ノーベル平和賞のジレンマ

(2024年のノーベル平和賞を予測します)

 

1)ナワリヌイ氏の死

 

ナワリヌイ氏が、2月16日、刑務所で不審な死を遂げました。47歳でした。

 

2)ノーベル平和賞の手続き

 

ノルウェー日本国大使館による、以下の手続きがあります。

 

前年の 9 月末:

 

各国に、来年度のノーベル平和賞候補者推薦要項が届く(候補者推薦の資格を持つのは、各国閣僚、国会議員、大学教授、過去のノーベル平和賞受賞者、過去・現在のノーベル委員会委員等)

 

2 月 1 日 :

 

推薦締め切り。

 

2 月~9 月中旬:

 

選考実施(まずノーベル委員会が候補者を、5から20 人の「ショートリスト」に絞り込む。続いて、委員会の事務局長のもと、常任アドバイザー、あるいは候補者に関する知識故に招かれる専門家からなるアドバイザー・グループによって、ショートリストの候補者(団体)に関する報告書が作成される(アドバイザーは選考には関与しない)。決定に際してはノーベル委員会全員の意見一致を目指すが、期限までに全会一致とならない場合は、多数決の結果に基づいて決定される。候補者名及び選考過程は、決定の日から 50 年間非公開。)

 

10 月中旬:

 

ノルウェー・ノーベル研究所にて受賞者を発表する。



12 月 10 日 :

オスロ市庁舎にてノーベル平和賞授与式を行なう。



3)生存者の前提

 

ノーベル賞には、死去した人には授与しないとの規定があります。

 

1973年までは、受賞者の候補に挙げられた時点で本人が生存していれば、故人に対して授賞が行われることもありました。例としては、1931年の文学賞を受賞したエリク・アクセル・カールフェルト氏、1961年の平和賞を受賞したダグ・ハマーショルド氏が授賞決定発表時に故人でした。

 

国連事務総長のダグ・ハマーショルド氏は、1961年9月17日夜、コンゴ動乱の停戦調停に赴く途上で、搭乗機のダグラス DC-6Bが北ローデシア(現在のザンビア)のンドラで墜落して事故死しています。

 

1974年以降は、授賞決定発表の時点で本人が生存していることが授賞の条件とされている。2011年には、医学生理学賞に選ばれたラルフ・スタインマンが授賞決定発表の3日前に死去していたことがのちに判明し、問題となりました。ただし、授賞決定発表のあとに本人が死去した場合には、その授賞が取り消されることはない。スタインマンの場合はこの規定に準ずる扱いを受けることになり、特別に故人でありながらも正式な受賞者として認定されることが決まっています。

 

 4)ナワリヌイ氏の場合

 

2月1日締め切りのノーベル平和賞の推薦リストに載る人あるいは、団体の数は例年100を超えています。

 

2024年のノーベル平和賞の推薦リストには、ナワリヌイ氏の名前があると思われます。

 

ナワリヌイ氏は、1973年までの規定では、受賞資格がありますが、1974年以降の規定では、受賞資格がありません。

 

しかし、1974年以降の規定は、刑務所等に拘束されている人に対して、中立ではありません。

 

1974年以降の規定は、刑務所等に拘束されている人が暗殺されるリスクを高める効果があります。

 

つまり、1974年以降の規定は、平和賞を受賞させないために、暗殺されるリスクを生み出している可能性があります。

 

この点を考えると、ノーベル委員会は、ナワリヌイ氏に対しても、1974年以降の規定を適用すべきか、否かの再考を促すと考えられます。