(特攻問題を定義します)
1)特攻と特攻問題
特攻は、太平洋戦争で行なわれた作戦です。
これは、人権無視の作戦であり、「特攻を繰り返さないためにはどうしたらよいか」という視点で、特攻を直接の対象とする研究とより一般的な文化に関する研究がなされてきました。
これらの研究は、特攻の人権問題に焦点を当てています。
特攻問題とは、特攻の経済問題を指します。
「特攻の経済問題」と書くと、特攻には市場がありませんので、違和感があるので、ここでは、特攻問題と書いています。
「特攻の経済問題」とは、特攻作戦の経済的合理性を意味します。
特攻作戦は、多くの人命が失われたにもかかわらず、戦略的な成果をあげられませんでした。
太平洋戦争の初期には、特攻作戦の数は少なかったですが、敗戦が進んで行くと、特攻作戦が拡大していきます。
つまり、特攻作戦の拡大の背景には、経済的に合成性のある作戦で、戦略的な成果をあげるという科学的な作戦の視点が欠けていたことになります。
科学的な作戦の視点で、特攻作戦をみれば、太平洋戦争では、経済的に合成性のない作戦が次々に採択され、特攻問題はその一部になります。
経済的に合成性のない作戦という氷山の中で、特攻作戦は水面に顔を出していますが、水面下にある部分の方が大きいと考えられます。
この水面下には、インパール作戦のように、ロジスティックを無視した作戦によって、兵士が餓死したり、病死した例も含まれます。
インパール作戦も、生存して帰還できる可能性のほとんどない作戦を強要した点では、人権無視になっています。
インパール作戦は、科学的な作戦の視点があれば、経済合理性がないので、行なわれなかったはずです。
ここで大切な視点は、インパール作戦がどのように起こったかという帰納法による研究ではありません。
帰納法では、問題の再発を防ぐ方法は見つかりません。
インパール作戦が起こった原因は、科学的な作戦の視点がなかったことです。
これは、インパール作戦の分析ではなく、アメリカの作戦の分析でわかります。
アメリカの作戦選択は、科学の方法に基づきます。これは、プラグマティズムの伝統です。
太平洋戦争では、アメリカの作戦では、インパール作戦のようなロジスティックを無視した作戦は、行なわれませんでした。
アメリカの作戦には、特攻作戦はありませんでした。一般に、アメリカの作戦に、特攻作戦がなかった理由は、人権が尊重されていたからであると説明されます。
しかし、それ以前に、アメリカでは、特攻作戦は、経済合理性の点で、検討対象外であったと思われます。
この経済合理性の中には、人材の活用も含まれます。
経済を発展させるためには、有能な人材を選んで、教育して、能力を発揮してもらう必要があります。
ベストセラーになった「失敗の研究」は、個々の作戦を帰納法で分析して、敗因を考察しています。
しかし、太平洋戦争全体の作戦を特攻問題の視点でみれば、個々の作戦の分析に入る前に、作戦選択が、科学の方法に基づいているかの視点で、結果の予測が可能です。
この方法では、短期的な個別の作戦の勝敗は予測できませんが、中期的な戦争の勝敗を予測できます。
日清戦争は、1894年7月25日から1895年4月17日まで、10か月にわたり日本と清国の間で行われた戦争です。
日露戦争は、1904年2月6日から 1905年9月5日までの18か月にわたり、日本とロシアとの間で戦われた戦争です。
太平洋戦争は、1941年12月8日から1945年8月15日までの45か月にわたり行われた戦争です。
この10か月、18か月、45か月の違いは、作戦選択が、科学の方法に基づいているかの視点で、結果の予測をする場合に効いてきます。
太平洋戦争の45か月の間には、特攻作戦の拡大に見られるように、経済合理性を無視した作戦が拡大しましたが、日清戦争の10か月、日露戦争の18か月の間には、経済合理性を無視した作戦は拡大していません。
2)ブリーフの固定化法と特攻問題
「作戦」と「仕事」、「事業」、「政策」等に置き換えれば、特攻問題は、現在、ここにある問題になります。
「作戦」、「仕事」、「事業」、「政策」等の選択問題は、パースが、ブリーフの固定化として一般化した問題であり、アメリカでは、科学の方法を使うことが原則になっています。
失われた30年といった長期問題を分析するには、個々の政策を分析する必要はなく、政策選択の意思決定が、科学の方法に基づくかで決まります。
政策選択の意思決定が、科学の方法に基づかない場合、経済的合理性のない政策が増大します。
税金は、ブラックホールに飲み込まれていき、増税が繰り返されます。
事業選択の意思決定が、科学の方法に基づかない場合、経済的合理性のない事業が増大します。
事業選択の意思決定が、科学の方法に基づかなければ、設備投資やDXの進展はできません。
東証は、PER(株価収益率)とROE(自己資本利益率)を掛け合わせた PBR値の改善を求めています。
企業の利益率は下がり、賃金は上がらなくなります。
アメリカの人類学者のデヴィッド・グレーバー氏は2018年に「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論( Bullshit Jobs:A Theory)」を出版して、無意味な仕事(Bullshit Jobs)の存在と、その社会的有害性を分析しました。
