(日本人固有の思考パタンを考えます)
1)因果応報
キリスト教に限らず、世界の多くの宗教には、宗教的に救済を得るためには、善行や功徳を積まなくてはならないとする「因果応報」や「積善説」という考え方があります。
これは、因果モデルで、宗教に因果モデルが組み込まれています。
カトリック教会は、救われたい人間の自由意志が救済のプロセスに重要な役割を果たすとする「自由意志説」に基づいた救済観を認め、教会が行う施しや聖堂の改修など、教会の活動を補助するために金銭を出すことを救済への近道として奨励しています。
カトリック教会で考えられた罪の償いのために必要なプロセスは三段階からなります。まず、犯した罪を悔いて反省すること(痛悔)、次に司祭に罪を告白してゆるしを得ること(告白)、最後に罪のゆるしに見合った償いをすること(償い)が必要です。カトリック教会ではこの三段階によって、初めて罪が完全に償われると考えました。一般的に課せられる「罪の償い」は重いものでした。
贖宥状(しょくゆうじょう、ラテン語: indulgentia)とは、16世紀にカトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書で、免償符(めんしょうふ)、贖宥符(しょくゆうふ)とも呼ばれます。
贖宥状は、「罪に対して受けなければならない償い(罰)の量を減らす方法」です。
2)免罪符
贖宥状は、日本語では、免罪符と翻訳されました。
免罪符を文字通り読めば、罪を免じることになります。特赦と同じです。
贖宥状は、「因果応報」モデルに従っています。
贖宥状は、「罰の量を減らす方法」(免償符、免罰符)であって、「罪を免ずる方法」ではありません。
「因果応報」モデルのキャンセルはできません。
免罪符は、明らかに誤訳です。
どうして、誤訳が生じ、かつ、流布したのでしょうか。
筆者は、日本人は、「因果応報」モデルが理解できていないためではないかと考えます。
お祓い、お清めは、穢れを流します。
お祓い、お清めのために、お守りを購入します。
お守りは、免罪符です。
病気や不幸がおこる理由は、「因果応報」モデルでは、過去に悪い行ない(罪)を犯したからです。
仏教で言えば、前世の行いが悪かったといった説明になります。
これに対して、自然信仰では、病気になるのは悪い魂にとりつかれたためであると説明します。
悪い魂(悪霊)を、お祓いで、追い払えば病気が治ることになります。
ここでは、「悪霊=病気の別名」であって、悪霊が原因で、病気が起こる訳ではありません。
因果応報モデルでは、1つの原因(罪)から、複数の結果が生じますが、悪霊モデルでは、病気と悪霊は対応しています。
悪霊モデルでは、因果応報モデルと異なり、病気になった人には、落ち度がないことになります。
問題を解決するには、因果モデルは不要で、お祓いをすればよいことになります。
3)お祓いとウォッシング
問題が生じた時、お祓いをすれば、責任を問われないウォッシングが簡単にできます。
自民党は政治刷新本部を作りました。
因果応報モデル(因果モデル)に従った推論が行なわれる場合には、解決すべき因果(罪)がまずあって、それを解消するために、組織が作られます。
因果応報モデルの因果は、罪であって、罪を犯した人が特定されています。
簡単にいえば、全ての組織には、ミッションがあります。
このミッションは、「誰誰が、再び間違い(罪)を犯さないシステムの構築」になるはずです。
しかし、政治刷新本部には、そのようなミッションはありません。
したがって、政治刷新本部は、悪霊モデルを採用していることがわかります。
悪霊モデルを採用した場合、組織の目的は、お祓いすることであって、因果モデルの原因を取り除くことではありません。
そもそも、悪霊モデルには、原因という概念がありません。
お祓いをすれば、責任が問われないのであれば、ウォッシングは容易にできます。
原因が除去されませんので、問題は、繰り返し起こります。
ここでは、政治刷新本部を例に取り上げましたが、悪霊モデルは、政治刷新本部だけでなく、日本には、広く見られます。
因果応報モデルの例を探す方が困難です。
何か問題があれば、政府は、問題解決案を専門家会議に、丸なげしています。
専門家会議には、到達度評価の出来るミッションがありませんので、専門家会議は、悪霊モデルでデザインされた組織になっています。
マイナンバーカードは、DXのお祓いをするための装置になっています。
因果モデルで考えれば、マイナンバーカードの有効性は、疑問符だらけです。
システム開発では、アルファ・テスト、ベータ・テストを順次行ない、システムの必要なスペックをブラッシュアップします。
マイナンバーカードは、こうした標準的なシステム開発のプロセスを無視しています。
標準的なシステム開発のプロセスを無視したシステム開発は、欧米では考えられません。
システム開発の前に、ミッションが因果モデルで記載されます。
筆者には、マイナンバーカードが、「なぜ、標準的なシステム開発のプロセスを無視した」のかが謎でした。
しかし、マイナンバーカードの開発が、悪霊モデル(ここでは、マイナンバーカードという良い霊)のお祓いであると考えれば、謎が解けます。
デジタル庁も、子ども家庭庁も、ミッションが因果モデルで記載されていません。
これは、デジタル庁も、子ども家庭庁も、悪霊モデルに従って作られた組織であることを示しています。
悪霊モデルでは、原因が除去されていませんので、問題は、繰り返し起こります。
この点を考えると、自動車メーカーの不正検査も、悪霊モデルで対応が繰り返されている可能性があります。
4)出口に向けて
因果応報モデルは、因果モデルの1種です。
エビデンスに基づいていない、検証過程があいまいなどの問題がありますが、世界は因果モデルで出来ているという点で、科学の世界観に一致しています。
一方の悪霊モデルは、因果モデルではないので、科学的な世界観とは相容れません。
悪霊モデルでは、問題は永久に解決しませんし、科学は無視され続けます。
5)藤戸
藤戸(ふじと)は、能の演目です。
あらすじは以下です。
1184年に、備前国児島にある藤戸で戦陣を構えた源氏は、平家の陣地と海で隔てられ、戦況は膠着していました。源氏の佐々木盛綱は地元に住む若い漁師から、馬で渡れる浅瀬ができる場所と日時を聞き出します。他言を恐れた盛綱は、漁師を殺し、海に沈めてしまいます。佐々木盛綱は、馬で海り、先陣の功を挙げ、児島を領地に賜りました。
盛綱が初めて領地入ると一人の老婆が現れ、我が子を殺したと名指しで、盛綱を咎めます。盛綱は老婆をなだめ、回向を約束します。
盛綱が、藤戸の海辺で、回向して、般若経を読誦して漁師を弔っていると、漁師の亡霊が現れ、悪龍の水神と化して、恨みを晴らそうとしていたが、回向に感謝し、彼岸に至って成仏の身となります。
ここにも、因果モデルではなく、悪霊モデルがあります。
脇田晴子氏は、藤戸は、朝廷が、文化の力を誇示するために作った思想操作装置と考えています。
<< 引用文献
文化の政治性 大谷學報 第84巻第3・4合併号 脇田晴子
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