家計から産業への所得移転について

大阪万博を巡っては、2350億円に膨らんだ会場整備費と別に「日本館」の建設費用や途上国の出展支援などでの国の負担837億円が新たに判明しています。

 

こうした費用の膨張に対して、貧困対策の費用の優先順位を高くすべきではないかという疑問が出ています。

 

あるいは、次世代半導体の量産を目指すラピダスに必要な総投資額は5兆円に及ぶといわれています。国は、今後も膨大な補助金をつぎ込む計画です。

 

次世代半導体の量産は、国内の半導体メーカーが、ビジネスとしての勝算がないとして撤退した分野です。膨大な補助金をつぎ込まなければ、製造すらままなりません。

 

仮に半導体が製造できても、価格と品質で競争力がなければビジネスにはなりません。

 

ラピダス以前に、経営が傾いた半導体部門を集めて、国策の半導体会社を作って、多額の補助金を投入していますが。悉く失敗しています。

 

これは、民間がビジネスにならないと判断した部門をかき集めているわけですから、ものが出来ても売れないのは当然と思われます。

 

5兆円あれば、かなりの貧困対策ができますので、成功する確率の低い半導体の製造が、貧困対策より優先することに違和感を覚える人もいると思います。

 

公共経済学には、幼稚産業育成論という考え方があります。

 

東海道新幹線は国費で建設しました。

 

東海道新幹線の建設費は、当時の国家予算の10%を越えていました。これだけの資金を民間で調達することは不可能でしたので、国が建設しなければ、新幹線は実現しませんでした。当時は、国民も貧しかったですが、国家も、企業も貧しかったです。

 

新幹線の建設は、税収の10%を国民に還元することなく、鉄道の建設に回しました。

 

国が新幹線を建設すれば、家計から新幹線建設への所得移転により、国民は、一時的に貧しくなります。しかし、我慢をすれば、日本経済が成長して、将来より大きなリターンが得られるという理屈です。

 

アメリカの鉄道建設は、民間のビジネスであって、政府は関与しません。

 

オリンピックの開催も、昔は、国家や自治体の事業でしたが、モントリオールオリンピックが赤字で、モントリオール市は、赤字の返済に30年かかりました。

 

その反省から、日本を除いた先進国では、ロサンジェルスオリンピックからは、オリンピックを民間主導で行ない、国や自治体は財政主出をしない原則になっています。

 

2020年万博は、ドバイ国際博覧会でした。2030年の万博は、サウジアラビア・リヤド開催の予定です。ドバイも、サウジアラビアも、万博に膨大な財政支出をすると思いますが、ここには、開催国が先進国ではないので、民間企業が育っていないという判断があります。

 

1973年と1978年に、二度のオイルショックが起こり、企業は、日本製品の輸出価格をあげざるを得なくなります。

 

その時に労使協調が行なわれ、賃金を低く据え置くことで、輸出価格の上昇を防ぐことが合意されます。

 

労働市場があれば、ある企業の賃金が下がれば、労働者は、より賃金の高い企業に移動しますので、賃金を低く据え置くことはできません。

 

日本企業は、年功型雇用で、労働組合も企業別であったので、賃金を低く据え置くことができました。転職ができなかった、言い換えると、労働市場がなかったからです。

 

1972年には、日本のGDPは西ドイツを越えて、先進国の仲間入りをしました。

 

つまり、1972年頃になれば、民間の企業も、資金を確保できる規模になっていたので、新幹線の建設に見られるような、家計から企業への所得移転は不要になっていました。

 

鉄道建設は私鉄に任せればよくなったのです。

 

しかし、その後の国鉄は赤字路線の建設を続けます。現在でも整備新幹線が止まりません。

 

鉄道の建設には問題はありません。しかし、家計から企業への所得移転によって、鉄道を建設することは、貧困を生む原因になります。鉄道の建設に本当に経済効果があれば、私鉄が建設します。国や自治体が関与した時点で、鉄道の建設には経済効果がないと判断できます。

 

1972年には、田中内閣が成立して、日本列島改造といって、公共投資を都市部から、地方に分散させます。

 

