集団と個人

(人権の基本は、集団の責任にあります)

 

1)赤信号

 

1980年に、ツービート(ビートたけしビートきよしのコンビ)は、漫才の中で「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉を使い、流行語になりました。

 

この言葉自体は、漫才のネタなので、深い意味はありませんが、集団行為に対する責任追及が甘いという問題点が背景にあります。

 

2)特攻

 

太平洋戦争の時に、特攻が一般化しました。

 

特攻を繰り返したくないことが動機になって、脇田晴子氏は中世文化の研究を行ないました。

 

水林章氏も同様の研究動機をもって、日本には、天皇制を中心とした法度制度(文化の国)が、日本語を介して生き残ってきたと考えています。

 

さて、特攻には、特攻の集団としてのシステムと特攻を命令する上司と特攻を命令される部下の個人のシステムがあります。

 

ダイレクトに「特攻にいけ」と言った上司は少なかったようです。

 

しかし、上司は、「特攻に行くな」と言うこともできたわけで、ダイレクトに「特攻にいけ」と言わなかったから、責任がないという訳ではありません。

 

ここまでは、個人のシステムの問題です。

 

一方では、特攻は、特攻兵器の製造(あるいは、一般の兵器の転用)から、特攻を作戦の一部と命令体系の一部に組み込むように、集団としての特攻システムが形成されていました。

 

特攻隊員に、特攻を命令する直属の上司には、集団としての特攻システムを拒否できる自由はなかったと思われます。

 

特攻を繰り返さないためには、集団としての特攻システムの責任の所在を明確にする必要があります。

 

集団としての特攻システムのような「集団のシステム」は目に見えませんので、この問題を扱うには、高度な抽象思考が必要になりますが、この「集団のシステム」の責任問題を回避できなければ、特攻が再発します。

 

筆者には、特攻とおなじ「集団のシステム」の問題が、日本に蔓延しているように見えます。

 

3)自動車メーカーの検査不正

 

2023年12月の第三者委員会の報告書によると、30年以上にわたりダイハツは品質不正を続けていたことがわかっています。

 

同様の不正は、日野自動車のエンジン認証不正問題、自動車部品大手デンソー製の燃料ポンプの不具合によるエンスト発生の恐れ、豊田自動織機フォークリフト向けエンジンの不正が繰り返されています。

 

ある専門家は次のように発言しています。

一連の不正問題は、わが国経済を支えた自動車産業の信用にかかわる問題である。わが国の企業は、一人一人の役職員が常識と良識に基づいて、社会的責任を確実に果たす組織風土の醸成を急ぐ必要がある。

 

トヨタ豊田章男会長は、1月30日にトヨタ産業技術記念館で「トヨタグループビジョン説明会」を開く予定です。

 

しかし、筆者は、不正問題を、「常識と良識に基づく役職員の社会的責任」や、「企業ビジョン」の問題ではなく、「集団のシステム」の責任問題であると考えます。

 

「集団のシステム」の責任問題は2つのフェーズに分かれます。

 

第1フェーズは、「集団のシステム」を作った役職員の責任です。

 

第2フェーズは、問題のある「集団のシステム」を使い続けた役職員の責任です。

 

ダイハツの不正は、30年以上続いていますから、第1フェーズの品質点検の「集団のシステム」を作った役職員は、既に、鬼籍に入っています。

 

第2フェーズの問題のある「集団のシステム」を使い続けた役職員は、現役の役職員だけではありません。

 

問題のある「集団のシステム」を使い続けた過去の役職員の責任を問わなければ、赤信号問題になってしまいます。

 

役職員の責任を遡って問うことが難しければ、生命保険のように、給与の一部を積み立てて、時効期間を設定して、時効期間が過ぎれば、積立金を払い戻すようにすることもできます。

 

不正問題は、組織風土の問題ではなく、「集団のシステム」の役職員のリスクとリターンのバランスがとれていないシステム設計の問題です。

 

問題は、「組織風土」のような文化の問題ではなく、「集団のシステム」の設計問題です。

 

追記:

この記事を書いてから、掲載する間に、次のニュースが入ってきました。

 

トヨタ自動車は、豊田自動織機が開発を担当しているディーゼルエンジンの出力試験で不正行為があったとして、このエンジンを搭載している「ランドクルーザー」や「ハイエース」など合わせて10車種の出荷を一旦停止すると発表しました。

 

4)パーティ券問題

 

パーティ券は、企業からの裏金の収集システムです。

 

ここでも、「パーティ券の集団のシステム」の責任と、会計担当者の個人の責任があります。

 

「パーティ券の集団のシステム」が、まともに設計されていても、会計担当者の個人が意図的に犯罪を犯すリスクはゼロではありません。

 

しかし、全ての派閥の会計担当者が、過去に遡って、全て、犯罪者になると考えられる確率は、限りなくゼロに近いです。

 

この万が一の可能性があれば、有罪にできないという基準を採用するのであれば、DNA判定は使えないことになります。

 

データサイエンスでは、観測誤差がありますので、100%確実ということはあり得ません。

 

科学的な基準をとるのであれば、パーティ券問題の責任の所在が、会計担当者の個人ではないことは明確です。

 

検察と裁判所は、高校生程度の確率を理解できていないことがわかります。

 

犯罪の原因は、犯罪を犯した個人にあるという犯罪モデルは、小学生レベルの認知があれば、理解できます。

 

しかし、「集団のシステム」の責任問題の解消には、高度な抽象思考が必要になります。

 

「検査員の不正」や、「会計担当者の不正」は、完全には、除去できませんが、リスクを軽減するシステムの構築は可能です。

 

こうした「集団のシステム」の改善を怠り、同じ不正の再発を放置すれば、「集団のシステム」を構築する権限のある役職員の責任が問われるのは当然と思われます。

 

なお、派閥のようなグループ作成は、人権で保証されています。

 

問題は、課税(財産権の侵害の平等性)だけです。

 

4)DX

 

DXは、企業の「集団のシステム」を、クラウド上に移植する作業です。

 

「集団のシステム」を構築する権限のある役職員が、「集団のシステム」を改善する責任を追わなければ、DXは進みません。

 

役職員が、「集団のシステム」を改善する責任を問われて、株主訴訟を起こされるリスクがあれば、DXは進みます。

 

役職員には、高い給与というリターンがありますが、「集団のシステム」を改善する責任を問われるという高いリスクを伴っていれば、能力がない人が、役職員になることがなくなります。

 

5)「集団のシステム」を改善する責任

 

「集団のシステム」を改善する責任を無視するルールは、前例主義です。

 

前例主義は、社会の進歩や変化を否定しています。

 

特攻のような間違ったルールがいったん採用されると、前例主義では、間違ったルールが固定化されます。

 

前例主義の実定法の支持者が減った理由は、実定法には、ナチスの台頭という間違ったルールを阻止する力がないことがわかったからです。

 

日本でいえば、前例主義は、特攻を温存させる仕組みです。

 

「集団のシステム」を改善する責任は、役職員にあります。

 

「集団のシステム」の改善には、唯一の正解はありません。

 

複数のシナリオを比較検討して、ベストと思われるものを採択します。

 

それでも、失敗は付き物ですから、モニタリングして、フィードバックをかけて、改善を繰り返します。