アブダクションとデザイン思考(25)ジョブディスクリプション

(言霊を排除するには、ジョブディスクリプションが必要です)



1)ジョブ型雇用とインスタンス

 

ジョブ型雇用では、ジョブディスクリプションが必要になります。

 

ジョブディスクリプションは、仕事(オブジェクト)のインスタンスです。

 

アメリカは、移民社会なので、ジョブディスクリプションが必要だが、日本は、単一民族なので、細かな指示は不要と言う説明をする人もいますが、このような説明をする人は、オブジェクトオンリーの言霊にとらわれています。

 

ジョブディスクリプションがなければ、ジョブが計画通り実施できたかを確認することはできません。仕事(ジョブ)をしても、しなくても給与を支払っていることになります。

 

これが、年功型雇用で、給与はポストにつき、仕事をしても、しなくても関係はありません。その結果、窓際族という不思議な仕事が生まれます。

 

年功型雇用は、言霊の世界です。課長や部長という言霊が全てです。本来、人に仕事を依頼するには、ジョブディスクリプションが必要です。課長や部長は、管理職で、人に仕事を依頼する立場です。ジョブディスクリプションが書けなければ、仕事は進みません。

 

年功型雇用は、ジョブディスクリプションが書けない課長や部長を製造します。管理職がジョブディスクリプションを書けなければ、通常は仕事が止まります。

 

ここには、トリックがあります。OJTで、前任者の仕事を学習させれば、ジョブディスクリプションを書けなくても、前任者と同じように仕事をすることを求めれば、仕事が進みます。しかし、この方法では、DXどころか、仕事の内容を変えることすらできなくなります。

 

管理職は、OJTでは、ポストの階段をのぼっていきますので、自分が経験したポストでは、過去に何をしたかは知っています。しかし、DXを進めるためにには、仕事の目的(評価関数)、仕事の代替手段、他の仕事とのリンクや同期を理解する必要があります。過去の一部の部署の経験では、新しい仕事を組み立てることができません。

 

自動車企業の検査不正のような、不祥事があっても、幹部がジョブの手順を理解していない場合は、点検簿をつけるといったドキュメンタリズムに走ります。ジョブディスクリプションを書ければ、点検項目は最小限にして、点検による効率の劣化を止められます。一方、ジョブディスクリプションを書けないと、点検箇所を絞ることができなくなります。これは、現場の仕事の負荷を増やすだけで、品質向上につながりませんので、不正が起こります。非現実的な点検簿は、ジョブの遂行を妨害するので、不正を招きます。

 

ダイハツの不正では、検査部門の人員が以前の半分にまで縮小されていました。帰納法で考えれば、人員の削減が、現場の負荷を過剰に起こして、不正が生じたという説明になります。

 

しかし、デザイン思考で考えれば、ジョブディスクリプションがあれば、人員と仕事量のバランスは計算されているはずです。つまり、ダイハツの検査の仕事は、デザイン思考ではなく、言霊で動いていたことになります。

 

自動車メーカーは、ラインを工程管理で使います。工程管理には、言霊が入る余地はほとんどありません。そのようなメーカーでも、言霊が生きていることは問題の根が深いことを意味しています。

 

年功型雇用では、オブジェクトオンリーの言霊が動き回っています。「経営は哲学だ」、「部下のやる気を引き出す」といった発想は、言霊の世界です。こうした企業では、ジョブディクリプションをかける人が少ないですし、ジョブディクリプションをかくと浮き上がって左遷されるリスクがあります。こうなると、ジョブ型雇用やDXは困難になります。

 

言霊が跋扈すると、内容のない言霊のジョブ型雇用が行なわれ、ジョブ型雇用は失敗します。その結果、ジョブ型雇用は上手くいかないと結論づけられてしまいます。

 

2)ジョブディスクリプションの拡張

 

言霊の問題を回避するには、ジョブディスクリプションを書くことが必要です。

 

