憲法と人権の話

憲法を守っていない、人権を無視した法律があります)

 

1)パーティ券問題の出所

 

パーティ券問題は、違法ではないという扱いになっています。

 

これは、個別法に対して違法でないことをいっているだけで、個別法が新憲法の人権を守っていることを保証するものではありません。

 

国会は、法律を作ることができますが、その法律が憲法にあっていない場合には、法律は無効になります。

 

常識で考えれば、憲法にあってない無謀な法律をつくることはないと考えられます。

 

しかし、利権を優先する政治を行なえば、この常識はあてになりません。

 

さらに、新憲法が出来ても、新憲法に合うように、改訂されなかった法律が残存しています。

 

したがって、常識を疑い、人権が守られるように、法律改正を求めていく必要があります。

 

2)財産権の問題

 

パーティ券の脱税問題は、財産権に関わる問題です。

 

人権は財産権を保証しますが、例外として、課税があります。

 

課税は例外なので、課税の公平性と税金の使用には効率性と透明性が求まられます。

 

これは、人権の一部です。

 

「課税の公平性と税金の使用には効率性と透明性」を確保するためには、法律に基づき、税の徴収と使用が義務づけられています。

 

また、法律が、合憲(人権を守っている)である必要があります。

パーティ券問題は、公職選挙法が、政治家の利権に都合の良いように、人権(財産権、課税の公平性)を無視して制定された疑惑があることを示しています。

 

財産権の問題は、社会保険料の改訂が、法律に基づかない点にもあります。

 

社会保険料の改訂は、課税と同じように、財産権の侵害になりますので、国会の審議が必要な法律改訂なしに、変更できることは、人権の侵害になると思われます。

 

2024年2月19日に東京都内で開かれた「日ウクライナ経済復興推進会議」で、岸田文雄首相はウクライナへの官民をあげた長期的な支援を表明しました。

 

海外援助支出については、今まで、国会の審議を経ないで変更が認められています。

 

典型は、開発途上国へのローンの返済免除です。これは、ローンとして予算計上しておいて、返済が困難である場合には、返済免除(無償扱い)にする方法です。



返済免除にする必要性は理解できますが、これは、財産権の侵害にあたるので、国会承認が必要です。

 

外交問題の手続きは、複雑です。条約の場合、第1ステップで、外務大臣が合意文書にサインします。これを持ち帰って、第2ステップで国会で了承されて、はじめて、条約が成立します。

 

同様に考えれば、ウクライナへの官民をあげた長期的な支援にも、2つのステップがあってしかるべきです。

 

パーティ券問題のルーツには、政治家が、現行法において合法であれば、憲法の人権に違反しても問題がないと考えている点があります。

 

この点を理解すれば、ジェンダーと非正規雇用の賃金格差問題が解消しない理由が理解できます。

 

国会は、法律を作り改正するところです。

 

選挙で、国会議員を選ぶ目的は、まともな法律を作り、法律を改正するためです。

 

人権を無視して、利権を温存するための法律を作る議員を選出していれば、人権問題は解決しません。

 

3)過疎問題と弱者救済

 

「人権を無視して、利権を温存する」ためのキーワードが、「過疎問題」であり、「弱者救済」になっています。

 

「過疎問題」と「弱者救済」は、聞こえは良いですが、財産権を侵害することを正当化する理論であり、人権無視で、市場経済を破壊しています。

 

これは、成長と分配でいえば、成長より分配を優先するという社会主義ですので、市場経済と経済成長を破壊しています。

 

社会主義経済では、労働市場がないので、努力してリスキリングしても、所得が増えません。自分は弱者であると表明して分配を受ける方が、合理的な所得増加法になります。

 

誰を弱者に選定して、配分先に選ぶかは、政治家の一存で決まりますので、そこには、膨大な利権が発生します。

 

財産権の侵害である「過疎問題」と「弱者救済」をやめれば、利権のサイズは小さくなり、市場経済が復活します。

 

「弱者救済」の実態は、特定の企業や地域への補助金のキャッシバックです。人権の対象である個人救済にはなっていません。

 

「弱者救済」は、貧困対策に名を借りた貧困ビジネスにすぎません。

 

なお、選挙で、国会議員を選ぶ目的は、まともな法律を作り、法律を改正するためのはずですが、実際には、議員立法は、少ないです。

 

これは、国会が三権分立として機能していないことを意味します。

 

本来、国会の論戦は、どのような法律を作るべきかであるはずです。

 

実際には、非難ばかりになっていて、問題解決は行方不明になっています。