政治と経済

1)政治

 

政治は、権力闘争です。権力の根源は、暴力にあり、軍隊にあります。

 

スターリン毛沢東はどの程度、後世の役にたったかは、わかりませんが、彼らは、熾烈な権力闘争に生き残ったことは事実です。

 

スターリン毛沢東との権力闘争に敗れて、殺されてしまった人も、大勢います。

 

殺すか、殺されるかの2者択一の世界になると、平和主義は放棄されます。

 

戦争中に、非国民のラベルを貼られて、村八分になると、直接殺される訳ではありませんが、収入や食料を得ることが難しくなり、生きていくことが困難になります。

 

スターリンが、行った最大の殺人は、1932年から1933年のホロドモールでした。

 

毛沢東が、行った最大の殺人は、大躍進の時の飢餓です。より規模の小さな飢餓が、文化大革命の時にも発生したと推測されています。

 

権力は、集団のダイナミクスで生まれ、その集団の利権を維持するように作用します。

 

集団のダイナミクスでは、マイナリティの権利は剥奪され、搾取が起こります。

 

これは、歴史的な事実としては、理解できます。

 

日本では、高齢者人口が増えた結果、若年層から、高齢者への所得移転(搾取)が発生しました。

 

その結果、若年層の所得が減少して、人口減少が加速しました。

 

与党は、選挙に勝って、権力を維持するために、若年層を見ごろしにしたともいえます。

 

与党は、経済界とつるんで、非正規雇用を拡大して、若年層に低賃金をを押し付けました。

 

賃金が極端に下がると、老後の資金をためることができません。

 

その結果、若年層が高齢化したときには、食べていけなくなるか、不足する生活費を政府が支出するかの2択になります。

 

餓死者がでれば、政府の政策は、スターリン毛沢東と変わりません。

 

不足する生活費を税金で補うのであれば、それは、非正規雇用の低賃金を政府が補填していることになります。つまり、老後に生活できない程の低賃金とは、本来の賃金との差分を企業に代って、将来の政府が負担する約束をしているのと同じことになります。

 

これは、政府から、企業への所得移転になっています。

 

資本主義の市場経済が機能していて、労働市場があれば、このような不合理はおこりません。

 

つまり、政治が利権を優先して、経済を破壊している構図があります。

 

政治家は、政治主導といいます。

 

政治学者は、選挙民によって選ばれた政治家が、政治主導の判断をすることが正しいといいます。

 

しかし、ヒトラーは、選挙民によって選ばれた政治家で、政治主導によって、アウシュビッツを作りました。

 

政治主導は、選挙民によって選ばれた政治家が、何をしてもよいとうことを意味しません。

 

筆者は、浅学なので、選挙民によって選ばれた政治家が、何をしてもよく、何をしてはいけないのかの判断基準がわかりません。

 

少なくとも、公文書を残せば、してはいけないことを誰が、決定して行ったかのの記録が残り、後世の判断を仰ぐことは、可能です。

 

2)経済

 

株式会社は、株主から、お金を預かって、最大の利潤を生む経営をする組織です。

 

株式会社は、経済的合理性に従って運用される組織です。

 

株式会社の中で、ポストを巡って、政治闘争が繰り広げられることも多く、ノンフィクションの題材になっています。

 

しかし、政治闘争をすれば、会社の利潤より、幹部候補生の利権が優先することになり、これは株主に対する背任に当たります。

 

理想的な株式会社、株主利益を最大化する株式会社は、ジョブ型雇用の株式会社であって、政治闘争によって、株主利益が損なわれない株式会社です。

 

ジョブ型雇用では、人材は流動しますので、政治闘争が、経済合理性に優先することは稀です。

 

株式会社は、未来永劫に続くことはありません。

 

ビジネスの継続が難しくなれば、会社をたたむか、身売りすることになります。

 

株主は、そうしたリスクをしょって、株を購入しています。

 