ジョブディスクリプションは、人間のジョブを対象にした言葉ですが、ジョブ概念は一般化できます。

 

法律は、合法的にジョブを進めるためのジョブディスクリプションです。

 

さて、読者が、管理職であると仮定した場合、ジョブディスクリプションには、何を書くべきでしょうか。

 

フランス文学者の水林章氏は、日本には、封建制度の法度制度が残っていて、日本語が、法度制度を温存させているといいます。

<< 引用文献

水林章著『日本語に生まれること、フランス語を生きること――来たるべき市民の社会とその言語をめぐって』(春秋社) 

>>

 

言霊の問題は、水林章氏の「日本語が、法度制度を温存させている」問題の一部であると思います。

 

ジョブディスクリプションの記載は、読者がどれだけ、言霊にのろわれているか、「日本語が、法度制度を温存させ」て、人権無視に加担しているかを判定するテストになります。

 

データサイエンスで考えれば、ジョブディスクリプションの記載は、モジュールの定義に対応します。

 

モジュールには、目的(評価関数)、範囲、手段(アルゴリズム)、使用可能な変数(ジョブをする主体)、参照できる使用可能なデータ、計算結果を引き渡す変数(ジョブの結果)が記載されます。

 

個人のジョブの場合には、使用可能な変数(ジョブをする主体)は一人ですが、組織の場合には、構成員になります。

 

組織のモジュール定義は、各個人のサブモジュール定義に分割して、詳細が記述されます。

 

モジュールをコーディングする場合、各モジュールを上から下にコーディングすることはありません。

 

最初は、モジュールのコアの部分のドラフトをつくり、このドラフトが書かれたモジュールを並べて、全体の構成をチェックして、モジュールのドラフト記述を手直しして、モジュール間のリンクや処理の大きな流れに問題がない点を確認してから、モジュールを仕上げていきます。

 

新しいモジュールを追加した場合には、関連する全てのモジュールを修正変更する必要があります。

 

コーディングの最終段階では、ディスクリプション記述法である「モジュールには、目的(評価関数)、範囲、手段(アルゴリズム)、使用可能な変数(ジョブをする主体)、参照できる使用可能なデータ、計算結果を引き渡す変数(ジョブの結果)が記載されます」が、最初から、ディスクリプション記述法を固定すれば非効率になり、まともなシステムにはなりません。

 

コードは、バージョンアップされます。ディスクリプション記述は書き換えられます。

 

大きなバージョンアップでは、一部のモジュールでは、古いディスクリプション記述法を廃棄して、ゼロからコードを書き直します。

 

DXが進むと、この大きなバージョンアップを頻繁に行なうことが必要になります。

 

アジャイル設計は、このディスクリプション記述法のプロセスの一部として理解される必要があります。

 

コーディングの話を書きましたので、一部の読者は、うんざりしていると思います。

 

しかし、ディスクリプション記述法は、システムだけでなく、ジョブ型雇用、組織、法律・条例などの社会ルール、教育のカリキュラムなどに共通する課題です。

 

デザイン思考で、上記の分野のディスクリプション記述法を見直せば、既存の社会ルールは、自ずと大幅に変更されることになります。

 

これは、デジタル社会に向けたレジームシフトであり、科学技術立国の内容です。

 

そのためには、前例主義に帰納法は、全て否定されます。

 

これは、一見するとアナキズムに見えますが、アナキズムではなく、デザイン思考に基づくディスクリプション記述法の再構築です。

 

デジタル社会に向けたレジームシフトのためには、社会システムのディスクリプション記述法の再構築が必須です。

 

アメリカは、州の独立性が高いので、レジームシフトできる州とできない州に分かれ、その間で、足による投票が進むと思われます。

 

EUも、国によるDXの差があります。あと10年程度で、ドイツとフランスが、EUの大国であるという常識も揺らいでくると思われます。