この和訳のタイトルには問題があります。"Bullshit Jobs"のBullshitは、の直訳は「牛糞」ですが、慣用句で比喩的な意味は少なく、「馬鹿馬鹿しい」「無意味な」「誇大で嘘な」意味で、一般的によく使われるの俗語です。
グレーバー氏は、無意味な仕事を取り上げました。
グレーバー氏は、アメリカには、無意味な仕事があるといいますが、経済成長は続いています。
人類学者の グレーバー氏の「無意味」は、経済合理性とは一致しません。
特攻問題の事業選択の意思決定が、科学の方法に基づかない場合、経済的合理性のない仕事(無意味な仕事)が増大する問題と、グレーバー氏の無意味な仕事問題は、完全には重なりません。
そもそも、アメリカの事業選択の意思決定は、科学の方法に基づいていますので、日本とは異なります。
3)大学にある特攻問題
東大における農学部の比率は、大学全体の7から8%で、付加価値でみて国全体のわずか0.9%の農業の人材育成のために使われています。
この状態を、「経済合理性を欠いている。東大農学部は、教育のためではなく、教員のためにある」と批判している専門家がいます。
この批判は正論ですが、産業(ここでは、農業)の付加価値のシェアの変化に連動して、大学の定員が変化しなかったというより一般的な問題の一部に過ぎません。
人口が減少する場合、税収が減少するので、社会基盤投資を縮小しないと、財政が破綻します。この点で考えれば、大学の土木学科の定員のシェアも減少すべきです。
日本の文学部は、翻訳を主なビジネスにしてきました。
現在、古典の翻訳は完了しています。
新しい英文の翻訳では、コストと迅速性では、自動翻訳に勝てる翻訳者はいません。
政府は、英語教育に力を入れていますが、自然科学分野のように、事実上の公用語が英語になってしまい、英語で生活せざるを得ない人を除けば、英語教育の経済合理性には、疑問がつきます。
小谷野敦氏は、「文学部という不幸」(2010)の中で、「文学部は文学部の教員のためにあるとしかいいようがない」と発言しています。
「大学は、幕末の幕府のようなもので、ペリー来航から15年で幕府が瓦解したことを考えると、おそらく5年から10年で、弱小私立や地方国立大あたりから、大学は倒産するだろう」(筆者要約)といっています。
特攻問題の事業選択の意思決定が、科学の方法に基づかない場合、経済的合理性のない仕事(無意味な仕事)が増大します。
仕事の方法の教育は、経済的合理性のない仕事を再生産しますので、特に大きな影響があります。
小谷野敦氏は、2020年(10年後)に、大学は倒産すると予測していますが、現実には、定員割れをしているだけで、補助金によって倒産していません。
定員で見れば、大学教育は、産業構造の変化と技術進歩(情報社会へのレジームシフト)に対応できておらず、ギャップは毎年大きくなっています。
これは、年功型雇用によって、大学教員の労働市場がないため、経済的合理性のない仕事(無意味な仕事)が増大していることを意味しています。
ここには、科学の方法に基づかない場合、意思決定をする特攻問題があります。
政府は、大学の定員問題についても、他の政策課題と同様に、専門家会議に問題解決を依頼しています。
専門家会議のブリーフの固定化法は、権威の方法によっていて、科学の方法を無視しているので、提言に従っても、問題解決はできません。
筆者は、戦術の専門家ではありませんので、太平洋戦争の個々の対戦の是非を論じる能力はありません。それでも、科学の方法を無視していれば、中期的には、戦争に負けると予測可能です。
同様に、筆者は、専門家会議のメンバーのように、個々の政策の是非を論じる能力はありませんが、中期的には、今の大学の定員問題の対応では、経済戦争に負けると予測できます。
日本では物価・賃金の好循環は起きません。
これは、自明です。
インフレによって労働者の配分が増えることはありません。
1980年代も、インフレによって労働者の配分は減っていました。
しかし、1980年代には、海外と比べて、労働生産性が高く、輸出競争力があったため、配分の原資が増えました。
現在の日本の労働生産性は、先進国の中では最低レベルなので、輸出競争力がありません。
労働生産性は、付加価値で評価します。同じ製品を作っても、同等の輸入製品が、国産の半額であり、販売価格を半分に落とさなければならなくなれば、付加価値は減ってしまいます。
DXを取り入れられず、技術進歩に取り残されて、同じ生産方法を続ければ、付加価値が変わらないのではなく、下がってしまいます。
これは仮説なので、間違っているかも知れませんが、エビデンスのない議論は不毛です。
科学の方法を無視していれば、議論や科学的な検討が成立しなくなります。
反論は不可能です。
これが、特攻問題の特徴です。
韓国は人治主義(権威の方法)なので、政権が交替すると前の大統領が有罪になります。
日本は人治主義(権威の方法)ではないといいたいところですが、ほぼ、自民党から政権交代が起こっていませんので、前の政権の幹部が有罪にならないと解釈することもできます。
民主党が政権をとった時に、前の政権の幹部を有罪にするという強い意志があれば、変化が起こったと考えることもできます。
民主党が政権をとった時に、官僚は、民主党政権は短命で、自民党が復権すると考えて対応した可能性も高いです。
少なくとも、民主党は、官僚をうまく、コントロールできませんでした。