株主は、リスクが高くなれば、株を売ることができます。

 

2010年頃から、外資が日本の株を購入することが増えた結果、株主総会で、株主利益を最大化する提案が出されるようになりました。

 

これを、強欲資本主義といったり、会社は誰のものかというキャンぺーンが、政府によってなされましたが、これは、主に、天下りポストの利権の確保が目的の活動です。

 

つまり、政府から、企業への所得移転の見かえりに、天下りポストを得る鉄のトライアングルの維持を目的としています。

 

政府から、企業への所得移転は、市場経済では、原則、ありえない予算消費です。

 

EUでは、企業への所得移転は、主に、農業分野で行われています。

 

これは、農業分野は、国際競争力ができないという判断に基づいています。

 

工業分野にも、企業への所得移転を行えば、農業分野と同じように、企業の国際競争力がなくなります。これが、現在の日本です。貿易収支の黒字は、ほぼ、なくなっています。

 

こうなると、外貨がなくなるので、海外から食料や原材料が調達できなくなります。

 

市場経済の活動ルールは、単純です。政策は市場に任せて、介入しないことになります。

 

例外は、環境等の外部不経済を内部化する方法であり、SDGSは、その1つです。

 

また、寡占市場では、市場原理が働かないので、補正する必要があります。

 

3)まとめ

 

経済的合理性に基づく、企業活動や、政府の活動ができているかの判断基準は、経済学のテキストに書かれています。

 

(A)市場経済を進めると、貧富の差が付きますが、経済が発展するので、再配分をして調整することが可能になります。

 

(B)市場経済を封印すると、経済が発展しません。

 

1980年頃までは、微分方程式を解くことができなかったので、(A)は、資本主義で、(B)が社会主義で、経済政策は、イデオロギーの問題と思われてきました。

 

微分方程式が解けるようになると、経済政策の問題は、数学の最適化の問題に置き換えられます。

 

つまり、経済学は、イデオロギーではなくなりました。

 

一般に、(A)の方が、(B)より、ジニ係数による格差は大きくなります。

 

所得の再配分を行う前には、もちろんですが、再配分後も、(A)の方が、(B)より、ジニ係数による格差は大きくなる傾向にあります。

 

しかし、最貧層の所得は、(A)の方が、(B)より、遥かに高くなります。

 

つまり、貧困問題の解消には、(A)の方が有効です。

 

これは、経済成長によって、再配分できる原資が出来るためです。

 

さて、1970年頃までの日本の政治は、社会主義政党と資本主義政党の対立という図式でした。

 

この図式は、田中内閣の社会主義政策によって、反転します。

 

池田内閣は、高度経済成長を代表する内閣でした。

 

通説では、池田内閣の政策によって、高度経済成長が進んだことになりますが、これは間違いです。

 

時系列は、因果ではありません。

 

同じ時期に、AとBという2種類の現象が観測されても、Aは、Bの原因ではありません。

 

データサイエンスは、エビデンスによって検証された因果モデル以外は否定します。

 

歴史の教科書にのっている通説は、大半が時系列を因果と取りちがえていて、間違いです。

 

高度経済成長を可能にしたきっかけは、朝鮮戦争でした。

 

池田内閣時代も、ベトナム戦争の最中でした。それなりの特需はありました。

 

実際に池田内閣で計画した全総は失敗しています。

 

土地利用計画も破綻しています。

 

こうしてみると、政府の政策が、高度経済成長の原因ではなさそうです。

 

さて、今回の疑問点は、利権の獲得以外の政治とは何かです。

 

政治は利権のみになった事例は、アフリカの国ではよく見られます。

 

経済は、破綻してしまいます。

 

日本の政治家は、経済発展を目指した政治はしていません。

 

市場は徹底的に、破壊されています。

 

日本の政治が、利権以外に目指しているものがあるのかが、見えません。

 

日本は、先進国ではないので、利権政治以外の政治はないのかも知れません。