人口密度の低い地方の道路の利用者は、人口密度の高い都市部の道路の利用者より少ないので、公共投資の効率は低下します。

 

都市部の過密や渋滞は解消されず、地方の道路などが改善されたので、地方から都市への人口移動が減少します。

 

これは、農業から工業への人口移動の減少を意味しますので、労働生産性の上昇が減速して、高度経済成長は終わります。

 

労働市場がある他の先進国には真似のできない低賃金を武器にして、日本は、日本製品の輸出攻勢をかけますので、貿易黒字が拡大します。

 

一方、日本製品を輸入する先進国では、貿易赤字が拡大し、失業が増加します。

 

これは、構造協議の対象になりました。

 

一見すると、低賃金で輸出を拡大すれば、よいことづくめのように見えますが、ここには、落穴があります。

 

労働市場を無視した低賃金は、家計から企業への所得移転に他なりません。

 

本来であれば、不要になっていた産業補助金も、家計から企業への所得移転になります。

 

産業補助金の一部の財源は国債です。国債が毎年積みあがっていくことは、将来の税収を先取りしていることになります。

 

企業は、低賃金と産業補助金で経営できるので、技術開発が進まなくなります。生産性の改善速度が次第に落ちていきます。

 

1972年以降、ホンダのようなベンチャー企業がほとんど出なくなりました。

 

技術開発が進まなくなった結果、企業は、余剰資金を持て余します。

 

余剰資金は、土地に投資され、地価が上がり続ける一方で、低賃金のため、土地はサラリーマンは、手に入らなくなります。バブルの始まりです。

 

一億総中流は、土地を除けばの話でした。

 

1982年に、河本長官は、「経済運営の第1は、内需中心の着実な景気の維持拡大を実現し、雇用の安定を図ること」といいます。

 

内需中心の着実な景気の維持拡大とは、低賃金と国債増加をやめること(家計から産業への所得移転を止めること)を意味します。

 

家計から産業への所得移転を止めなければ、貧困問題は解決しません。

 

東京オリンピックも、大阪万博も、先進国であれば、家計から産業への所得移転なしで、実施すべきものです。

 

家計から産業への所得移転には、利権が付き物です。政治家、官僚、関連企業は、その利権のために、1972年には、やめても問題のなかった家計から産業への所得移転を50年間続けています。

 

これをやめなければ、アメリカのような内需中心の社会には、なりません。

 

貧困問題も解決しません。

 

エズラ・ヴォーゲル氏は、1979年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を出版して日本でベストセラーになりました。

 

エズラ・ヴォーゲル氏は、戦後の日本経済の高度経済成長の要因を分析し、日本的経営を高く評価しました。

 

しかし、日本的経営とは年功型雇用によって制度的低賃金を維持するシステムに他なりません。それが、貿易黒字を生み出したことは事実ですが、貧困問題の原因をつくったことも事実です。他の先進国にはない国債の継続的な増加も、税収を先取りすることで、製品価格を下げてきました。

 

1990年以降、中国企業が、日本より安い賃金で、参入した結果、日本企業は総崩れになってきています。

 

日本企業の技術力は、主にコピーであり、疑わしいレベルでした。

 

これは、労働市場がある他の先進国では、個人の技術力が収入の増加に結びつきますが、日本には、労働市場がないので、当然のことです。

 

労働市場のある世界で経営している外資系企業は、解雇を巡って、裁判になり負けています。

 

裁判官は、労働市場を否定して、人権無視を温存しています。

 

裁判官は、年功型雇用で働き、天下りをする利害関係者です。

 

労働市場があれば、天下りできませんので、裁判官は、理解関係者として、労働市場に反対する可能性があります。

 

不必要な家計から産業への所得移転を排除できなかったことが、日本経済の停滞の原因です。これは、貧困問題の原因でもあります。

 

原因(ドライビングフォース)をみれば、日本経済の凋落は、1972年には、始まっていたと判断できます。

 

補足:

 

制度的低賃金と国債の継続的な増加に加えて、税収を先取りする年金制度も、製品の輸出価格を下げる上で大きな効果がありましたが、話が複雑になるので、ここでは、省略しています。