これは、実定法主義です。

 

慣習法では、すべての法の根拠が、法文にあるわけではなく、慣習に基づく解釈の余地があります。

 

ソクラテスの弁明」の「悪法もまた法なり」には、問題があることがわかりますか。

 

それは、「ソクラテスの弁明」には、悪法を改正するプロセスが提案されていないことです。

 

実定法主義をとる限り、悪法を改正するプロセスは出てきません。

 

これが、実定法主義をとったドイツが、ナチスの台頭を止められなかった理由です。

 

悪法を改正するプロセスには、自然法主義の人権が実定法に優先し、人権に基づいて法律を改正できることが必要な条件になります。

 

政治資金規正法では、パーティ券のキャッシュバックは合法です。グレーゾーンがありますが、国税庁は、合法扱いです。

 

これは、法のもとの平等に反しますので、悪法です。

 

そこで、課題は、人権(新憲法)に基づいて、悪法を改正するプロセスがあるかという点になります。

 

現状では、国会の多数は、自民党公明党です。

 

つまり、選挙によって、多数派政党が入れ替わらない限り、政治資金規正法が、まともに、改正される可能性はほぼゼロです。

 

それでは、選挙によって、多数派政党が入れ替わらない限り、政治資金規正法が、まともに、改正されないのでしょうか。

 

2)三権分立の課題

 

大阪万博の会場建設費が、当初の約2倍となる2350億円まで膨らんでいます。そんな中、若手建築家が設計する2億円のデザイナーズトイレが、40カ所の公衆トイレのうち8カ所に設置される計画です。

 

「2億円トイレ」を巡って、吉村知事は、「大規模なトイレは便器数も50から60基ある。平米単価にすると、実は、一般の公共施設のトイレと(1基あたりの)値段は大きく変わらないというのが事実です」、斎藤健経済産業相は、「一般的な公衆トイレの建設費用と比べて、取り立てて高額であるとは言えない」、自見英子万博相は「規模から考えれば必ずしも高額とは言えない」と言っています。

 

ここには、問題のすり替えがあります。問題は、2億円が高いか安いかではありません。

 

問題は、大阪万博の会場建設費を審査する独立機関がないことです。

 

三権分立は、計画(立法)、執行(行政)、監視(司法)の独立性を確保しないと、利権が排除できなくなり、民主主義が崩壊することを主張しています。

 

監視のメインは、司法ですが、法律で細部まで規定することは不可能ですから、裁判所以外に、独立した審査機関が必要になります。

 

独立した審査機関に、法的な権限がなくとも、倫理に基づく権限はあります。

 

審査結果の情報を公開して、その結果が、選挙に反映されれば、法的な拘束力がなくとも、監視機能は果たせます。

 

場合によっては、不買運動が起こることもあります。

 

問題の全てを法律で書いて処理できると考えることは、実定法の幻影にすぎません。

 

会計検査は予算を執行した後でしか機能しません。

 

先進国では、予算の計画段階で、計画書を独立した審査機関が審査します。

 

この審査には、法的な権限がなく、審査結果を提示するだけのこともあります。

 

機密性のあるテーマについては、非公開になります。

 

政治家(立法)は、審査結果を反映することも、無視することもできます。

 

しかし、結果が公文書として保存され、50年後に公開されれば、無茶をした政治家の名誉はなくなります。

 

大阪万博の会場建設費には、そこまで機密性はないので、50年後に名誉を失うリスクを考えれば、政治家は、審査結果を公開すると思われます。

 

吉村知事、斎藤健経済産業相自見英子万博相は、自らが判断を述べていますので、これでは、行政が司法を兼ねていて、日本は、三権分立ではないことを認めていることになります。

 

計画書を独立した審査機関が審査していませんので、大阪万博の会場建設費が膨れ上がるのは当然ですし、利権が排除できていないことになります。

 

吉村知事、斎藤健経済産業相自見英子万博相は、「大阪万博の会場建設費は膨れ上がりますよ、利権は排除できていませんよ」と発言していることになります。

 

選挙の定数も、裁判所は、選挙が終わった後で、有効か無効かの判断をします。

 

これも、会計検査院と同じ、事後の判定です。

 

三権分立で考えれば、選挙の定数は、計画段階で、審査されるべきものです。

 

会計検査が万能でないのと同じように、事後判定の裁判所の判決では、選挙の定数是正は間にあいません。

 

独立機関を作って、アドバイスをすべきです。これは、人権に関する問題であり、個別の法律(実定法)には関係しませんので、メンバーには、外国人の専門家を入れることもできます。

 

あるいは、次のステップも可能です。

 

専門家が定数是正案を公開します。

 

議員の候補者は、その定数是正案に、賛成か反対かを明示します。

 

有権者は、その項目を候補者選びに反映すれば、有権者は、定数を変えることができます。

 

裁判所に問題を丸投げしても、問題解決はできません。

 

3)議論のポイント

 

パーティ券問題の議論のポイントは、日本には、悪法の改正プロセスがあるのかという点につきます。

 

政治資金規正法は氷山の一角にすぎません。

 

日本には、政治資金規正法と同じような人権無視の利権優先の悪法が沢山あり、それらを改正しないと、経済と社会が破壊されてしまいます。

 

現在のところ、悪法の改正プロセスは閉ざされているように見えます。

 

選挙によって、多数派政党が入れ替わっても、多数派政党が、悪法の改正プロセスをもっていなければ、悪法の改正はできません。

 

自民党の支持率が下がっても、野党の支持率が上がらない原因は、野党は悪法の改正プロセスをもっていないと見なされているからです。

 

この問題を次回に考えます。